デレク・ジーター
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

オフに自身初となるゴールドグラブ賞を受賞した[15]

2005年は159試合に出場し、打率.309、10本塁打、70打点、14盗塁だった。オフには2年連続でゴールドグラブ賞を受賞した[16]

2006年は打率.343(リーグ2位)、213安打(リーグ3位)、34盗塁の好成績を残し、ゲーリー・シェフィールド松井秀喜が故障離脱するなど苦しいチームを地区優勝に導いたとしてMVP候補の最右翼に挙げられた[17]。結果はジャスティン・モルノーツインズ)にMVPを譲ったが、ハンク・アーロン賞シルバースラッガー賞、3年連続となるゴールドグラブ賞を受賞した。

2007年は156試合に出場し、打率.322、12本塁打、73打点、15盗塁だった。2年連続でシルバースラッガー賞を受賞したが、3年連続で受賞していたゴールドグラブ賞は受賞を逃してしまった。

2008年は150試合に出場し、打率.300、11本塁打、69打点、11盗塁だった。オフに3年連続となるシルバースラッガー賞を受賞した。ヤンキース球団安打記録樹立時(2009年)

2009年は8月16日のマリナーズ戦で、通算2674本目のヒットを放ち、ルイス・アパリシオが持っていた遊撃手としての通算安打数メジャーリーグ記録を更新した[18]。9月9日の対レイズ戦で、3安打でルー・ゲーリッグの持つヤンキースの安打記録2721本に並び、2日後のオリオールズ戦で記録を更新した[19]。シーズン前には年齢から「限界説」も唱えられていたが、例年3?4週間取るオフを2週間で切り上げ、下半身を徹底的に鍛え抜いたことにより、打率.334・18本塁打・30盗塁とキャリアハイに迫る活躍を見せ[20]、安打数も2年ぶりに200安打を放った。同年は守備範囲も広まり、守備指標の各数値で平均以上を記録[21]。オフには4年連続となるシルバースラッガー賞と3年ぶりのゴールドグラブ賞を受賞した。

2010年はシーズンを通して調子があがらず、打率.270と低迷したが、ファン投票でのオールスターゲーム出場は5年連続で達成した。また同年シーズンに、ベーブ・ルース越えの2874安打を放った。守備では遊撃手として両リーグ1位の守備率.989を記録し、自身5度目のゴールドグラブ賞を獲得。オフの12月7日にヤンキースと総額4800万ドルの3年契約(2014年・800万ドル+出来高900万ドルのオプション付き)に合意した[22][23]

2011年7月10日、タンパベイ・レイズ戦(ヤンキー・スタジアム)、通算安打2999本で第2打席目を迎える。大声援の中、フルカウントから粘った末にデビッド・プライス投手の8球目を左翼席に放った。ヤンキースのベンチからは総出でジータ―を出迎えて祝福し、レイズの選手もダグアウトから出て拍手を送った。ジータ―が打席に立ったときから起こっていた声援は更に大きくなり、数分間鳴り止まなかった[24]。この本塁打によってメジャー史上28人目・ヤンキース史上初の3000本安打を達成。本塁打での達成はウェイド・ボッグスに次ぐメジャー史上2人目の記録である。同試合では5打数5安打の活躍で決勝打も放ち、5対4でヤンキースが勝利。自らの偉業に花を添えた。シーズンでは終盤に復調して前年より打率は上がったが、本塁打はレギュラー定着後最低の6本で、連続二桁本塁打は15年で途切れた。

2012年は開幕から絶好調で、4月は打率4割を維持。シーズン中盤頃から調子を落とすも、後半から再び打率をあげて最終的に3年ぶりにシーズン打率3割を残し、リーグ最多の216安打を放った。ただし、盗塁はレギュラー定着後初めて1桁に終わった。デトロイト・タイガースとのALCSでは、第1戦の延長12回表にゴロを捌いた際に足首を骨折。全治3ヶ月の診断を受けて戦線離脱した。オフに3年ぶり5度目となるシルバースラッガー賞を受賞した。

2013年は前年の怪我の影響で、3月31日に15日間の故障者リスト入りし、4月27日に60日間の故障者リストへ異動[25]。7月11日に復帰した[26]が、同日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で大腿四頭筋を痛め[27]、7月19日に再び15日間の故障者リスト入りした[28]。7月28日に復帰[29]。復帰後は4試合に出場していたが、8月3日に右ふくらはぎを痛め、8月5日に再び15日間の故障者リスト入りした[30]。8月26日に復帰[31]。復帰後は12試合に出場していたが、9月8日に左足首を痛め、9月11日にこの年4度目となる15日間の故障者リスト入りした[32]。9月14日に60日間の故障者リストへ異動し[33]、そのままシーズンを終えた。この年は度重なる故障の影響で、17試合の出場にとどまり、打率.190、1本塁打、7打点だった。オフの11月1日にヤンキースと1200万ドルの1年契約に合意した[34]

2014年2月12日に、2014年シーズン限りで現役を引退することが発表された[35]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:289 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef