テレビ東京
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午前中?午後日中、22時以後は主に「科学テレビ協力会」の協賛による「工業高校講座」や教養性のある映画など、19 - 21時台には「朝日新聞ワイドニュース」やクイズ・バラエティー番組、外国テレビ映画などがわずかであるが生放送されており、一般企業の協賛スポンサーがついた番組もあった[29]。
10月10日 - 24日 オリンピック東京大会を実況中継。平均12時間放送[30]。
1965年(昭和40年)8月14日 - 「戦争と平和を考える」徹夜のティーチイン(8月15日記念集会実行委員会主催)が赤坂プリンスホテルの国際会議場で開催され実況中継。第1部「ベトナム問題と日本の進むべき道」を終わり、第2部「戦中戦後の体験発表」に入った4時過ぎ、中継を突然打ち切り問題化[31]。
1966年(昭和41年)4月4日 - 経営再建のため1日5時間30分(日曜日は4時間)に短縮。人員180人の削減、番組販売の中止を実施。収入は財界の拠出金で賄う[32][33]。
当時のタイムテーブル(例:月曜日)[34]
10:00 - 11:30 工業高校講座(平均1講座25分づつ)
発送配電(3年生 月2回)、または体育(全学年・月1回)、特別教育活動(同左)
機械工作・上(1年生)
製図・I(同上)
電気論理(同上)
(11:30 - 16:55 放送休止=テストパターン画像を放送)
16:55 - 17:00 テストパターン(の画像と音楽)
17:00 - 18:30 工業高校講座(10:00 - 11:30生放送分の再放送で、放送順序は2→3→4→1)
18:30 - 18:56 映画・楽しい科学
18:56 - 19:00 朝日新聞ニュース
19:00 - 19:30 映画・動物の国
19:30 - 20:15 科学ドキュメンタリー・未知への挑戦
20:15 - 20:30 映画・東京レポート(東京都広報)
20:30 - 21:00 朝日新聞今日のニュース
(21:00放送終了)
当時のタイムテーブル(例:日曜日)
(16:55まで放送休止=テストパターン画像を放送)
16:55 - 17:00 テストパターン(の画像と音楽)
17:00 - 18:30 工業高校講座(当該週生放送分の再々放送)
電子工学(3年)
電気機器(同上)
発送配電・または電気理論III(いづれも同上・月2回)
原動機III・または工業計画(いづれも同上・月2回)
18:30 - 18:56 チェコの漫画・プラハの夢
18:56 - 19:00 朝日新聞ニュース
19:00 - 19:30 視聴者参加型番組・アイデア買います!ただいま特許出願中
19:30 - 20:30 同・異議あり!
20:30 - 21:00 朝日新聞今日のニュース
(21:00放送終了)
1967年(昭和42年)
4月10日 - 営業活動の再開。放送時間を8時間10分に再拡大[32]。
『マンガのくに』『月曜お笑いチャンネル』開始[35]。
11月14日 - 郵政省、従来認めなかった娯楽番組を20%認可する[36]。
1968年(昭和43年)
3月28日 - カラー放送を開始(東京地区では5番目)[37][38]。テレビで放送される初のカラー番組は、『第40回選抜高等学校野球大会 開会式』(MBSテレビからの同時ネット放送)。
8月2日 - 郵政省、運用が免許条件に違反する疑いがあると警告した[39]。
現法人設立後
1968年(昭和43年)7月1日 - 毎日放送(MBS)や日立製作所、日産自動車、東レ[注釈 15]をはじめとした企業の出資により株式会社東京十二チャンネルプロダクションを設立。
1969年(昭和44年)
10月27日 - 日本経済新聞社が財団法人日本科学技術振興財団テレビ事業本部の運営を引き受ける[40]。
11月1日 - 日本経済新聞を迎え再スタート。
財団テレビ事業本部に再免許付与(有効期限1年)。以降1970年は2年間、1972年は1年間の有効期間が付く[41]
資本金を10億円から20億円に増資。増資の内訳は日経6億円、日本生命グループ[注釈 16]4億円。
1971年(昭和46年)11月8日 - 自動番組制御装置(APS)運用開始[42]。
1973年(昭和48年)
