テレビ
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同時期にアメリカでツボルキンも電子方式のテレビ開発を始めたが互いに全く相手のことを知らなかった[6]

1925年 - スコットランドジョン・ロジー・ベアード機械式テレビジョンの開発。撮像と受像に機械式のニプコー円板を用いた。見分けられる程度の人間の顔を送受信することに成功。

1925年 - アメリカ合衆国のチャールズ・フランシス・ジェンキンスが機械式テレビの画像を8キロメートル離れた地点間で無線送受信する公開実験を行う。

1926年1月 - スコットランドジョン・ロジー・ベアード、ロンドンの王立研究所で動く物体の送受信の公開実験に成功。

1926年 - 早稲田大学の山本忠興川原田政太郎が機械式のテレビジョンの研究に着手[6]

1926年12月25日 - 高柳健次郎が世界初の電子式テレビ受像機を用いて「イ」の字を表示させることに成功[6]

1927年 - アメリカ合衆国のフィロ・ファーンズワース、世界初の撮像管「イメージディセクタ」による映像撮影に成功。ブラウン管に「$ $」を表示。同年、撮像・受像の全電子化が達成される。
テレビジョン・システムのダイアグラム(1928年)

1928年 - イギリスのジョン・ロジー・ベアード、カラーテレビの公開実験に成功。

1930年 - 山本忠興と川原田政太郎が機械式テレビの公開実験に成功[6]。同30年に山本はこの発明により十大発明家の一人として宮中賜餐の栄に浴した。

1931年7月 - 川原田らは早稲田大学戸塚球場にて行われた同学野球部の試合を、理工学部実験室まで送信することに成功した。これが世界初の屋外実況中継となる。

1933年 - アメリカのウラジミール・ツヴォルキンが、自身開発のアイコノスコープで野外の景色を撮像することに成功[7]

放送史
欧米

1928年 - アメリカ合衆国のWGY(現在の
WRGB)がテレビ実験放送開始。

1929年 - イギリスの英国放送協会(BBC)、ドイツの国家放送協会がテレビ実験放送開始[7](以降、特記のない限り白黒テレビ)。

1931年 - アメリカへ亡命したロシアのウラジミール・ツヴォルキン、電子走査式撮像管「アイコノスコープ」を考案し特許出願。

1932年 - 8月、イギリスBBCで世界初の定期試験放送(機械式、週4日)開始。正式開局は1936年。

1934年 - 11月、ソビエト連邦がテレビ試験放送を開始。

1936年 - ドイツでベルリンオリンピックのテレビ中継が行われる。

1936年 - ハンガリーのティハニィ・カールマン(英語版)、プラズマテレビの原理を示す。世界初のフラットディスプレイの概念。

1939年 - アメリカ合衆国のNBC[7]、ソビエト連邦の国営放送がテレビ定時放送を開始。
1940年代のアメリカのテレビ受像機

1941年 - 3月、アメリカ合衆国でNTSC方式による白黒テレビ放送開始[8]

1946年 - RCA、撮像管「イメージオルシコン」を開発[9]
テレビ放送を家庭で観る家族(1958年、アメリカ)

1951年 - アメリカCBSが、独自規格(CBS方式)のカラーテレビ放送を開始[9]

1953年 - 12月、アメリカ合衆国におけるカラーテレビ放送標準規格がNTSC方式に統一[8]

1954年 - 1月23日、アメリカNBCが、NTSC方式によるカラー本放送開始。なお有馬哲夫の『テレビの夢から覚めるまで』[10]によれば、1950年代に米国でテレビが一般家庭に普及し始めた頃、アメリカの人々は大真面目に以下のように思っていたという[11]。テレビは、神からのクリスマス・プレゼントだ。われわれは、このプレゼントを手にして娯楽のことばかりを考えるのではなく、人類の善意と地上の平和のことを、そして、それにいかに役立てるかをも考えなければならない。テレビを通じて、いかにひとびとの蒙を啓き、偏見を根絶し、理解を深めるかに心くだかなければならない。テレビこそ、その未来を開いてくれるだろう。 ? 有馬哲夫、『テレビの夢から覚めるまで アメリカ1950年代テレビ文化社会史』(1997年/国文社)

