テレビ
テレビジョンに必要な要素を備えたパソコン、スマートフォン、タブレット端末が急速に普及したことで、テレビジョン技術を双方向に利用し個人と個人がテレビジョンで互いの姿を見つつ会話をすること(テレビ電話)や会議・打ち合わせを行うこと(テレビ会議・ビデオ会議)も気軽に行われるようになっている。
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テレビの歴史
開発史
19世紀
1873年 - イギリスで明暗を電気の強弱に変えて遠方に伝える装置=テレビジョンの開発が始まる。
1875年 - アメリカ合衆国のジョージ・ケリー、並列式の機械式走査の概念を提案。
1877年 - アメリカ合衆国のウィリアム・ソーヤー、直列式の機械式走査の概念を提案。
1884年 - ドイツのパウル・ニプコウ、直列式の機械式走査を実現する「ニプコー円板」の発明。
1896年 - イタリアのグリエルモ・マルコーニが電波を使って、3キロメートル離れた地点間でモールス信号の無線通信実験に成功(無線電信参照)。
1897年 - ドイツのフェルディナント・ブラウン、陰極線管であるブラウン管の発明。
20世紀
1907年 - ロシアのボリス・ロージング、ブラウン管によるテレビ受像機を考案し特許出願。
1908年 - イギリスのキャンベル・スウィントン、撮像側にも陰極線管を使った電子式走査法の概念を科学雑誌『ネイチャー』に発表。全電子式テレビジョンを示唆。
1911年 - ロシアのボリス・ロージング、世界で初めてブラウン管を用いたテレビの送受信実験を公開。撮像に機械式のニプコー円板を、受像に電子式のブラウン管をそれぞれ用いた。簡単な図形の輪郭の受像に成功。しかし実用レベルの受像に至るには撮像側の電子化が求められ、映像を電気信号に変換する撮像管の開発や、映像信号を増幅する真空管の発達を待たねばならなかった。
1923年 - 浜松高等工業学校の高柳健次郎が電子式走査方式の研究を開始[6]。同時期にアメリカでツボルキンも電子方式のテレビ開発を始めたが互いに全く相手のことを知らなかった[6]。
1925年 - スコットランドのジョン・ロジー・ベアード、機械式テレビジョンの開発。撮像と受像に機械式のニプコー円板を用いた。見分けられる程度の人間の顔を送受信することに成功。
1925年 - アメリカ合衆国のチャールズ・フランシス・ジェンキンスが機械式テレビの画像を8キロメートル離れた地点間で無線送受信する公開実験を行う。
1926年1月 - スコットランドのジョン・ロジー・ベアード、ロンドンの王立研究所で動く物体の送受信の公開実験に成功。
1926年 - 早稲田大学の山本忠興や川原田政太郎が機械式のテレビジョンの研究に着手[6]。
1926年12月25日 - 高柳健次郎が世界初の電子式テレビ受像機を用いて「イ」の字を表示させることに成功[6]。
1927年 - アメリカ合衆国のフィロ・ファーンズワース、世界初の撮像管「イメージディセクタ」による映像撮影に成功。ブラウン管に「$ $」を表示。同年、撮像・受像の全電子化が達成される。
テレビジョン・システムのダイアグラム(1928年)
1928年 - イギリスのジョン・ロジー・ベアード、カラーテレビの公開実験に成功。
1930年 - 山本忠興と川原田政太郎が機械式テレビの公開実験に成功[6]。同30年に山本はこの発明により十大発明家の一人として宮中賜餐の栄に浴した。
1931年7月 - 川原田らは早稲田大学戸塚球場にて行われた同学野球部の試合を、理工学部実験室まで送信することに成功した。これが世界初の屋外実況中継となる。
1933年 - アメリカのウラジミール・ツヴォルキンが、自身開発のアイコノスコープで野外の景色を撮像することに成功[7]。
放送史
欧米
1928年 - アメリカ合衆国のWGY(現在のWRGB)がテレビ実験放送開始。
1929年 - イギリスの英国放送協会(BBC)、ドイツの国家放送協会がテレビ実験放送開始[7](以降、特記のない限り白黒テレビ)。
1931年 - アメリカへ亡命したロシアのウラジミール・ツヴォルキン、電子走査式撮像管「アイコノスコープ」を考案し特許出願。
1932年 - 8月、イギリスBBCで世界初の定期試験放送(機械式、週4日)開始。正式開局は1936年。
1934年 - 11月、ソビエト連邦がテレビ試験放送を開始。
1936年 - ドイツでベルリンオリンピックのテレビ中継が行われる。
1936年 - ハンガリーのティハニィ・カールマン(英語版)、プラズマテレビの原理を示す。世界初のフラットディスプレイの概念。
1939年 - アメリカ合衆国のNBC[7]、ソビエト連邦の国営放送がテレビ定時放送を開始。
1940年代のアメリカのテレビ受像機
1941年 - 3月、アメリカ合衆国でNTSC方式による白黒テレビ放送開始[8]。
1946年 - RCA、撮像管「イメージオルシコン」を開発[9]。
テレビ放送を家庭で観る家族(1958年、アメリカ)
1951年 - アメリカCBSが、独自規格(CBS方式)のカラーテレビ放送を開始[9]。
1953年 - 12月、アメリカ合衆国におけるカラーテレビ放送標準規格がNTSC方式に統一[8]。
1954年 - 1月23日、アメリカNBCが、NTSC方式によるカラー本放送開始。なお有馬哲夫の『テレビの夢から覚めるまで』[10]によれば、1950年代に米国でテレビが一般家庭に普及し始めた頃、アメリカの人々は大真面目に以下のように思っていたという[11]。テレビは、神からのクリスマス・プレゼントだ。われわれは、このプレゼントを手にして娯楽のことばかりを考えるのではなく、人類の善意と地上の平和のことを、そして、それにいかに役立てるかをも考えなければならない。テレビを通じて、いかにひとびとの蒙を啓き、偏見を根絶し、理解を深めるかに心くだかなければならない。テレビこそ、その未来を開いてくれるだろう。 ? 有馬哲夫、『テレビの夢から覚めるまで アメリカ1950年代テレビ文化社会史』(1997年/国文社)
1956年 - アンペックス社、白黒2インチVTR1号機「VR-1000」を発表。3年後にはカラーVTRの発表に至る[9]。
1962年 - 12月13日、通信衛星「リレー1号」打ち上げ成功[9]。後述の日米衛星中継試験に用いられた。
1965年 - イギリスがカラーテレビ放送標準規格としてPAL方式を採用[9]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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