10月1日 - 商号を株式会社東京十二チャンネルに変更。目的に「放送法によるテレビジョン等放送事業」を追加し、財団法人日本科学技術振興財団からテレビ放送事業を譲り受ける[43]。
10月31日 - 郵政省、東京十二チャンネルに総合局としての予備免許交付。「教育番組20%以上、教養番組30%以上」の確保が義務付けられる[44]。この日、教育専門局から総合局として申請し予備免許を取得したNET(現:テレビ朝日)とともにこの比率は1982年10月末迄適用された。11月1日、本免許交付。
この日をもって日本科学技術振興財団テレビ局1社8局廃局[注釈 17][45][46]。
11月1日 - 一般総合局として東京12チャンネル1社8局開局[45][46]特別番組『新生12チャンネルの門出』放送。
1978年(昭和53年)12月25日 - 標準テレビジョン音声多重放送(JOTX-TAM)を放送開始[47]。なお、同放送第1号は「音声多重放送開始の案内」(二か国語放送)。
1981年(昭和56年)10月1日 - 商号を株式会社テレビ東京に変更[注釈 18]。
1983年(昭和58年)2月 - 自動番組制御装置(APS)を更新[48][49]。
旧:日経電波会館(現:日経虎ノ門別館)
1984年(昭和59年)6月1日 - 新社屋着工[50]。
1985年(昭和60年)12月12日 - 虎ノ門四丁目3番12号に建設され同年11月25日に竣工[51]した「日経電波会館」に移転。これと同時に芝公園4-4-7の旧社屋はテレビ東京スタジオセンター(現:東京タワーメディアセンター)となる。
1985年から2016年の本社屋(旧:日経電波会館→現:日経虎ノ門別館)。現在、社屋のロゴは取り外されており、正門のオブジェや時計台も全て撤去されている。
1989年(平成元年)4月1日 - コールサインからとった「TX」を正式に略称とする。なお、それ以前は開局時から「12ch」を略称とする事が比較的多かった。
1993年(平成5年)10月1日 - 開局30周年を機に、製作著作クレジット等で、従来の「テレビ東京」のロゴの左にキスマークを模した赤の丸(○)およびその下に当時のキャッチコピーの「チュッ!」のマークと、従来ロゴの上に赤文字で「30th Anniversary」(1995年途中まで)が入ったクレジットロゴマークが付けられていた(アニメ等一部の番組では「30th Anniversary」のロゴを使用せず、1995年途中から従来ロゴの左に丸印および「チュッ!」マークのみ使用していた)。番組によっては、いずれかの一色で掲げる事もあった。1998年3月31日までこのクレジットロゴマークを使用していた(同年4月1日から9月30日までの半年間は、「テレビ東京」のクレジットロゴのみ残っている)。
1996年(平成8年)10月1日 - 標準テレビジョンデータ多重放送(ITビジョン)を開始(2003年12月26日まで)。
1997年(平成9年)12月24日 - 有料CS放送「アニメシアター・エックス(AT-X)」放送開始。
1998年(平成10年)10月1日 - 開局35周年を機にロゴマークを変更。
1999年(平成11年)12月12日 - 天王洲スタジオの運用開始。
2000年(平成12年)
6月 - 子会社エー・ティ・エックスを設立し、AT-X事業を移管。
12月1日 - BSデジタル放送局「BSジャパン」開局。地上波放送番組のうちニュースなどの生放送番組や一部のバラエティ番組などがハイビジョンで放送されるようになる。
2003年(平成15年)
6月25日 - 英文社名をTelevision Tokyo Channel 12, LimitedからTV TOKYO Corporationに変更される。
12月1日 - 地上デジタルテレビ放送の本放送を開始。
2004年(平成16年)8月5日 - 東証1部に株式上場(証券コード:9411)。
2005年(平成17年)12月12日 - 公式アニメサイトを「アニメエクスプレス」から「あにてれ」に変更(公式では同日12時12分12秒頃に行ったと発表)。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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