デヴィッド・フィンチャー
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2022年『ラブ、デス&ロボット』
グラミー賞
短編ミュージックビデオ賞
1994年『Loving Is Strong』
2013年『Suit & Tie』
ゴールデングローブ賞
監督賞
2010年ソーシャル・ネットワーク
セザール賞
外国映画賞
2010年ソーシャル・ネットワーク
名誉賞
2022年
ブルーリボン賞
外国語作品賞
1996年セブン
その他の賞

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デヴィッド・アンドリュー・レオ・フィンチャー(David Andrew Leo Fincher、1962年8月28日 - )は、アメリカ合衆国映画監督コロラド州デンバー市出身。SFXアニメーターCMディレクターミュージック・ビデオの監督を経て、1992年に映画監督としてデビュー。

『デビッド・フィンチャー』[3]、『デーヴィッド・フィンチャー』と表記されることもある[4]
略歴

1962年『ライフ』誌の記者であったジャック・フィンチャーの子どもとして生まれ、カリフォルニア州マリン郡で育つ。左目の視力が弱く、オッドアイでもあり、両目の色が異なっている[5]

10代の時にオレゴン州に移り、現地の高校を卒業。18歳の頃から8mmカメラを用いて映画を撮り始める。

1980年からILMアニメーターとして働き、1984年まで所属した。

1986年、映像制作会社「Propaganda Films」を設立。マドンナジョージ・マイケルエアロスミスローリング・ストーンズなどのミュージック・ビデオや、数多くのCMを手掛けた。

1992年、『エイリアン3』で映画監督デビュー。だが、この作品は撮影中から様々なトラブルに見舞われ、完成した作品もスタジオ側に再編集されていることから、本人は自作として認めていない[6]。また、長編デビュー作が批評家から酷評され興行的にも失敗したことで意気消沈し、「新たに映画を撮るくらいなら、大腸癌で死んだ方がマシだ」と述べて、1年半の間に送られてきた脚本を全く読まなかった。

1995年ブラッド・ピットモーガン・フリーマンを主演に起用し、自身としては監督復帰作となったサスペンス映画セブン』が公開される。衝撃的なストーリーと際立った演出が高く評価された上に興行的にも成功したことにより、一躍注目されるようになる。その後、『ファイト・クラブ』(1999年)で再びピットとタッグを組んだものの、公開当時は批評家から暴力性を酷評され、国内興行でも失敗。しかし、21世紀に入ってから再評価されるようになり、カルト的人気を誇るようになった。

2008年にはピットと3度目のタッグとなった『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』で、自身としては初のアカデミー監督賞にノミネートされる。

2010年にはマーク・ザッカーバーグの半生を描いた『ソーシャル・ネットワーク』が批評的、興行的ともに大成功を収め、その評価の高さから「21世紀の市民ケーン」とまで評されたが、2度目のノミネートとなっていたアカデミー監督賞の受賞までには至らなかった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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