デニス・リー・ホッパー(Dennis Lee Hopper、1936年5月17日 - 2010年5月29日)はアメリカの俳優、映画監督、映画プロデューサー、芸術家。 家系としてはイングランド系、アイルランド系、スコットランド系、ウェールズ系、オランダ系の血を引く。カンザス州ドッジシティ出身。13歳の頃、ウィリアム・シェイクスピアの演劇で複数の配役をこなしシェークスピア奨学金を得ていた。17歳でプロの劇団「ラ・ジョラ・プレイハウス」に入団し俳優としてデビューを果たした。1955年、テレビドラマ『メディック』のてんかん患者役を演じて評価されワーナー・ブラザースと契約を結んだ[1]。 ジェームズ・ディーン主演の『理由なき反抗』及び『ジャイアンツ』に出演。 1967年『白昼の幻想』でジャック・ニコルソンを脚本、ピーター・フォンダを俳優として迎え、1969年にはその2人を起用して監督・脚本・主演した『イージー・ライダー』はアメリカン・ニューシネマの代表作となり、ホッパーの名前も知られるようになった。本作でカンヌ国際映画祭新人監督賞を受賞し、アカデミー脚本賞にノミネートされる。1970年代には飲酒や麻薬の問題、また映画会社との確執などで役に恵まれなかったが、1986年にデヴィッド・リンチが監督をした『ブルーベルベット』で復帰した。1988年、監督作品となる『カラーズ 天使の消えた街』では、実在するストリート・ギャングをエキストラに起用して話題となり[2]、全米週末興行収入成績第1位を記録した[3]。1990年『パリス・トラウト/静かなる狂気』で、実在した犯罪王パリス・トラウト
来歴
一方で、絵画や写真に関しても造詣が深く、画家として個展を開くなど精力的に活動。日本において「デニス・ホッパー写真展」が催された[1]。
1991年に東京で行われたコム・デ・ギャルソンのファッションショー[1]や、1995年に審査員を務めたゆうばり国際ファンタスティック映画祭などで度々来日している[1][4]。また、トヨタ・セリカ(ST200系)、ツムラバスクリンなど、日本企業のCMへの出演歴もある[1]。