テレビ神奈川
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注釈^ 以前のドメイン名は「tvk42.co.jp」であった。なお現在は、「tvk42.co.jp」(旧ドメイン)は使用されていない。ちなみに「tvk.co.jp」は大阪府ケーブルテレビ局「テレビ岸和田」に先に取得されたため使用できなかった。
^ 関東地方では、1971年4月16日に群馬テレビ(GTV)、1971年5月1日に千葉テレビ放送(CTC、現在のチバテレ)が開局していた。なお、全国初の独立放送局系のテレビ局は、1968年8月12日にテレビ放送を開始した岐阜放送(GBS、現在のぎふチャン)である。
^ 関東地方の独立テレビ局では、財政面等の諸事情からか音声多重放送対応化が遅く、1992年(平成4年)4月1日には群馬テレビ、1995年(平成7年)4月3日には千葉テレビが開始。最終的には放送機器更新のタイミングで2001年(平成13年)4月1日にテレビ埼玉が開始。これを以って、北海道内の一部地域を除いて、日本全国の民放全局が音声多重放送を実施したことになる。
^ 当初は、同年8月7日にプロ野球中継「横浜対広島」が中止になった場合、代替番組としての映画「唇からナイフ」から、初の2か国語放送ができる状況だったものの、同中継が予定通り行われ、その後何回か同様のケースがあり、結局は、同月20日の映画「狼の時間」から開始されることとなった。
^ これはTVKに限らずであり、千葉テレビやテレビ埼玉も同様であった。これはもともと広域局のVHF波が東京から届く関係で当放送局を視聴するためにはUHFアンテナやコンバータを新たに設置しなければならなかったことと故に県域の放送広告市場自体も未発達であったことも関係し、千葉テレビは倒産寸前までいったことがある。なお、UHF局の悩みは後発局にも共通する。
^ 株式会社アート宝飾前社長、なお現社長の六川勝仁は大会企画宣伝委員長、また同局の「放送番組審議会」副委員長を務める。
^ 直後、横浜ベイブリッジ付近へ移転。
^ かつてはTVKのように県の後ろ盾もあれば、(特に地元の)新聞社の後ろ盾をセットにして開局にこぎつけた局も多かった。しかし、TVKの場合は全国紙4紙+中日5紙が同じ持株数を堅持するなどでバランスを維持。神奈川新聞との関係が全くなかったわけではないが、報道番組が特に少なかったころはあくまで「情報番組の1コーナー」としても扱いにとどめるほどであった(ワイド番組の再放送をするにあたり、ニュースコーナーの再放送は速報性に欠けるという面もある)。
^ 現本社であるこのビルをもってtvkはテナントビルに入居したと評されることもあるが、土地は神奈川新聞社所有、建設は神奈川新聞社とtvk、横浜産業振興公社との共同事業体なので、テナントビル入居というのは誤りである。
^ しかし、2007年度にTOKYO MXに再び抜かれ、2013年度にはTOKYO MXが売り上げを120億円として大きく引き離されている。
^ 新聞テレビ欄表記も「TVKテレビ」から「tvk」に変更されたが、毎日新聞のテレビ欄では「tvk」に改称後もしばらくの間は「tvkテレビ」として表記されていた。また、放送では余り紹介されないが、本社移転後、ウェブサイト、あるいは横浜スタジアム日産スタジアム等々力陸上競技場でのJリーグの試合での広告看板には「tvk テレビ神奈川」と、正式局名が併記されることもある。
^ 独立放送局では、放送する番組がない早朝や午後の時間帯を「放送休止時間帯」として、カラーバーのみ(無音状態のままであったり、レコードなどをBGMとしてかける)や完全に停波していわゆる「砂嵐」状態とするところが多かったが、TVKはそれをせず、「放送休止時間帯」をプロモーションフィルムやプロモーションビデオなどを放送する時間帯とした。
^ 当時はビデオではなくフィルム撮影で、主に洋楽系のプロモーションフィルムなどでは、ライブでの収録映像に曲を合わせている作品や、レコーディング風景やツアー中などのドキュメント的映像等がメインで楽曲を合わせている作品も多く見られた。
