パシュトゥーン人の居住圏がデュアランド・ラインで寸断されており、アフガニスタンのロヤ・ジルガは1949年に一方的にデュアランド・ラインの無効を宣言した。1947年にパキスタン独立をもって英領インドの実体は消滅した、という考えからであった。しかし新しい主権国家は独立前と同じ領土を継承する、という国際法の観点から、パキスタンとの合意なしにデュアランド・ラインの無効・変更はあり得ない状況である。
パシュトゥーン人の分断は、パキスタン・アフガニスタンの二国間関係の緊張要因となっており、両国で議席を持つパシュトゥーン人議員はデュアランド・ラインの廃止を求めている。現状はパシュトゥーン人は両国の入管に管理されることなく国境を往来している。またパキスタン軍は、過去数十年にわたって、デュアランド・ラインのアフガニスタン側に入った数キロの地点に軍事拠点を設け、両国の武力衝突は絶えない。2002年、アメリカの特殊部隊がデュアランド・ラインのアフガニスタン側数十キロの地点に派遣され[3][4]、2009年からはアメリカ軍とNATO軍がアフガニスタン側からパキスタン勢力と戦火を交えている。さらに、そのアメリカ軍とNATO軍が撤退した後にアフガニスタンで政権を取り戻したタリバンと、長年タリバンを支援してきたパキスタンの間で衝突が勃発している[5]。
デュアランド・ラインは現在、世界で最も危険な地域となっている。
脚注^ a b Daily Times (Pakistan), ‘Durand Line Treaty has not lapsed’, February 1, 2004.
^ Daily Times, Durand Line Agreement: 1893 pact had no expiry limit: expert, September 30, 2005
^ ⇒http://www.globalsecurity.org/military/facility/fb_shkin.htm
^ https://books.google.co.jp/books?id=_6f_3DobpdwC&pg=PA110&lpg=PA110&dq=shkin,+afghanistan,+most+dangerous&source=bl&ots=WOCr6_wvfZ&sig=tSVVTvPLsdcofhuAN2WE-4xOKag&hl=en&ei=GuxHSvr5HJ-ytweAtsTYBg&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y
^ ガングリー (2023-7-11). “混迷する南アジアの「ボッチ国」”. ニューズウィーク日本版(2023年7月18/25日号). CCCメディアハウス. p. 34-35.
関連項目
グレート・ゲーム
アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)
ワジリスタン紛争