デジタルアニメ
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その後、1983年から1984年にかけて1985年、高橋克雄(東京中央プロダクション・映像作家)が伊勢丹の協力のもと、マルチシンクロシステム型映像展示を行い、コンピュータグラフィックスによる映像作品を電子ポスターとして発表[10][11]

1986年、ソニーの協力のもと東京中央プロダクションは複数台のコンピュータを同期させて巨大マルチ画面の中をデジタルアニメが通過していく迫力ある大型マルチシンクロシステム型映像展示に成功。銀座ソニービルにて公開され、話題となった[11]

1987年、金子満がメトロライトスタジオの設立に参加。CGによる視覚効果技術に貢献するなどアメリカで活躍し、日本でも本格的なSFX技術の研究が広がる。『ゴルゴ13』や『SF新世紀レンズマン』では、特定のシーンのみ2DCGや3DCGで作成した描画をセルアニメと合成する形態で異次元の視覚効果を狙った演出が行われている[1]

1988年の『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』では、回転するスペースコロニーに3DCGが導入されたが、セル画との質感の差を軽減するためCGモデルの表面に手描きの背景美術を貼り付けるテクスチャマッピングが利用された。

この時期にはアニメ関係で本格的なCG技術を有する会社はなかったため、テレシネや光学合成など映像編集技術を有する会社に委託するため費用がかかることから、長編映画での限定的な導入にとどまっていた。『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のCGは、ポストプロダクションであるトーヨーリンクスが担当しており、映像は1989年の『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』に流用されている。
セル画からデジタルへ(1990年代以降)

本格的にデジタル化が進められるのは1990年代に入ってからである。特に1993年頃、米国ハリウッドで制作された「ジュラシック・パーク」を筆頭とする映画の大胆かつ緻密なCGは、分野を問わず世界に大きな衝撃を与えた。先進的な映画に影響されて各社においてもアニメ制作のデジタル化は推し進められ、日本では1997年から2002年の5年間に、セル画からデジタル彩色へと移行していった。

彩色については、1993年から東映動画がセルシスの開発したアニメ制作ツールを導入しており[12]1996年には、東映動画はセルシスが開発したアニメ制作ツール『RETAS! Pro』を導入し20%の経費節減に成功した[13]。同年、GONZOが『LUNAR シルバースターストーリー』(角川書店発売のゲーム)で日本初のフルデジタル彩色アニメに挑戦。

押井守らによりアニメにおける自然なCG利用法が模索された。1993年機動警察パトレイバー2 the Movieでは当時のCGの無機質さを活かして作中のデジタル機器の画面を中心にCGが用いられ、場面にマッチした違和感の少ないCG描画が実現された。1995年GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊ではデジタルエフェクトが導入され、画面奥方向の距離に応じた歪みを加えるなど、セル画では難しい緻密な描画が実現された。

テレビアニメでは、1997年4月の『ゲゲゲの鬼太郎 (第4期)』(第64話以降)や『超特急ヒカリアン』等で本格的にデジタル彩色の導入を開始したが、それ以前の作品にも部分的にデジタル彩色が使用された事例がある(後述)。

1999年のアニメ版『エクセルサーガ』(アニメ制作: J.C.STAFF)のころには、アニメ版のストーリー中(第17話「アニメーションUSA」)で、アニメ版『エクセルサーガ』自身も含んでセル画ではなくデジタル彩色であり、当時すでに日本のアニメ産業では多くの作品セル画ではなくデジタル彩色の作品が多いというエピソードがあった。

デジタル「彩色」とは言うものの、実際にはセル画の実物を省く工程であるので、90年後半のこのころ、彩色だけでなく撮影や特殊効果(透過光など)の工程もデジタル化していった。

1997年の『劇場版 新世紀エヴァンゲリオン』では、撮影のデジタル化によって、メカなどの動きで従来(テレビ放送版)のセル画では不可能だった動きが実現できるようになったとパンフレットなどで喧伝されていた。
3DCGアニメーションの登場

1993年に全編3DCGによるアニメ番組『ネオ・ハイパー・キッズ』(日本テレビ)内の4週連続アニメ番組が先駆けとして登場した。アニメ業界からは、1995年に全編コンピューターによる色塗りが行われたテレビシリーズ『ビット・ザ・キューピッド』が制作された。なお、アーケードゲームでは既にリアリティを体感できる水準のフル3DCGの作品が制作されており、『バーチャファイター』や『リッジレーサー』等がヒット作となっていた。また家庭用ゲーム機も3Dに特化したプロセッサや光ディスクを採用した第5世代機が登場し、アーケードの3DCGゲームを遜色ないレベルで遊ぶことが可能となっていた。3DCGゲームのヒットによりCG技術を有するゲーム会社も多く登場し、CG業界はゲームを中心に活性化していった。

1998年のテレビアニメ『頭文字D』ではセルアニメと3DCGが併用された[14]。同年のGONZO制作のOVAシリーズ『 青の6号』はOVA初のフルデジタルアニメとして宣伝された[15]

2000年代以降は市販のPCでも高性能モデルであれば3DCGを取り扱えるようになり、1台数百万円の専用機を使用していた時代に比べコストは低下したものの、ソフトウェアの高度化により学習時間が長くなったことから、フルCGアニメを単独で制作できるのはポリゴン・ピクチュアズなどノウハウと人材が揃った会社に限られる。このため3DCG部分のみサンジゲングラフィニカオレンジなどの専門業者に委託したり[16]、自動車や銃器など正確な描写が求められる機械類に市販のCGモデルを利用するなど部分的な導入が普及している。


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