^ この番組は、キー局系列に属している全国の地方局からも注目を浴び、高知県など一部の地域では番組購入によってネットされていた。
^ 1981年(昭和56年)3月20日(収録は3月5日東京・蒲田日本工学院専門学校3号館ホール)「曲目:(1)終わりなき疾走・(2)反抗期・(3)陽のあたる場所・(4)明日なき世代」として、ファイティング80'sに出演。
^ 1975年(昭和50年)6月22日(日)荒井由実with松任谷正隆&ハイ・セッション・バンド「曲目:(1)コバルトアワー・(2)ルージュの伝言・(3)恋のスーパーパラシューター・(4)ベルベットイースター・(5)雨のステイション・(6)12月の雨。」(メンバー:荒井由実(VO)、松任谷正隆(Key)、松原正樹(G)、重田某(DS)、吉田某(B)、吉田美奈子&吉原真紀子(Cho))として、ヤングインパルスに出演。
^ 1975年(昭和50年)7月13日(日)出演。曲目:(1)雨は手のひらにいっぱい・(2)いつも通り・(3)今日はなんだか。「メンバー:山下達郎(VO,G,Key)、大貫妙子(VO,Key)、村松邦男(VO,G)、上原裕(DS)。
^ 開始当初の番組名は「電リクワイド・ファンキートマト」。後に番組が月曜に移動になり、スタジオがTVK第1スタジオから、東京・数寄屋橋銀座)のソニービル(内のイベントスペース「ソミド」)へ移動した頃には、番組名も「ファンキートマト'8X(放送されていた年の西暦下2桁)」へと変化していった。
^うたコン』、『はやウタ』(旧:『ごごウタ』)など
^洋子の演歌一直線』など
^ 制作局の千葉テレビのほか、テレビ埼玉、とちぎテレビ、群馬テレビ、KBS京都に2011年から2012年までネットしていた。番組終了した2013年は千葉テレビのみで放送していた。
^ 千葉テレビは『カラオケ大賞』(1982年放送開始)・『カラオケトライアル』シリーズ(放送開始当時のタイトルは『スーパーカラオケ』として、『billboard TOP40』開始と同じ時期である1983年10月放送開始、後にタイトルのみ変更し2020年まで継続)、テレビ埼玉は『カラオケ1ばん』(1984年 - 2020年に放送)、とちぎテレビは『うたの王様』(1999年の開局と同時に放送開始)、群馬テレビは『カラオケチャンネル』(2009年放送開始だが、カラオケ番組は『群馬テレビカラオケ大賞』が1981年放送開始して以降、毎年何かしらのカラオケ番組が放送されている)が自社制作のカラオケ番組として存在する。
^ 他局製作であれば、千葉テレビ制作で、tvkを含めた首都圏トライアングル同時ネットを行っている『ちば朝ライブ モーニングこんぱす』の木曜コーナーに、視聴者参加型カラオケコンテスト企画の「歌で100チャレ」がある。
^ 当時は、日本テレビ系列で全国展開していた各種のイベント(日本民謡大賞など。高校サッカーも含まれるが、これは現在も継続)に対して、各県大会の主催・協力局として名を連ねていた。
^ 出演者の不祥事により、2021年6月に事実上の打ち切り。同年9月に正式に番組が終了した[40]
^ プレスリリース日刊スポーツの記事では14番組となっているが、既にTVerで配信している『関内デビル』と『かがやけ!ミラクルボーイズ』が含まれているため、ここでは新規配信番組となる12番組とする。
^ 2020年10月から『水溜りボンドの○○いくってよ[注 25][41]、2021年4月から『関内デビル』(月曜放送分をのぞく)[42]、2022年1月から『かがやけ!ミラクルボーイズ』[43]、同年8月から『saku saku 2022』(特別番組[44]など。また、2023年3月から開局50周年記念イベントの一環として、期間限定で『あっぱれ!KANAGAWA大行進』や『クルマでいこう!』など12番組[注 26]の配信も行った[45][46]
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