デビッド・ベッカム
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ギャラクシーでのデビュー戦は、7月21日に行われたワールドシリーズのチェルシーFC戦であり、0-1で敗れたが、ベッカムは78分から出場した[56]。8月9日のD.C. ユナイテッド戦に途中出場し、リーグデビューを果たした[57]

翌週のスーパーリーガ準決勝のD.C.ユナイテッド戦はで初めてスターティングメンバーとして出場し、キャプテンを務めた。試合中にイエローカードを貰いはしたものの、前半にフリーキックから初ゴールを決め、後半にはランドン・ドノバンの得点をアシストした[58]。チームも2-0で勝利し、8月29日のパチューカとの決勝戦に進むことになった。決勝戦でベッカムは右足の膝を負傷し、MRIを行った結果、内側側副靭帯の損傷であることが判明し、その後6週間チームから離脱することになった。チームに復帰したのはシーズンの最終戦であった。10月21日に行われたシカゴ・ファイアーとの最終戦で途中交代で出場したが、チームは0-1で敗れ、プレーオフに進出することは出来なかった。デビューシーズンはリーグ戦5試合を含め、8試合に出場、リーグ戦では得点を挙げられなかったが、2アシストを記録した。

2008年1月4日から、ギャラクシーのプレシーズンが始まるまでの3週間、アーセナルの練習に参加した[59]

リーグ戦初得点は、4月3日のサンノゼ・アースクエイクス戦の前半9分に決めたものであった[60]。5月24日のカンザスシティ・ウィザーズ戦で3-1で勝ち、チームは西カンファレンスの首位に浮上した。その試合の終了間際に、ベッカムは1996年に決めたゴールと同じような位置から、無人のゴールにシュートを入れた[61]。しかし、ギャラクシーは最終的にカンファレンス6位の成績に終わり、プレーオフ進出を果たすことは出来なかった。

2009年シーズンは、ACミランとのレンタル契約延長のため、シーズンの前半を欠場し、そのために2009年7月19日に行われたACミランとの親善試合でファンから「詐欺師」などとブーイングを浴びるなど[62]、チームに復帰したベッカムを良く思わないファンもいたが、ギャラクシーは近年で最も良いシーズンを送り、ベッカム復帰後にチームは西カンファレンスの3位から首位に浮上した。ベッカムはチームの中心選手として活躍し、MLSカップではヒューストン・ダイナモを2-0で降し、決勝進出を果たした[63]。2009年11月22日に行われた決勝のレアル・ソルトレイク戦ではベッカムもフル出場したが、延長戦を終えても1-1のまま決着はつかず、PK戦の末に4-5で敗れた[64]
ACミランレンタル移籍中のミランでプレーするベッカム(2009年)

ワールドカップの予選はMLSのシーズンオフにも行われるためベッカムは、ファビオ・カペッロ率いるイングランド代表でプレイするためのコンディションを維持するために、ヨーロッパに戻るのでないかとの噂が流れ、2008年10月22日にACミランは、2009年1月7日から、ベッカムがレンタルで加入すると発表した[65]。様々な憶測がなされたが、ベッカムはMLSを去る意思はなく、2009年3月の開幕にはギャラクシーに戻ると明らかにした[66]。一部からは、マーケティング目的の移籍であると揶揄されたが、ミランはチームを強化するために必要な移籍であると主張した[67]。7番と23番は既に他の選手が付けていたため、ベッカムは32番を選んだ。メディカルチェックを終えたベッカムは、クラブの医師から、38歳になる5年後までサッカー選手としてプレイすることが可能だと告げられた[68]

2009年1月10日の2-2で引き分けたASローマ戦でスターティングメンバーとして89分まで出場し、セリエAデビューを飾り[69]、4-1で勝利した1月25日のボローニャFC戦で初ゴールを決めた[70]

3月にはミラノからロサンゼルスへ戻ることになっていたが、ベッカムは最初の4試合で2ゴールを挙げ、数アシストを記録するなどの活躍をすると、ミランに残りたいと希望し、ミランもベッカム残留のために数百万ドルを支払う意思があるとの報道がされた。2月4日には、2010 FIFAワールドカップでイングランド代表としてプレイするためにも、ベッカムはミランに完全移籍することを求めていることが明らかになったが、ミランの提示した1000-1500万ドルの金額は、ギャラクシーのベッカムへの評価に見合う額ではなかった[71]

しかし、交渉は1ヶ月間続き[72]、3月2日のロサンゼルス・タイムズは、ベッカムの移籍期間は7月中旬まで延長されたと報じ[73]、ベッカムも7月中旬から、2009年のMLSのシーズン終了まで、ロサンゼルス・ギャラクシーでプレイをすると話した[74]

2009年11月、2010年1月から再びレンタルでACミランに加入することが明らかになった[75]。セリエAに復帰して初めて迎えた2010年1月6日に行われたジェノアCFC戦にスターティングメンバーとして75分間出場し、チームも5-2で勝利した[76]。2010年2月16日には2003年にクラブを離れてから初めてマンチェスター・ユナイテッドと対戦し、ベッカムも76分間プレイしたが、チームはサン・シーロで行われたチャンピオンズリーグの決勝トーナメント1回戦のファーストレグを2-3で落とした[77]

2010年3月10日、ベッカムは2ndレグの試合のためにミランの選手としてオールド・トラッフォードに帰還した。スターティングメンバーからは外れたが、交代で64分から出場すると、ファンからは温かい歓迎を受けた。オールド・トラッフォードでマンチェスター・ユナイテッドと対戦するのは初めての経験であったが、クロスとコーナーキックからチャンスを演出した。しかし、チームは0-4で敗れ、トータルスコア2-7で1回戦敗退となってしまった[78]。その後に行われたACキエーヴォ・ヴェローナ戦にはスターティングメンバーとして出場したが、アキレス腱断裂の重傷を負ってしまった[79]。2010年3月15日にフィンランドトゥルクでサカリ・オラヴァ医師の手術を受け[80]、手術を終えたオラヴァは「現段階ではすべて上手くいっている。」と、述べた[81]
ロサンゼルス・ギャラクシー復帰後ロサンゼルス・ギャラクシーでプレイするベッカム(2010年)

2009-10シーズン終了後はロサンゼルス・ギャラクシーに復帰し、怪我が完治した9月11日には実戦にも復帰。2得点を挙げるなど、ギャラクシーの地区優勝とサポーターズシールド(レギュラーシーズン1位)獲得に貢献した。

シーズン終了後の2010年12月、当時プレミアリーグトッテナムの監督であったハリー・レドナップがベッカムに興味を示していると報じられ、1月にはミランと同じように期限付き移籍での加入が目前とも報じられたが、保険の問題で破談となった。しかしレドナップはベッカムがチームにいい影響をもたらすとの判断から練習への参加を打診し、ベッカムとギャラクシーもこれを受諾した[82]

2012年11月19日、シーズン限りでのロサンゼルス・ギャラクシー退団が発表された[83]
パリ・サンジェルマン

2013年1月31日の移籍期限日を前に移籍のためのメディカルチェックをパリ・サンジェルマンFCと行っていることが明らかとなった[84]。その日の午後に5ヶ月間の契約を結んだことが発表され[85]、併せて受け取る年俸はすべて地元の子どものための慈善団体へ寄附する意向であることが発表された[86]


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