こうした中、1371年にデイヴィッド2世はエディンバラ城で死去した。1362年に死別した最初の妃ジョーンとの間にも、1364年2月20日に再婚した2番目の妃マーガレット・ドラモンドとの間にも子供はなく[11]、甥で摂政として実質的にスコットランドを統治していたロバート・ステュアートがロバート2世として王位に就き、ステュアート朝を開いた。
脚注^ David II king of Scotland Encyclopadia Britannica
^ 森、p. 133
^ a b 森、p. 134
^ a b c 森、p. 135
^ 森、p. 138
^ 森、pp. 138 - 139
^ 森、p. 140
^ 森、p. 142
^ 森、pp. 142 - 143
^ 森、p. 143
^ 1370年にマーガレットが流産したため、離婚した(森、p. 144)。
参考文献
森護 『スコットランド王室史話』 大修館書店、1988年
表
話
編
歴
スコットランド王(1329年 - 1371年)
アルピン朝
ケネス1世848-858
ドナルド1世(英語版)859-863
コンスタンティン1世(英語版)863-877
エイ(英語版)877-878
ギリック(英語版)878-889
ヨーカ(英語版)878-889
ドナルド2世889-900
コンスタンティン2世(英語版)900-942
マルカム1世(英語版)942-954
インダルフ(英語版)954-962
ダフ(英語版)962-967
カリン(英語版)967-971
ケネス2世(英語版)971-995
コンスタンティン3世(英語版)995-997
ケネス3世(英語版)997-1005
マルカム2世1005-1034
アサル朝
ダンカン1世1034-1040
マリ朝
マクベス1040-1057
ルーラッハ1057-1058
アサル朝
マルカム3世1058-1093
ドナルド3世1093-1094
ダンカン2世1094
ドナルド3世1094-1097
エドガー1097-1107
アレグザンダー1世1107-1124
デイヴィッド1世1124-1153
マルカム4世1153-1165
ウィリアム1世1165-1214
アレグザンダー2世1214-1249
アレグザンダー3世1249-1286
ユングリング家
マーガレット1286-1290
ベイリャル家
ジョン・ベイリャル1292-1296
ブルース朝
ロバート1世1306-1329
デイヴィッド2世1329-1371
ベイリャル家
エドワード・ベイリャル1332-1356
ステュアート朝
ロバート2世1371-1390
ロバート3世1390-1406
ジェームズ1世1406-1437
ジェームズ2世1437-1460
ジェームズ3世1460-1488
ジェームズ4世1488-1513
ジェームズ5世1513-1542
メアリー1世1542-1567
ジェームズ6世1567-1625
チャールズ1世1625-1649
チャールズ2世1660-1685