デンマーク
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1973年、デンマークはグリーンランドと共に、現在の欧州連合の加盟国となったが、独自の通貨であるクローネを保持するなど、特定のオプトアウト(英語版)について交渉を進めている。

デンマークはヨーロッパにおける生活水準の高い先進国の1国である。 北大西洋条約機構(NATO)、北欧理事会経済協力開発機構(OECD)、欧州安全保障協力機構(OSCE)、国際連合(UN)の創設メンバーの1国で、シェンゲン圏の一部でもある。デンマークは近隣のスカンジナビア諸国とは政治・文化・言語的に緊密な関係を維持しており、デンマーク語はノルウェー語スウェーデン語の両方と部分的に相互理解が可能となっている。ノルディックモデルの高福祉高負担国家であり、OECD各国中で最も個人所得税の高い国である[8]。市民の生活満足度は世界最高クラスで[9]、2014年の国連世界幸福度報告では幸福度第1位であった。様々な角度からのウェルビーイングは最高レベルであり[10]、世界で最も社会的流動性が高く[11] 、世界で最も腐敗が少なく[12]男女の賃金差はOECD中最小であった[10]。2023年の世界平和度指数では2位[13]、積極的平和指数では3位にランクインしている[14]。社会はグローバル化とデジタル化が進んでおり、それは家庭と企業活動において多大な利益をもたらしている[15]。デンマークは欧州において最もデジタル化された社会である[15]
国名詳細は「デンマークの国名(デンマーク語版)」を参照

デンマーク語による正式名称は、Danmark [danm?r??](発音をカタカナ書きにすると「ダンマルク」が近い)。

日本語の表記は、デンマーク(英語読み)。古くは、デンマルクと表記された。漢字による当て字は、丁抹で、丁と略される[16]

国名は、古ノルド語で「デーン人の土地」を意味する「ダンメルク(Danmork)」からで、北欧神話にもこの名で登場する。
歴史詳細は「デンマークの歴史」を参照.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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出典検索?: "デンマーク" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2023年6月)

デンマークには先史時代から人が住んでいたとされている。氷期の到来によって人はこの地を追われるが、紀元前12000年ごろから人が住み続けていると考えられている。農業は紀元前3000年ごろ始まったようだ。

ノルマン人の一派のデーン人ゲルマン民族移動の時代に到来し住みついた。その後、彼らは8世紀から11世紀にかけてのヴァイキングの時代にヨーロッパ諸国を侵略、また貿易を行った。彼らはユトランド半島を基盤にして、シェラン島スウェーデン南部に影響力を持っていた。11世紀初頭の30年間にはカヌート大王がデンマークとイングランドを支配した(北海帝国)。16世紀初めのカルマル同盟

14世紀後半にはマルグレーテ1世の手により、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーを支配下にしたカルマル同盟を築き大国として存在した。

1520年ストックホルムの血浴を契機に、1523年スウェーデンがカルマル同盟を脱し独立、スウェーデンとの300年にわたる抗争が始まった。伯爵戦争1534年?1536年)でクリスチャン3世が勝利したことにより、宗教改革が行われデンマークはルーテル派の国となった。クリスチャン4世1626年ドイツ三十年戦争に介入、敗退したことからデンマークの衰退が始まる。そして、トルステンソン戦争1643年?1645年)においてスウェーデンとの戦いで、完全にデンマークは小国へと転落した。17世紀初頭のスウェーデン・ロシア帝国間の大北方戦争においても、スウェーデンに敗れ、敗戦国扱いをされた。大北方戦争に敗れたスウェーデンと共に、デンマークも同様に北欧の没落を体験した。

近代に至りナポレオン戦争においても、フランスと同盟を結んでいたため、敗北、1814年キール条約によって、長年支配してきたノルウェーをスウェーデンに奪われた(ただノルウェー領であったアイスランドグリーンランドなどはデンマーク領として残された)。417年間続いたカルマル同盟はここに解消を告げたのである。その後、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題からプロイセン王国との2度に渡るシュレースヴィヒ戦争になり南部のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州などを失い、デンマークの経済は危機的状況に瀕した。植林などの産業振興によってこの危機を乗り越えた歴史は、日本では内村鑑三の『デンマルク国の話』で紹介され、広く親しまれた。苦難の時代ではあったが、デンマーク王室の王女たちがヨーロッパ諸国に嫁いだり、ギリシャ王国や独立時のノルウェー王国にデンマーク王家の分家が王として迎えられるなど、デンマーク王家は当時のヨーロッパ君主国の「ヨーロッパの義父」となった。

第一次世界大戦では中立を維持したが、第二次世界大戦では1940年ナチス・ドイツによって突然宣戦された。国王クリスチャン10世は亡命せずに一日で降伏を選び、デンマークはドイツの占領下に置かれることになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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