デレク・ジーター
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この年にレギュラーに定着し、打率.314を残して新人王を満票で受賞[13]。同年のポストシーズンでも活躍し、ヤンキースにとって18年ぶりのワールドシリーズチャンピオン奪取に大きく貢献した。

1997年は159試合に出場し、打率.291、10本塁打、70打点だった。

1998年は、6月4日から初の故障者リスト入りとなり12試合に欠場した[14]が、復帰後の8月には50安打を放ち、球団史上ディマジオの53安打(1941年7月)以来の月間50安打を達成。[14]月間MVPに選出された。この年は初めてオールスターゲームにも選出され、シーズンでは149試合に出場。打率.324・19本塁打・84打点・30盗塁を記録し、MVPの投票で3位に入った。本塁打数はロイ・スモーリーの遊撃手としての球団記録16を更新し、203安打を放ち、遊撃手として球団史上2人目となる200本安打を達成した[14]

1999年には打率.349(リーグ2位)、24本塁打、102打点、134得点(リーグ2位)、219安打(リーグ1位)、出塁率.438と、いずれも自己最高の成績を残した。

2000年は148試合に出場し、打率.339、15本塁打、73打点、22盗塁だった。

2001年にヤンキースと総額1億8,900万ドルの10年契約を結んだ。この年は150試合に出場し、打率.311、21本塁打、74打点、27盗塁だった。

2002年は157試合に出場し、打率.297・18本塁打・75打点・32盗塁だった。

2003年は4月1日に左肩の故障で15日間の故障者リスト入りし、5月13日に復帰。故障の影響で、5年連続選出されていたオールスターゲームには選ばれなかった。6月3日にはドン・マッティングリーが1991年 - 1995年に務めて以来空位となっていた、ヤンキース11代目のキャプテンに就任した。この年は119試合に出場し、打率.324、10本塁打、52打点、11盗塁だった。

2004年は2年ぶりにオールスターゲームに選出され、シーズンでは154試合に出場。打率.292、23本塁打、78打点、23盗塁だった。オフに自身初となるゴールドグラブ賞を受賞した[15]

2005年は159試合に出場し、打率.309、10本塁打、70打点、14盗塁だった。オフには2年連続でゴールドグラブ賞を受賞した[16]

2006年は打率.343(リーグ2位)、213安打(リーグ3位)、34盗塁の好成績を残し、ゲーリー・シェフィールド松井秀喜が故障離脱するなど苦しいチームを地区優勝に導いたとしてMVP候補の最右翼に挙げられた[17]。結果はジャスティン・モルノーツインズ)にMVPを譲ったが、ハンク・アーロン賞シルバースラッガー賞、3年連続となるゴールドグラブ賞を受賞した。

2007年は156試合に出場し、打率.322、12本塁打、73打点、15盗塁だった。2年連続でシルバースラッガー賞を受賞したが、3年連続で受賞していたゴールドグラブ賞は受賞を逃してしまった。

2008年は150試合に出場し、打率.300、11本塁打、69打点、11盗塁だった。オフに3年連続となるシルバースラッガー賞を受賞した。ヤンキース球団安打記録樹立時(2009年)

2009年は8月16日のマリナーズ戦で、通算2674本目のヒットを放ち、ルイス・アパリシオが持っていた遊撃手としての通算安打数メジャーリーグ記録を更新した[18]。9月9日の対レイズ戦で、3安打でルー・ゲーリッグの持つヤンキースの安打記録2721本に並び、2日後のオリオールズ戦で記録を更新した[19]。シーズン前には年齢から「限界説」も唱えられていたが、例年3?4週間取るオフを2週間で切り上げ、下半身を徹底的に鍛え抜いたことにより、打率.334・18本塁打・30盗塁とキャリアハイに迫る活躍を見せ[20]、安打数も2年ぶりに200安打を放った。同年は守備範囲も広まり、守備指標の各数値で平均以上を記録[21]。オフには4年連続となるシルバースラッガー賞と3年ぶりのゴールドグラブ賞を受賞した。

2010年はシーズンを通して調子があがらず、打率.270と低迷したが、ファン投票でのオールスターゲーム出場は5年連続で達成した。また同年シーズンに、ベーブ・ルース越えの2874安打を放った。守備では遊撃手として両リーグ1位の守備率.989を記録し、自身5度目のゴールドグラブ賞を獲得。オフの12月7日にヤンキースと総額4800万ドルの3年契約(2014年・800万ドル+出来高900万ドルのオプション付き)に合意した[22][23]

2011年7月10日、タンパベイ・レイズ戦(ヤンキー・スタジアム)、通算安打2999本で第2打席目を迎える。大声援の中、フルカウントから粘った末にデビッド・プライス投手の8球目を左翼席に放った。ヤンキースのベンチからは総出でジータ―を出迎えて祝福し、レイズの選手もダグアウトから出て拍手を送った。ジータ―が打席に立ったときから起こっていた声援は更に大きくなり、数分間鳴り止まなかった[24]。この本塁打によってメジャー史上28人目・ヤンキース史上初の3000本安打を達成。本塁打での達成はウェイド・ボッグスに次ぐメジャー史上2人目の記録である。


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