ディエゴ・マラドーナ
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7月5日にスタディオ・サン・パオロで行われたお披露目会見にはスタジアムに7万人のサポーターが駆け付け[41]、マラドーナもヘリコプターからピッチに降り立つパフォーマンスで登場し[42][43]、「僕はナポリの貧しい少年たちのアイドルになりたい。なぜって彼らは、アルゼンチン時代の僕と同じだからだ」とコメントした[44]。マラドーナはサポーターから「ナポリの王」と呼ばれて愛され[44]、シーズンチケットが瞬く間に売れたことから、莫大な移籍金および給料を払ってもなおクラブの財政は潤った。マラドーナとブルーノ・ジョルダーノカレカの攻撃トリオは頭文字からマジカ(Ma・Gi・Ca、魔法)と呼ばれ、クラブの黄金時代を築き上げた[45]。ナポリでは公式戦通算115ゴールを挙げた[46]

1984-85シーズン、1984年8月22日のコッパ・イタリアアレッツォ戦でゴールを決めるデビューを飾り[47]、9月22日、第2節のサンプドリア戦でPKからセリエA初ゴールを決め[47]、2月24日のラツィオ戦では移籍後初のハットトリックを達成した[47]。リーグ戦では合計14得点を決めて得点ランキング3位に入り、1985-86シーズンは11ゴールを挙げ[47]、チームをリーグ3位に押し上げた。1986-87シーズンはクラブ史上初のセリエA優勝を飾り、コッパ・イタリアとの2冠を達成。これまで北部の2チーム(トリノ、ユベントス)しか達成していない国内2冠を南部のナポリが達成できたことを非常に誇りにしていると自伝で語っている。代表でのワールドカップMVPの活躍と合わせて世界最優秀選手賞に選ばれた。

一方で、愛人がマラドーナの子どもを出産したシナグラ事件(後述)などもあって気分が不安定で、子どもの認知を渋ったために地元メディアから攻撃された[48]。1987-88シーズンには15得点を決めてアルゼンチン人として初のセリエA得点王に輝き、1988-89シーズンにはUEFAカップを制覇した。(準決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では1stレグ、2ndレグ共に2アシストずつを決め、決勝のシュッツガルト戦では1stレグでゴールを決めると[47]、2ndレグではフェラーラとカレカのゴールをアシストした。)1988年以降は負傷で試合を欠場する頻度が増え、監督やクラブ会長との確執も取り沙汰された。1990 FIFAワールドカップを控えた1989-90シーズン、第25節のASローマ戦での2点目のゴールでナポリでの公式戦通算100ゴールを達成すると[47]、2度目のセリエA優勝を飾った。

1990年から1991年にかけて、マラドーナは麻薬使用やマフィアとの関連が報道されてマスコミから集中砲火を浴び、1991年3月24日、第26節のサンプドリア戦に出場しゴールを決めた後[47]イタリアサッカー連盟から15か月間の出場停止処分を受けた。喧嘩別れのような形になったものの、後にSSCナポリはマラドーナの功績を称えてマラドーナの背番号10を永久欠番とした[49]。SSCナポリ時代には税金を滞納し、税務局から3700万ユーロ(約40億円)もの支払いを求められており、イタリアに入国する際にはその都度金品を没収されている[50]
選手生活の終盤

1991年には、Jリーグ発足に向けて補強を進めていた名古屋グランパスエイトへ年俸や契約金を併せ総額15億円という契約で加入がほぼ内定していた[51]。交渉は順調に運び、残すは名古屋の親会社であるトヨタ自動車の決定を待つのみであったが、決まりかけた日本行きはマラドーナのコカイン使用疑惑によって立ち消えとなった。

その後、FIFAがマラドーナの移籍交渉に介入したこともあり、1992年9月にスペインのセビージャFC移籍が決定した。チケットの売り上げという点ではクラブに貢献したが、荒んだ生活や怠慢な練習態度などからカルロス・ビラルド監督と対立し、26試合に出場してわずか5得点しか挙げることができなかった[52]。1993年6月のレアル・ブルゴスCF戦で後半開始早々に交代を指示され激怒し、アルゼンチンに帰国した。

1993年10月、マラドーナはセビージャFCとの契約の残り期間に対して400万ドルを支払う条件でアルゼンチンのニューウェルズ・オールドボーイズに移籍した[53]アルフィオ・バシーレ監督によってアルゼンチン代表にも復帰したが、契約問題のこじれからニューウェルズでは7試合しか出場できず、練習不参加や試合欠場などの理由により1994年2月に解雇された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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