デジタルオーディオプレーヤー
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近年ではアップルもiPodに付属させていない機種も多い。

歴史

初期の携帯音楽プレーヤー1979年に登場したウォークマンに代表されるアナログカセットテープ タイプのものだった。これによって部屋の中だけで聴いていた音楽が、外の世界へと開放された。CD登場後は携帯CDプレーヤーが隆盛したものの、用途は再生のみに限られていた。CDは2000年頃までは自作できる環境が整っておらず、ユーザーの好みの曲だけを集めたオリジナル編集CDの作成が困難であったため、レンタルCDをテープに録音し、音楽CD自体を所有しないユーザーからはカセットテーププレーヤーの方が珍重され、カセットから携帯CDプレーヤーへの置き換えには至らなかった。その後、8cmCDが出たものの、容量の少なさやプレーヤーの小型化技術が発達していなかったことがネックになっていた。

このため、携帯機器にふさわしいよりコンパクトで、簡易なメカニズムで書き込みや書き換えができるシステムの登場が待たれていた[誰?]。1980年代後半に高度な高能率符号化による圧縮技術の開発が進み、1992年にはソニーがMD(ミニディスク)を、パナソニックフィリップスデジタルコンパクトカセットを出している。MDは急速に普及し、この時点での携帯音楽メディアのスタンダードになると思われた[誰?]。しかし1993年に動画のパッケージメディアおよび伝送のためにMPEG1が規格化され、その音声部分の符号化方式としてつくられたMPEG Audio(Layer1?3)の登場が期待されるようにもなっていた[誰?]。

同じ頃、不揮発性メモリの本命となったフラッシュメモリが実用化され普及が始まっていた。当初はMPEGオーディオコーデックと組み合わせ、放送機器など業務用のオーディオ記録再生装置に使用されていたが、1995年ころから「シリコンオーディオ」「ソリッドオーディオ」などの名称で携帯型の試作品が発表された。LSIの高密度化によって、コンシューマ製品に導入されるのは目前に迫っていた。

そんな中、日本では韓国サムスン系のセハン情報システムズ社が1998年2月に世界で初めて発売した「mpman」の輸入販売がMP3プレーヤーの嚆矢となる。日本メーカーなどが著作権の問題などでインターネットでの音楽配信を躊躇い、CDからMDに録音するというスタイルを延命させようとする中での発売だった。当時、内蔵メモリー64 MBモデルの価格が53,000円で、特許ライセンスの関係でMP3エンコーダーは付属しておらず、自前で用意する必要があった。この機器は多くの好事家の興味を引き、雑誌などで盛んに紹介されたものの、高価格と入手難、マイナーメーカーの製品であること、なによりも当時すでに問題になっていた違法コピーのイメージから来る胡散臭さとあいまって、広く知られるまでには至らなかった。

同年5月には、SolidAudioという携帯プレーヤーをNTT神戸製鋼所が共同で開発中であると発表された。このSolidAudioはTwinVQというNTTが開発した独自の圧縮フォーマットを採用しており、著作権の管理機構と専用の販売ルートを持つ、今日のITunes Music Storeに似たコンセプトの機器だった。しかしTwinVQにのみ対応するSolidAudioは、その利便性の悪さ等が原因となり、あまり普及せずに終わっている。こうした状況を受け、その後、日立マクセル富士フイルムAXIA等から次々とTwinVQ以外のMP3やWMAといった、広く使われている圧縮形式にも対応する後期SolidAudio(AXIA ZeroCORE等)が発売され、現在のMP3プレーヤーの先駆けとなった。

そして、後述の裁判の影響で発売が伸び、1998年のボーナス商戦にかろうじて間に合ったダイヤモンドマルチメディア社のRio PMP300が発売される事となる。容量は内蔵32MBに加え、スマートメディアで増設が可能だった。当時オープン価格で発売されたが、各店舗の実質的な販売価格は2万7800円だった。

この時期はWindows 98およびMMX Pentiumの普及拡大期と重なる。しかしエンコードには未だ再生時間の数倍の時間がかかっていた。当時の市場ではUSBは標準装備され普及していたものの、まだ技術的に十分成熟しておらず一般的なインターフェイスではなかったため、この時期のプレーヤーの内蔵メモリーへのデータ転送にはパラレルポートを用いるものが一般的だった。

アメリカでは、Eiger Labs F10という容量32 MBの製品が1998年夏ごろ登場しているが、普及には至っていない。同年9月にDiamond Multimedia社は、買収した韓国DIGITALCAST社(mpmanの共同開発企業)の製品を元にしたRio PMP300を発表したが、アメリカレコード協会 (RIAA) から違法コピーを助長するとして販売差し止め請求が裁判所に提訴された。結果的にこの請求は米連邦地裁によって却下され、RIOはクリスマス商戦に間に合うように発売され (199US$)、大きな成功を収める。PMP300にはCDからのリッピングとエンコードを行うJukebox MP3というソフトウェアが付属していた。

1999年になると、USBへの対応を強化した「Microsoft Windows 98 Second Edition」が発売された。これに合わせるかのように、DiamondはRioをバージョンアップさせた"Rio500"を発売。Rio500は、11 Mbpsで転送可能なUSBをサポートして、1曲の転送時間を5秒前後にまで押さえ込み、メモリーも内蔵64 MB(スマートメディアで拡張可能)を搭載した。当時流行していたスケルトン調のデザインや、Windows/Mac問わず利用できる点、実際のオーディオ機器に近づいたシンプルなインターフェース、ジョグダイアルによる快適な操作性などから高く評価され、ヒット商品となった。未完成な点は多かったものの、コンシュマー向け製品としての問題が解決され、初めての実用的なMP3プレーヤーだったと言えよう。Rio500ではMP3プレーヤーの歴史上初めて"DIGITAL AUDIO PLAYER"の文字が液晶下に刻まれている。

またRio500はAudibleという語学コンテンツ向けフォーマットにも対応しており、音楽だけではないMP3プレーヤーの可能性を開拓。楽曲配信サービスRioport.comにも対応しており、現在のiTunes Music Storeのようなサービスが受けられたものの、当時の通信インフラ(56 kbpsアナログモデムが主流)や普及率などの問題があり、展開が早すぎたため失敗した。

この様に、初期の機器がMP3フォーマットの音楽再生用機器として発売された歴史的経緯から、MP3プレーヤーという名称が今日まで使用されている。しかし、その後に独自技術で参入する企業が多かったこともあって、現在の携帯圧縮音楽再生機器は複数の圧縮フォーマットが再生可能となっており、MP3プレーヤーという言葉は実態に即しておらず、必ずしも正しくない。より正確を期すならデジタルオーディオプレーヤーが相応であろう。
容量増大への模索

2000年代に入り国内パソコンメーカーが発売するパソコンの多くにCD-RWドライブが標準で搭載されるようになりCD-Rレコーダーが普及すると、これにMP3ファイルを焼きつけてプレーヤーで再生する製品が発売される様になった。当時のフラッシュメモリのMP3プレーヤー製品は、内蔵メモリーの容量として64MB?128MBの物が多く、また外部インターフェースを持つ製品では、当時の低容量かつ高価なメモリーカードを買い足す事で増量が可能という製品が多かった。


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