デニス・ロー
[Wikipedia|▼Menu]
1958年10月18日にはウェールズ戦で代表デビューを果たす。1960年マンチェスター・シティへ移籍、ここでの活躍が認められ、1961年、当時イングランドの移籍金最高額でイタリアトリノへ移籍。しかし思うような結果が出せず1シーズンでイングランド・フットボールリーグへ復帰し、1962年マンチェスター・ユナイテッドへ移籍、マンチェスターの両クラブでプレーした初の選手となった[3]

1964年にはスコットランド人初のバロンドールを受賞、1964-65、1966-67シーズンにはリーグ優勝に貢献。FAカップも2度獲得し、彼が決めた40ゴールはイアン・ラッシュが塗り替えるまで同大会での最多得点記録だった[2]。1967-1968にマンチェスター・ユナイテッドはUEFAチャンピオンズリーグでも優勝したが、怪我により入院していたローは決勝のピッチに立つことが出来なかった[2]。しかし後日、監督であるマット・バスビービッグイヤーを持ってローの病室を訪れた[2]。マンチェスター・ユナイテッドでは通算404試合に出場237ゴールを挙げた[2]

1973年古巣マンチェスター・シティへ移籍、ここで1シーズンを過ごし、1974年34歳で現役を引退した。ローが決めた現役最後のゴールは、マンチェスター・ユナイテッドの2部リーグ降格を決めるものだった[2]

2002年には、イングランドサッカー殿堂に選ばれている。
所属クラブ

1956-1960
ハダースフィールド・タウン

1960-1961 マンチェスター・シティ

1961-1962 トリノ

1962-1973 マンチェスター・ユナイテッド

1973-1974 マンチェスター・シティ

出典^ a b c “ ⇒デニス・ベルカンプ(3)EURO92で、先輩デニスばりに後方から走り上がり見事なゴールを演じた”. 賀川サッカーライブラリー (2009年6月16日). 2014年5月12日閲覧。
^ a b c d e f “Dennis Law”. Manchester United. 2021年3月25日閲覧。
^ “'I'm the last Busby babe... when I signed for City, the fans booed me in the warm up!': Sammy McIlroy talks crossing the Manchester divide, walking off a team flight at United and how he cheated death while on his way to get a fish and chips” (英語). デイリーメール. 2022年4月6日閲覧。

 受賞歴










バロンドール受賞者
1950年代

56: マシューズ

57: ディ・ステファノ

58: コパ

59: ディ・ステファノ

1960年代

60: スアレス

61: シボリ

62: マソプスト

63: ヤシン

64: ロー

65: エウゼビオ

66: チャールトン

67: アルベルト

68: ベスト

69: リベラ

1970年代

70: ミュラー

71: クライフ

72: ベッケンバウアー

73: クライフ

74: クライフ

75: ブロヒン

76: ベッケンバウアー

77: シモンセン

78: キーガン

79: キーガン

1980年代

80: ルンメニゲ

81: ルンメニゲ

82: ロッシ

83: プラティニ

84: プラティニ

85: プラティニ

86: ベラノフ

87: フリット

88: ファン・バステン

89: ファン・バステン

1990年代

90: マテウス

91: パパン

92: ファン・バステン

93: バッジョ

94: ストイチコフ

95: ウェア

96: ザマー

97: ロナウド

98: ジダン

99: リバウド

2000年代

00: フィーゴ

01: オーウェン

02: ロナウド

03: ネドベド


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:60 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef