ディープインパクト_(競走馬)
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また、3着に敗れたマイネルレコルト鞍上の後藤浩輝は、「ディープインパクトに並ばれた時、威圧感を感じました」とコメントした[41]

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2005年 弥生賞 JRA

第65回皐月賞では、単勝支持率が63.0パーセント(オッズは1.3倍)と1951年(昭和26年)のトキノミノルの73.3パーセントに次ぐ史上2位となった[42][43]。レース開始直後にいきなり躓き落馬寸前まで体勢を崩し、ほかの馬から4馬身ほど離れた最後方からの競馬になった。さらに向こう正面でローゼンクロイツと接触する場面があった。それでも、4コーナーでディープインパクトの気を抜く素振りを感じた武がレースで初めてを入れると[44]、直線では2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利。フジテレビ系で実況を担当した塩原恒夫アナウンサーはゴール直後、「武豊、三冠馬との巡り合い」と五七五風にその勝利を讃えると同時に三冠を確実視するコメントを発した。無敗での皐月賞制覇は2001年のアグネスタキオン以来16頭目であり、また弥生賞勝ち馬の皐月賞制覇もアグネスタキオン以来の10頭目となった[42][43]。武は蛯名武五郎渡辺正人岡部幸雄と並ぶ皐月賞最多の3勝目を挙げ[注 5]、レース後の勝利騎手インタビューではディープインパクトの走りについて、いや、もうパーフェクトですよ、ホントにね。走っていると言うより飛んでいる感じなんでね[45][46][47][48]

と答えた。当日の中山競馬場には前年を5000人近く上回る8万5146人が入場し[42][43][注 6]、売り上げも前年比100.3%の256億7616万600円を記録した[42]。レース後の記念撮影で武は競馬学校時代の1984年に無敗での三冠を達成したシンボリルドルフの主戦騎手・岡部幸雄が行ったパフォーマンスと同じ、指を1本立てて三冠取りをアピールした[49]

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2005年 皐月賞 JRA
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5月29日の東京優駿では、当日の東京競馬場には前年比114.8パーセントとなる14万143人もの観衆が押し寄せた[50]。左回りのコースは初めてだったが、単勝支持率は73.4パーセント(オッズは1.1倍)とハイセイコーの持っていた当競走における単勝支持率最高記録を更新する人気となった[51][52]。スタートは皐月賞同様に出遅れ、道中は後方につけるも、4コーナーでは横に大きく広がった馬群の最外を通り、直線では1頭先に抜け出したインティライミに残り200メートル地点で並んでから同馬を突き放して5馬身の差をつけ、前年のキングカメハメハに並ぶ2分23秒3のレースレコードタイで優勝。1992年(平成4年)のミホノブルボン以来となる史上6頭目の無敗の二冠を達成した。オーナーの金子真人は前年のキングカメハメハに続いて馬主として史上初のダービー連覇を達成した[51][52][注 7]

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2005年 日本ダービー JRA

武は勝利騎手インタビューで「感動しています。この馬の強さに…」と言い、レース後の記念撮影では指を2本立てて二冠をアピールした。武によるとこのレースは「アクシデントさえなければ勝てるだろう」というぐらいの自信があったといい、「ディープの状態は万全でしたし、中山2000メートルから東京の2400メートルに舞台が変わることが、乗っている立場としては気持ち的には楽でした。前走の皐月賞で初めて目いっぱいの競馬をしたことで、ダービーではもっと走るだろうという思いもありましたね」と述べている[54][55]

そして翌日のスポーツニッポンの手記において、武はディープインパクトのことを英雄というニックネームで呼ぶことを自ら提案した[注 8][56]。対戦した騎手もその勝ち方を高く評価し、四位洋文は「サラブレッドの理想形」、ケント・デザーモは「セクレタリアトのようなレース運びだった」と語っている[57]
三冠達成、有馬記念での初黒星

東京優駿の後は、まず栗東トレーニングセンターで調整されたが、7月10日札幌競馬場に移動し[58]、それから約2か月間は同競馬場で調整された[59]放牧に出さずに札幌競馬場で調整されたのは、厩舎での調整のリズムを変える必要がないことと、避暑ができるからであった[58]。札幌競馬場での調整では行きたがる気性を治すための調教もされた(性格・気性の項目を参照)。9月11日に栗東トレーニングセンターに戻り、その後は栗東で調整が行われた[59]

秋初戦となった神戸新聞杯は、91人の徹夜組も含めて前年比147.2%の4万6775人の観客が阪神競馬場に詰めかけた[60]。馬体重は前走の東京優駿と同じく448kgで[60]、単勝オッズは1.1倍で1番人気に支持された[61]。ディープインパクトはやや飛び上がるようにしてスタートを切り、道中は最後方から2番手の位置でレースを進めた[61]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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