テレビ
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1951年 - GHQの要請により電波監理委員会メンバーが視察のため渡米[14]。その後、アメリカから3人のコンサルタントが来日。軍事戦略のひとつとして占領国でのテレビ放送利用を重要視していたアメリカの圧力によりアメリカ式(NTSC方式)の技術標準が日本で採用される[14]。
1952年 - 松下電器産業(パナソニックの前身)が日本初の民生用テレビを発売[15]。
1953年(昭和28年)
1月 - シャープが国産第1号のテレビ「TV3-14T」を発売[16]。価格は175,000円。
2月1日 - NHK東京テレビジョン(コールサインJOAK-TV)のテレビ放送開始(日本初の地上波テレビ放送の開始)。
8月28日 - 日本テレビ(NTV、コールサインJOAX-TV)、テレビ放送開始(民間放送初のテレビ放送の開始)。またこの日、日本初のテレビCMを放送する際、画面が裏返しに映る放送事故が発生した。
当時の主な番組は大相撲、プロレス、プロ野球などのスポーツ中継や、記録映画など。
1954年 - 4月、電電公社の整備による放送用無線中継回線が開通。
1955年 - 4月1日、ラジオ東京テレビ(コールサインJOKR-TV)がテレビ放送開始。ラジオ局として発足した放送局による初のテレビ放送開始。TBSテレビの前身。
以降の民間放送開局年月日は民間放送#沿革参照。
当時、白米10キログラムが約680円、銭湯の入浴料が約15円であったのに対し、テレビ受像機の価格は約20万?30万円であり、一般人にとっては非常に高価であったため、多くの大衆は繁華街や主要駅などに設置された街頭テレビ、土地の名士などの一部の富裕世帯宅、客寄せにテレビを設置した飲食店などで番組を見ていた。
7月 - NHK放送技術研究所、イメージオルシコンの国産化に成功。
1956年 - 12月、NHKのカラーテレビ実験放送開始(UHF帯を使用)[17]。
1957年 - 12月28日、NHK東京・日本テレビがカラー試験放送開始(VHF帯を使用)。
1958年
1月23日 - 日本民間放送連盟(民放連)が「放送基準」を制定[18]。
9月1日 - 映画会社主要6社が、この日よりテレビ局への作品販売や所属俳優の派遣を完全に停止(六社協定)[19]。この前後、各局では代替としてアメリカ製のテレビ映画を大量に輸入し、主力番組として放送した。この状況は1961年10月クールの週53作[20]を最盛期に、1970年頃まで続き、高い人気を得た作品も少なくない。
12月23日 - 東京タワーからテレビ電波の送信開始[18]。
この年、大阪テレビ放送が、世界ではじめて飛行中のヘリコプターからの生放送に成功。
1959年
1月10日 - NHK教育テレビジョン開局。
この時期、教育放送局、準教育放送局として開設される民間放送局が相次いだが、いずれものちに総合放送局に改組している。
前年1958年からこの年にかけて多くのテレビ局が開設され、4月10日の皇太子明仁親王御成婚の中継特別番組をきっかけにテレビ受像機が一般家庭に普及し始める。
8月1日 - 上記の特別番組制作をきっかけにKRTなど16局がJapan News Network(JNN)を形成。日本初のニュースネットワーク[21](これ以外のネットワーク成立史についてはニュース系列#歴史参照)。
1960年代1960年代の放送局の主調整室(マスター室)
1960年 - 9月10日から、カラーテレビ本放送開始(NHK東京・大阪の総合・教育両テレビ、日本テレビ、TBS、読売テレビ、朝日放送)。これに合わせ、東京芝浦電気(のちの東芝)[22]と日立製作所、松下電器産業[23]が国産カラーテレビを発売。
1961年 - 映画会社の新東宝倒産にともなってフィルムが放送業界に売り払われ、9月頃から順次テレビ放映される。事実上の六社協定(五社協定)の緩和[24]。
1963年
4月16日 - 放送批評懇談会が発足。
9月 - 難視聴地域共同受信施設設置事業者の郡上八幡テレビが独自制作の番組を放送開始。日本初のコミュニティチャンネルとされる。
11月23日 - 衛星中継回線を用いた初の日米同時放送(左記の日付は日本標準時)。アメリカ大統領ジョン・F・ケネディの演説を放送する予定だったが、中継直前に起きたケネディ大統領暗殺事件を伝えるニュース速報に差し替えられた[25]。
1966年 - 3月、全国のすべてのテレビ局が回線上でカラー番組をやり取りできる態勢が確立[26]。
1968年 - 2月20日、日本初のUHF局であるNHK徳島教育テレビが本放送開始[27]
1969年 - 日本のテレビ受像機生産台数が世界1位になる。
1970年代から1990年代
1970年 - NHK、東京と大阪でNHK UHFテレビ実験局を開設、UHFテレビ放送の試験運用を開始(1975年4月まで)。
1972年 - 有線テレビジョン放送法が成立。このあと、全国各地でケーブルテレビ会社の設立が相次ぐ。
1973年
10月 - 在京キー局において全番組のカラー化が完了[27]
11月1日 - 教育放送局として開局した日本教育テレビ(のちのテレビ朝日)と東京12チャンネル(のちのテレビ東京)が総合テレビ局化。民間の教育放送局が消滅。
1978年
4月8日 - 日本初の放送衛星、ゆり1号打ち上げ成功。7月20日から衛星放送の試験放送を開始。
9月28日 - 日本テレビが世界初の音声多重実用化試験放送によるステレオ放送を開始[28]。
1982年 - エプソンがテレビ付き腕時計「テレビウオッチ」を開発。
1983年 - エプソンが液晶ポケットカラーテレビ「ET-10」を開発。世界初のTFT液晶テレビ。
1984年 - 1月23日、放送衛星ゆり2号a打ち上げ成功[29]。
1985年 - 11月29日、文字多重放送の本放送が開始[30]。
1989年 - 6月1日、「ゆり2号a」を用いたNHK衛星テレビジョン(NHK-BS)が本放送を開始。日本初の衛星放送。
1990年 - 11月30日、日本初の民間衛星放送局である日本衛星放送(JSB・WOWOW)が「ゆり3号a」を用いて試験放送を開始。翌年4月1日より有料の本放送を開始[31]。
1992年 - 通信衛星を用いた初の「CS放送」として、5月に「SUPERBIRD B1」によるスカイポートが、10月に「JCSAT-2」によるCS BAANが、相次いで専門チャンネルの有料本放送を開始[32]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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