1956年 - アンペックス社、白黒2インチVTR1号機「VR-1000」を発表。3年後にはカラーVTRの発表に至る[9]

1962年 - 12月13日、通信衛星リレー1号」打ち上げ成功[9]。後述の日米衛星中継試験に用いられた。

1965年 - イギリスがカラーテレビ放送標準規格としてPAL方式を採用[9]
ニュージーランドでのカラー放送の試験(1977年)

1967年 - フランスSECAM方式によるカラー放送開始[9]

1984年 - フランスで世界初の有料多チャンネル放送Canal+がサービス開始[9]

1988年 - 9月より、BBCがDVB-T形式による世界初のデジタルテレビ放送試験放送を開始。

1995年 - 7月、デジタルテレビ放送等のための映像・音声データ圧縮フォーマット基準MPEG-2が策定される[9]

2009年 - 6月12日、アメリカ合衆国でほとんどのNTSC方式の放送停止。ATSC方式デジタルテレビ放送へ全面移行[8]

フランス

上節ではヨーロッパ諸国とアメリカをごちゃまぜにして年表風に列挙したが、当時は現在のようにEUがあったわけではなくヨーロッパといっても国ごとに施策は異なっていたので、この節では一国の中だけで起きたことを時系列で、フランスを例にとり説明する(日本一国の中だけの出来事の説明は次の節で詳説するので、ここではまずフランス一国内の出来事についてまとめて理解できるように簡潔に説明する)。

フランスでは1931年4月14日に電波で行うテレビ送受信のフランス初の実演が行われた。それまでは有線での実演は行われたことはあったが電波を使うテレビの実演をするのはフランスでは初めてだった[12]。この実演を行ったのはフランスの技術者ルネ・バルテレミ(fr:Rene Barthelemy)であり、800名の招待客を前にして2キロメートルほど離れた場所からマラコフ電気高等学校とモンルージュにある会社の研究所の間で映像を伝えた。1931年12月6日にはアンリ・ド・フランス(fr:Henri de France)がテレビ放送会社 ラ・コンパニ・ジェネラル・ドゥ・テレヴィジオン(la Compagnie generale de television )社(CGT)を設立。1932年12月にはルネ・バルテレミがテレビカメラを発明し実験的な白黒放送番組「Paris Television」を毎週1時間放送し、これを受信するためのテレビ受像機がおよそ100台ほど用意された。そのほとんどは公開用テレビ受像機つまり個人が所有するものではなく公共の場に設置して皆で観るものだった。1935年4月26日にはフランスで初の公式テレビ放送を開始するとの宣言が当時のフランス郵政大臣のジョルジュ・マンデル(fr:Georges Mandel)によって行われた。1935年11月17日には(前述の技術者)バルテレミが走査線の数を180本まで増やし解像度を上げるのに成功し、放送用送信機をエッフェル塔の先端に設置。1937年1月4日には毎晩20時から20時半のテレビ放送(レギュラー放送)が開始され、数百台のテレビ受像機が個人宅に設置された。
日本
1940年代以前

1931年 -
日本放送協会(省略NHK)放送技術研究所でテレビの研究開始。

1932年 - 早大式は有線から無線電波式に改良された。

1933年 - 早大式に日本放送協会から多額の研究資金が提供され、同年秋に日本最初のテレビジョン研究室が同大学構内に建設された。

1934年 - この年の1月12日付の新聞で山本は「将来的に映画に匹敵する画質」「生中継ではなく、撮影を行い、適宜に編集を行った上で放送するようになる」と発言している。

1935年3月 - 5月まで横浜で開催された関東大震災復興記念横浜大博覧会にて、逓信省電気試験所の曽根有(山本忠興門下)らが開発したテレビジョン電話試作機が展示された。


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