デルス・ウザーラ_(1975年の映画)
[Wikipedia|▼Menu]
撮影拠点となる沿海地方の都市アルセーニエフの周辺でロケが行われ、モスフィルムに所属する軍隊が護衛についた[6][7]シベリアの厳しい自然条件での撮影は過酷を極め、ソ連の撮影機器が旧式であるなど技術的な障害も立て続けに起きた[1]。さらにソ連は計画経済のため、フィルムの長さで撮影ノルマが決められ、日本とは全く異なる製作体制にも苦労した[1]。翌1975年4月28日に撮影は終了した[5]

作品に登場するトラは、当初は動物園で飼い慣らされたシベリアトラを使う予定だったが、黒澤が「目が死んでいる」と言ったところ、撮影所長の命令でシベリアで野生のトラを捕獲した[8]。しかし、トラは夜行性で昼間は殆ど動かないため、結局調教したトラを使って撮り足した[6]
評価

本作は海外で多くの映画賞を受賞している。第9回モスクワ国際映画祭では金賞と国際映画批評家連盟賞を受賞し[9]第48回アカデミー賞ではソ連代表作品として外国語映画賞を受賞した[10]。さらに、1977年にイタリアのダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で外国監督賞、ナストロ・ダルジェント賞で外国監督賞、1978年フランス映画批評家協会賞で外国語映画賞を受賞した[11]。第49回キネマ旬報ベスト・テンでは外国映画部門の5位にランクした[12]1995年にはバチカンが選ぶ45本の映画のリストに選出された[13]

映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには15件のレビューがあり、批評家支持率は73%で、平均点が7.65/10、観客支持率は94%となっている[14]
その他

オリジナルは映像70mm、音声6ch磁気
ステレオ録音であったが、費用の問題からか、日本国内で実際に上映されたのは35mm、光学音声のプリントが使われた。その後、数少ない70ミリプリントのうち、松江陽一プロデューサーが保管していたものがフィルムセンター(現 国立映画アーカイブ)の所有となり、2017年10月7日「甦る70mm上映『デルス・ウザーラ』」というイベントにて上映された。これはフィルムセンターにおける一般上映企画では、開館以来初めての70ミリフィルム上映の場となった。なお当日会場には野上照代も来場した。

当初の脚本に「悪い中国人が、獣を乱獲している」という台詞があった。当時、中ソ関係国境問題や社会主義路線の違いにより険悪になっていたため、中国を刺激しないように脚本を「悪い商人が」と書き換えられた。

黒澤映画で「スタッフ・キャストの表示がOPはごく一部で、ラストで全てをクレジットする」フォーマットが使われた、初の作品である。

映画プロデューサーのロジャー・コーマンの自伝『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか』において、これはアメリカ人に見せるべき価値のある映画だと反対を説き伏せて本作の配給権を買い取り、収益を挙げてアカデミー外国語映画賞にも至ったエピソードが綴られている。

原作訳書

『デルスウ・ウザーラ――沿海州探検行』
長谷川四郎訳、平凡社東洋文庫〉、1965年/普及版・平凡社、1975年/ワイド版2003年

アルセーニエフ『デルスー・ウザーラ』長谷川四郎訳、河出文庫 上・下、1995年、改訂版


アルセニエフ『デルス・ウザーラ』加藤九祚訳、角川文庫、1975年、抄訳版

アルセニエフ『デルス・ウザラ』安岡治子訳、小学館〈地球人ライブラリー〉、2001年、抄訳版

関連文献

『全集 黒澤明 第六巻』
岩波書店、1988年、再版2002年[15]「デルス・ウザーラ」脚本(野上照代注)および作品随筆を収録。解説:佐藤忠男岩本憲児

『黒澤明 樹海の迷宮 映画「デルス・ウザーラ」全記録 1971?1975』(野上照代、ヴラジーミル・ヴァシーリエフ、笹井隆男編、小学館、2015年)註付き「決定稿シナリオ」収録。編者は、黒澤組と現地スタッフ、黒澤本出版に長年関わっている編集者、池澤夏樹も寄稿。

ウラジーミル・ワシーリエフ『黒澤明と「デルス・ウザーラ」』池田正弘訳、東洋書店「ユーラシア・ブックレット」、2015年上記の現地スタッフによる回想、各・公開40周年出版

脚注
注釈^ ロシア語力点では「デルス・ウザラー」だが、日本では『デルス・ウザーラ』のタイトルで公開された。
^ 初訳版は『デルスウ・ウザーラ――アルセェニエフ氏のウスリイ紀行』長谷川濬長谷川四郎訳、満洲事情案内所、1942年

出典^ a b c d e f g h i 「解説・黒澤明の復活」(大系3 2010, pp. 714?721)
^ 都築 2010, p. 374.
^ a b c d e 松江陽一「『デルスウ・ウザーラ』撮影開始まで」(キネマ旬報増刊5・7号「デルスウ・ウザーラ製作記念特集・黒澤明ドキュメント」)。大系3 2010, pp. 115?122に所収
^ a b 「デルスウは30年前からの夢だった」(キネマ旬報増刊5・7号「デルスウ・ウザーラ製作記念特集・黒澤明ドキュメント」)。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:59 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef