デイトン合意
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和平協議はアメリカ国務長官ウォーレン・クリストファーが進め、また交渉には国務次官補(ヨーロッパカナダ担当)リチャード・ホルブルックがあたり、共同議長は欧州連合 (EU) ボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表カール・ビルトとロシア外務第一次官イーゴリ・イワノフが務めた。このほか重要な出席者としてアメリカ代表団には、のちの1997年にNATO欧州連合軍最高司令官となるウェズリー・クラーク(英語版)や、イギリス軍からは2005年に欧州連合部隊(EUFOR)司令官となるデイヴィッド・リーキーがいた。またNPOである国際公法・政策グループ(Public International Law & Policy Group, PILPG)が協議期間中、ボスニア政府代表団の法律顧問を務めた。

1995年11月21日にデイトンでの協議が終了し、その後同年12月14日にフランスのパリで正式な合意文書が署名された。この署名の場には当事3か国の首脳のほかに、フランス大統領ジャック・シラクアメリカ合衆国大統領ビル・クリントンイギリス首相ジョン・メージャードイツ連邦首相ヘルムート・コールロシア首相ヴィクトル・チェルノムイルジンが同席した。

現在のボスニア・ヘルツェゴヴィナの構成区分や政体はデイトン合意の第4付属書で作成された憲法に記載されている。この憲法の重要な点は、セルビア人主体のスルプスカ共和国と、ボシュニャク人およびクロアチア人主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦という、2つの実体の間の境界線が定められたことであり、付属書ではそれに向けた多くの実務作業が記載されている。

合意文書ではさまざまな国際機関に対して、決定された合意内容の監視や監督、履行が求められている。NATO主導の和平履行部隊(IFOR)は合意に定められた軍事行動を行うとされ、国際連合保護軍(UNPROFOR)に代わって1995年12月20日に配備された。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ この合意について、「デイトン条約」とする誤用が散見される。

出典^ 佐原徹哉 (2008年3月20日). ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化. 日本、東京: 有志舎. ISBN 978-4-903426-12-9 

関連項目

ユーゴスラビア紛争

ワシントン合意

外部リンク

合意全文

ボスニア語正文OSCE

クロアチア語正文(OSCE)

英語正文アメリカ合衆国国務省

英語正文(欧州連合ボスニア・ヘルツェゴヴィナ上級代表事務所)

セルビア語正文(OSCE)


Dragoljub Petrovic, ⇒Bosnia: a single country or an apple of discord? Bosnian Institute 2006年5月12日 (英語)

Beyond Dayton: The Balkans and Euro-Atlantic Integration U.S. Institute of Peace 2005年11月21日(英語)










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