1649年には2回目のイタリア旅行に出発し、1651年まで同地に滞在した。各地で王の代理として美術品の収集を行うかたわら、『鏡のヴィーナス』や『インノケンティウス10世の肖像』などの傑作を制作している。
1649年、ローマで『フアン・デ・パレーハの肖像』(メトロポリタン美術館) を制作した。この作品は、1970年11月27日にロンドンのクリスティー&ウッズで231万ポンドで落札されたとして、かつてギネスブックに「オークションで最高値の絵」として認定されていたことがある[4]。
1651年に帰国すると、1652年には王宮の鍵をすべて預かる王宮配室長という重職につくようになり、役人としても多忙となる。一方で、1656年には『ラス・メニーナス』を制作し、1657年には『アラクネの寓話』、1659年には絶筆となる『マルガリータ王女』など、この時期においても実力は衰えず、大作を完成させていった。1660年にはフェリペの娘であるマリー・テレーズ・ドートリッシュとフランス国王ルイ14世との婚儀の準備をとりしきるが、帰国後病に倒れ、1660年8月6日にマドリードで61歳で死亡した[5]。
1650-1660年の代表作
『フアン・デ・パレーハの肖像』(1650年) メトロポリタン美術館
『王妃マリアナ・デ・アウストリア』(1652-1653年) プラド美術館
『フェリペ4世』(1653年頃) プラド美術館
『皇太子フェリペ・プロスペロの肖像』(1659年頃) 美術史美術館 (ウィーン)
『青いドレスのマルガリータ王女』(1659年頃) 美術史美術館
ベラスケスは寡作であり、2度のイタリア旅行や公務での国内出張を除いてはほとんど王宮内ですごした上、画家としてのほとんどの期間を宮廷画家として過ごしたためにその作品のほとんどが門外不出とされ[6]、21世紀の現在でもおよそ120点の作品のうち約50点がマドリードにあるプラド美術館の所蔵となっている[7]。
代表作
『バッカスの勝利』『バッカスの勝利』 (1629年) プラド美術館詳細は「バッカスの勝利」を参照
『酔っ払いたち』という愛称でも親しまれてきた。本作の制作当時、マドリードに滞在していた神話画の巨匠ルーベンスに鼓吹されて描いたベラスケス初のギリシア神話を主題とした作品である。神話主題の作品は当時のスペインでは非常に稀なものであった。しかし、本作は神話画であるだけでなく、同時に人物と静物を組み合わせたボデゴンでもあり、群像画でもあり、後の画家が手掛けた構成画にも踏み出している。