ヤングは第二次世界大戦後期のマーケット・ガーデン作戦の際、イギリス軍の戦車部隊長を務めており、激戦地のアルンヘムで砲撃の指揮をとっていた。後に「もう少し左を狙っていたら(当時同地に住んでいたオードリー・ヘプバーンを撃ってしまって)、今頃はこの仕事についていないだろう」とよく冗談を言っていたという[2][3]。
ロンドンで脚本家、助監督を経て監督になり[4]、1953年の『赤いベレー』でハリウッドデビューを果たす。
1962年には007シリーズ第1作『ドクター・ノオ』をヒットさせ、『ロシアより愛をこめて』、『サンダーボール作戦』の3作を監督した。映画を作るにあたり、無名だったショーン・コネリーを行きつけの高級テーラーに連れて行き、スーツを日常的に着させるところから始めたことから、ジェームズ・ボンドのファッションはテレンス・ヤングの嗜好が少なからず反映されているとも言える[5]。『サンダーボール作戦』を製作後、「最終作を撮る時は戻ってくる」と言い残して去ったが、結局最後までカムバックすることはなかった。
1994年にフランス、カンヌの病院で[4]心不全により79歳で死去した[1]。
主な監督作品
赤いベレー - The Red Beret(1953)
今は死ぬ時でない - No Time To Die(1958) - 007映画の第25作『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ No Time To Die(2021)とは同名だが別作品。ただし、スタッフ・キャストにアルバート・ブロッコリやルチアナ・パルッツィなど007関係者多数。
007 ドクター・ノオ - Dr.No(1962)
007 ロシアより愛をこめて - From Russia with Love(1963)
007 サンダーボール作戦 - Thunderball(1965)
残虐の掟 - L'Avventuriero(1967)
暗くなるまで待って - Wait Untile Dark(1967)
うたかたの恋 - Mayerling(1968)
クリスマス・ツリー - The Christmas Tree(1969)
夜の訪問者 - Cold Sweat(1970)
レッド・サン - Red Sun(1971)
バラキ - Valachi(1972)
アマゾネス - The Amazones(1973)
クランスマン - The Klansman(1974)
華麗なる相続人 - Bloodline(1979)
インチョン! - Inchon!(1982)
脚注^ a b “Terence Young, 79; In 1960's, Directed 3 James Bond Films” (英語). ニューヨーク・タイムズ. (1994年9月9日). https://www.nytimes.com/1994/09/09/obituaries/terence-young-79-in-1960-s-directed-3-james-bond-films.html 2009年7月3日閲覧。
^ ショーン・ヘプバーン・フェラー (2004年5月18日). 『母、オードリーのこと』p4. 竹書房
^ エレン・アーウィン&ジェシカ・Z・ダイヤモンド (2006年9月25日). 『audrey hepburn treasures』p127. 講談社
^ a b Sheil, Robert. “ ⇒Young, Terence (1915-1994)” (英語). screenonline. 2009年7月3日閲覧。
^ “「男が憧れる」007 歴代ボンド、一流の装いの秘密” (2020年6月2日). 2020年6月1日閲覧。
外部リンク
テレンス・ヤング - allcinema
⇒テレンス・ヤング - KINENOTE