テレビ神奈川
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開局当日のキャッチコピーは「本日・放送スタート!TVKをキャッチしよう!! パパはやく,ママが出ているTVK」である[34]。開局当日に整備された親局は鶴見局42ch、中継局は小田原局46ch・平塚局31ch・久里浜局47ch。1972年5月1日に開局した中継局は南足柄局45ch。開局時の平日番組編成は、午前中に教育番組、正午にワイドショー『暮らしのワイド リビング・ポート』、午後と夜はテレビ映画。平日の放送開始時間は朝の9時30分、放送終了時間は夜の23時40分[35]

テレビ神奈川における最長寿番組は「JAグループ神奈川」提供の『緑への歩み』だった(2008年3月終了)。開局翌日の1972年4月2日スタートである。

もともとは神奈川県を筆頭に、横浜市朝日新聞毎日新聞読売新聞産経新聞中日新聞(5紙が同じ持株数を堅持)、ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)などが主要株主であった。神奈川県が経営権を握っていた頃は、平日9:35 - 11:00、金曜夕方に神奈川県教育委員会制作の教育放送(学校放送)が組まれていた。津田文吾元県知事が同局の社長・会長を務めた事がある。

経営は80年代前半まで実に苦しかったと言われ、経営不振で80年初頭にリストラなどにより壊滅状態になっていた[注 5]制作体制だが、90年代初頭の自社制作率は約70%までになり、東のTVK、西のKBS京都(当時は近畿放送、現・京都放送)とも呼ばれた。

1972年5月3日「第20回 横浜みなと祭り国際仮装行列?マーチ・イン・ヨコハマ」からTVK独占カラー生中継放送を開始(放送時間は生放送が午前11時10分 - 午後0時30分で中継録画放送が午後6時から午後7時25分だった。放送当日のキャッチコピーは「ことしは、みなと祭りの仮装行列が茶の間で見られます」「すぐそこのニュースが茶の間にTVK」「TVK!やっぱりいいねおかあさん」の3つのキャッチコピーだった。番組のゲストは小山明子橘家円蔵立川談志下重暁子、花村えいじ、三遊亭栄橋、解説は六川英一[注 6]、司会は石倉輝夫)。

関東圏の独立放送局では初となるマスター設備(主調整室)の更新と三ツ池送信所(親局)の送信機更新を1983年から1984年に掛けて行い、音声多重放送のステレオ放送への対応をいち早く実現した。ステレオ放送番組第1号は「SPOPS」(1984年10月 - 提供:丸井 制作:TVK)であり、第2号番組は「かながわの景勝50選」(制作協力:プロダクションモスラ・制作著作:TVK)である(※これらの番組は、音声多重試験番組も兼ねて放送されていた)。1985年4月2日にはステレオ放送を正式に開始。2重音声(2か国語、多重)はそれから遅れて、1988年8月に漸く開始した。

前述のステレオ放送が正式に開始されると、同放送番組が増え、テレビ番組初の試みである「環境ビデオ」(BGV) の放送番組「サラダ・ボウル」(制作:TVK、制作協力:日本電子工学院(現・日本工学院専門学校)、PLAY BILL、日商岩井(現・双日))や「ブレイン・パッケージ」(制作:TVK、制作協力:日本電子専門学校 他)がスタートした。同番組は、海外の風光明媚な空撮ビデオ映像に最新のアーティストの音楽を流したり、完全オリジナルによるインストゥルメンタル曲を流す28分間の番組だった。また「サラダ・ボウル」は、1986年年頭の朝日新聞のテレビを考える連載のトップバッターとして全国に紹介された。

1987年、横浜が舞台だったテレビドラマ『あぶない刑事』(セントラル・アーツ制作、日本テレビ系)の第22話「動揺」において、スタジオ調整室のシーンで撮影協力をしている(撮影協力のクレジットは「テレビ神奈川」ではなく「TVKテレビ」)。

内田康夫の小説「横浜殺人事件」(浅見光彦シリーズ)のヒロインである横浜テレビの藤本紅子のモデルは、坂本紅子(現・コンテンツ局制作部専任部長)である。映画通で知られ「おしゃべりトマト」「TVグラフィック42番街」などの映画コーナー、「HAMA大国」の司会等を経て、2011年まで放送されていた「1230アッと!!ハマランチョ」のプロデューサーを担当していた。

『ファンキートマト』『おしゃべりトマト』『ミュージックトマト』などのいわゆる「トマトもの」では、MCのことをDJ(ディスクジョッキー)ならぬVJ(ビデオジョッキー)と称していた。これは、プロモーションビデオを大量に流す構成を踏まえ、DJをテレビらしい呼び名に置き換えた結果である。この名残で、現在でもtvkの放送中の番組での最長寿番組である「ビルボードTOP40」での中村真理はVJと呼ばれている。
1990年代から関内移転にかけて

TVKは1980年代から1990年代初頭にかけ、この項で述べられている番組購入に加え、好景気と横浜そごうなど大スポンサーの存在が後ろ盾となっていた。特に横浜そごう(現・そごう・西武横浜店)とTVKの関係は緊密で、「キャプテンロコスタジオ」(4F)「みなとみらい21スタジオ」(地下1階)という2つのサテライトスタジオを設け、「カフェシティヨコハマ」や、かねてからあった夕方のミューコム制作の生番組に威力を発揮した。しかし、バブル崩壊後にそごうが経営不振に陥ると、それらの番組は打ち切りとなり、ついにはスタジオ閉鎖、屋上のメインの情報カメラ移設[注 7] 、横浜そごうのTVK持株売却と、TVKとそごうとの関係は急速に悪化していった。それだけでなく、後述される「Ch-Yokohama」→「Ch-Y」→「横浜ベイサイドテレビ」の判断ミス、さらに神奈川県の財政危機(広報番組予算が7億円から数千万単位まで縮小された)により売り上げが30億円近くも減少(売上最高期の1/4近く、90億円→60億円)したことが経営を大きく揺さぶる。この煽りを受け自社制作率は急速(70%→40%)に減り、2002年には売り上げでTOKYO MXに、2003年には自社制作率でもテレビ埼玉に抜かれる「非常事態」となった。

この非常事態を見て「県が県域メディアを経営する時代は終わった」という岡崎洋知事の意向により、2001年に株式売却が行われ、筆頭株主が神奈川県から神奈川新聞社に移ることとなった。当初は新聞社とテレビ局の違いもあって両社の連携はしっくりいかなかったが[注 8]、その後、第三者割当増資(県内市町村などが応じる)、新社屋(横浜メディア・ビジネスセンター)[注 9] 建設・移転、「ヨコハマ開放区」のVI導入(電通との本格タッグ開始)、独立放送局初の地上デジタル放送開始(2004年12月1日)、独立放送局には珍しいインデックス社との提携による携帯公式サイトオープン(全キャリア対応)など、積極的な戦略に出ることになる。


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