政治運動不遇の時代を活動家として過ごした外山恒一は、連合赤軍よりも革マル派と中核派・解放派の内ゲバのほうが悪影響が大きかった、また全共闘運動の崩壊と入れ替わりに70年代の左翼シーンを席巻したのが反差別運動であったが、在日朝鮮人でも被差別部落民でも障害者でも琉球民族・アイヌ民族でも女性でもない一般男性に許されるのは自己否定のみとなり、衰退は必然だったとする[17][18]。
2000年代?機動隊が警戒する中で行なわれる、中核派系集団による反靖国神社デモ
2003年のイラク戦争に対する反戦デモでは数百、数千人規模の抗議がいくつかの都市部であったもの、東京での最も参加者が多かったデモでも主催者発表で4万人など安保闘争には及ばなかった[19]。
戦後の日本でデモと言えば、先述の安保闘争や反戦・反核といった左翼・リベラル系市民団体による徒歩デモや、街宣右翼による街宣車を連ねる反共演説デモが主流だったが、2000年代後半以降は脱原発反改憲の左翼系市民団体や行動する保守と呼ばれる右翼系市民団体はインターネットなどを通じた草の根運動化がそれぞれ進み、従来のデモとは異なり特定の所属組織を持たない一般市民を巻き込んだ徒歩デモが目立つようになった。
1990年代後半頃から、社会に不満を持つ若者は『ゴーマニズム宣言』や『マンガ嫌韓流』を読む風潮ができていた[17]。2009年の民主党政権誕生に危機感を抱いた保守層は、ナショナリズムを掲げたデモを次々に実行した。2011年のフジテレビ抗議デモに始まる反韓デモは、竹島奪還デモ、外国人参政権反対デモ、日韓断交デモなどと拡散し、2013年には排外主義によるヘイトスピーチ(憎悪表現)を叫ぶデモと、その主張に反対するカウンターデモが行われ応酬することも起こるなど[20][21]、激しさを増した。
2011年の福島第一原子力発電所事故がきっかけで同年6月11日に新宿で行われた「6.11 新宿原発やめろデモ!!!!!」は主催者発表で2万人が参加し、反原発デモはその後も2012年7月16日に主催者発表で約17万・警察発表で約7万5千人が参加した「さようなら原発10万人集会」など何度も行われ、毎週金曜日の夜に官邸前で行われたデモでは数万人規模となることもあった(6月29日は10数万人が警察の規制を振り切り国会議事堂正門前から皇居外堀通りに向かう車道を埋めたと伝えられている[22][23])[24][25][26][27][28]。
2015年前後には特定秘密保護法反対デモ、集団的自衛権反対デモなども各地で行われた。インターネット上でのデモ活動(ハッシュタグ・アクティヴィズム)の運動も起きた。
インターネットによる「動員の革命」の一方、一般社会全体は冷笑主義へと向かっていると言われ[29]、デモに対する嫌悪感も非常に強いものとなっている[30][31][32]。 人種差別撤廃をアピールするデモ行進。1963年8月28日にワシントンD.C.で行われたワシントン大行進は有名である。 アメリカ合衆国では、ファーストフード店の労働者らが最低賃金の引き上げを求める大規模デモを2014年9月に計画した[33]。その大規模デモは、150以上の都市で行われ、マクドナルド、バーガーキング、ピザハットなどの労働者は、連帯して最低賃金を時給15米ドルまで上げるよう求めていた。この継続的な一連のデモは「15ドルのための闘い」と題し、大きな動きとなった。 これらのデモ活動が、政治に影響力を与え始めた。アメリカ合衆国連邦政府が定める最低賃金は、時給7ドル25セント(2015年時点)であるが、各州が独自に設定もできる(アメリカは州が一国相当)。ニューヨーク州知事アンドリュー・クオモとその諮問機関が、最低賃金を15ドルまで引き上げることに賛同して以来、ニューヨーク州では15ドル水準の最低賃金が現実味を帯びてきている[34]。ニューヨーク州が動けば残りの州も追随するだろうとクオモは語る。バーニー・サンダースは、2020年までに国内全域で最低賃金を15ドルと定める法案を連邦議会に提出しており、マーチン・オマリーも最低賃金引き上げ支持を表明している[34]。 人々による熱心なデモの成果が出た。2016年4月上旬、アンドリュー・クオモはニューヨーク市とその周辺地域の最低賃金を時給15ドルに引き上げるための法案に署名した。ほぼ同時期に、カリフォルニア州知事ジェリー・ブラウンはカリフォルニア州の最低賃金を、現状の時給10ドルから2023年までに時給15ドルに引き上げる法案に署名した[35]。ブラウンは以下のように語る―「この法案は経済的正義のためであり、人々のためであり(資本主義経済下では自然と格差が拡大し)、アンバランスが生じるシステムにいくらかのバランスを与えるための処置だ。今日は重要な日であるが(最低賃金を15ドルにしても、貧困などの問題への解決にはまだ遠いのであり)、これからさらに前進するための重要な第一歩でしかない。前進し続けよう。我々は立ち止まってはいられない」[35]。 進化論教育や人工妊娠中絶を巡るデモ。 2018年2月14日、フロリダ州のマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で銃乱射事件が発生すると、同校の生徒を中心に銃規制を訴える行動が盛んになった。2018年3月24日、生徒達がワシントンD.C.で企画した銃規制要求デモは、数十万人が集結するという全米でも近年まれにみる規模となり、アトランタ、ボストン、シカゴ、シンシナティ、ダラス、ヒューストン、ロサンゼルス、マイアミ、ミネアポリス、ナッシュビル、シアトルなど各都市へも波及した[36]
アメリカ合衆国のデモ
人種
労働
キリスト教2005年9月24日に行われたワシントンD.C.での反戦デモ。横断幕には「ブッシュ、チェイニー、イラク、カトリーナ――インテリジェント・デザインはその位にしとけ」と書かれている。
銃規制
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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