テレビ東京
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結局、1969年11月に再三にわたる財界からの要請を受ける形で日本経済新聞社日本経済新聞)が東京12チャンネルプロダクションの経営を引き受け、正式に参加[23][注釈 10][22]。「科学テレビ」をグループの電波媒体として、朝日新聞社もこの動きに同調した。それまで東京12チャンネルは朝日新聞社と報道提携を結んでおり、同局の報道一切は朝日新聞社が制作していて、また同社は日本科学技術振興財団の財団債も保有していた。一方日本経済新聞社は当時、朝日新聞社が経営に乗り出していた日本教育テレビ(後のテレビ朝日)にも出資していたが、この後1974年2月にこの出資分を朝日新聞社と旺文社が折半して買い取って両局の新聞資本が整理された。なお、テレビ東京とその系列局はその後も『ホロニックパス』『テクノピア』『パソコンサンデー』などの科学技術番組を送り出している。詳細は「高橋信三#テレビ東京支援と相次ぐ打ち切り事件」を参照

1973年10月1日、株式会社東京12チャンネル(東京12チャンネルプロダクションの商号を変更)は放送法によるテレビ放送を事業目的に加え、経営および放送事業を財団より譲り受けた。また国の方針で京浜地区の民放の教育専門局を廃止し一般総合局とするチャンネルプランの変更もあり、財団は申請していた科学技術教育専門局の免許申請を取り下げたうえ(12チャンネル側が別に総合放送局としての免許申請を行った)部署の清算に取りかかり、科学テレビは10月31日に廃局。そして翌11月1日に総合放送局として改めて開局した(移行前日の10月31日の放送終了時に告知テロップが表示された)。この後、他のキー局のように地方系列局を持っていないハンディを克服するため、近畿・中京圏の独立放送局への番組販売(番販)を展開するようになる。主な対象局は兵庫県のサンテレビ(兵庫県)、びわ湖放送滋賀県)、近畿放送(現:KBS京都)、ぎふチャンなどである。

なお、1969年10月1日から1975年3月30日までは大阪のMBS[注釈 11]と、1973年3月31日までは中京テレビとも提携関係にあった[注釈 12]。またその後も、関西地区ではテレビ大阪が開局する1982年3月まで在阪準キー各局が、東海3県ではテレビ愛知が開局する1983年9月まで在名基幹各局が、それぞれ番販購入の形で東京12チャンネルの番組をネットしていたこともある。

東京12チャンネル時代は、他局が6時台から放送開始している中で番組ソフトが不足していたこともあり、開局当初から1974年頃までは10時前(その後1977年6月までは9時から→同年7月以後はさらに8時前に繰り上げ)からと比較的遅い時間での放送開始となっていた。そのため、一部の新聞のテレビ欄では午前中の部分を広告欄に差し替えていた[注釈 13]

1981年10月1日、1982年のテレビ大阪が開局を控え商号を「株式会社東京十二チャンネル」から現在の「株式会社テレビ東京」[注釈 14]へと変更した。
沿革
設立前(科学テレビ時代)

1961年(昭和36年)10月26日 - 第39回国会、衆議院科学技術振興対策特別委員会において日本科学技術振興財団への免許交付促進を決議
[25]

1962年(昭和37年)

7月28日 - 郵政省、テレビジョン放送用周波数割当計画表を修正。京浜地区の局の数を7に改め、チャンネルの欄に12を追加する。12チャンネルは米軍から返還されたチャンネルで、民放科学技術教育専門局用として割り当てられる[26]

11月13日 - 郵政省、日本科学技術振興財団に対し「科学技術教育番組60%、その他一般教育番組15%を基準」を電波法により条件付け予備免許を付与。競願していたラジオ関東、中央教育放送など4社の免許は拒否[27]


1964年(昭和39年)

4月12日 - 科学技術学園工業高等学校(現:科学技術学園高等学校)が開校し、授業放送(科学テレビ)を開局。11時30分よりテストパターンにベートーベンの交響曲第9番『合唱』の第4楽章全曲の音声を流し、局名が「東京12チャンネル」ということもあって、12時から放送開始した。当初は『朝日新聞ニュース』も放送していた。
当日のタイムテーブル[28]


11:30 - 12:00 テストパターン

12:00 - 13:00 開局特別番組「東京12チャンネル誕生」

13:00 - 13:30 同「科学と人づくり」

13:30 - 14:30 同「日本の科学技術」

14:30 - 15:00 同「月世界への道」

15:00 - 15:30 同「原始に生きる島」

15:30 - 16:00 同「座談会・科学と人間」

16:00 - 17:30 同「NHK交響楽団(指揮:外山雄三)特別演奏会」

17:30 - 18:00 同「朗読・銀河鉄道の夜

18:00 - 18:10 朝日新聞ニュース

18:10 - 19:00 公開番組「12の関所・ゲスト大会」

19:00 - 20:00 開局特別番組「未来をうたおう(働く青少年の集い)」

20:00 - 20:30 朝日新聞ワイドニュース

20:30 - 21:30 開局特別番組「バラエティーショー・こんばんは21世紀

21:30 - 23:00 同「劇・孤愁の岸(宝歴治水始末記)」

23:00 - 23:10 朝日新聞ニュース

23:10 - 23:15 朝日新聞海外ニュース

23:15 - (終了時間未詳) 開局特別番組「明日をひらく」


当時の番組の平均編成としては、9時30分から10時までテストパターン画像、10時から放送を開始し、一度15時5分から16時までテストパターンを伴う放送休止(15時台後半に音楽)を挟み、16時から再開、23時45分(日曜のみ23:15)で放送終了していた。午前中?午後日中、22時以後は主に「科学テレビ協力会」の協賛による「工業高校講座」や教養性のある映画など、19 - 21時台には「朝日新聞ワイドニュース」やクイズ・バラエティー番組、外国テレビ映画などがわずかであるが生放送されており、一般企業の協賛スポンサーがついた番組もあった[29]

10月10日 - 24日 オリンピック東京大会を実況中継。平均12時間放送[30]


1965年(昭和40年)8月14日 - 「戦争と平和を考える」徹夜のティーチイン(8月15日記念集会実行委員会主催)が赤坂プリンスホテルの国際会議場で開催され実況中継。第1部「ベトナム問題と日本の進むべき道」を終わり、第2部「戦中戦後の体験発表」に入った4時過ぎ、中継を突然打ち切り問題化[31]

1966年(昭和41年)4月4日 - 経営再建のため1日5時間30分(日曜日は4時間)に短縮。人員180人の削減、番組販売の中止を実施。収入は財界の拠出金で賄う[32][33]
当時のタイムテーブル(例:月曜日)[34]


10:00 - 11:30 工業高校講座(平均1講座25分づつ)

発送配電(3年生 月2回)、または体育(全学年・月1回)、特別教育活動(同左)

機械工作・上(1年生)

製図・I(同上)

電気論理(同上)
(11:30 - 16:55 放送休止=テストパターン画像を放送)

16:55 - 17:00 テストパターン(の画像と音楽)

17:00 - 18:30 工業高校講座(10:00 - 11:30生放送分の再放送で、放送順序は2→3→4→1)

18:30 - 18:56 映画・楽しい科学

18:56 - 19:00 朝日新聞ニュース

19:00 - 19:30 映画・動物の国

19:30 - 20:15 科学ドキュメンタリー・未知への挑戦

20:15 - 20:30 映画・東京レポート(東京都広報)

20:30 - 21:00 朝日新聞今日のニュース
(21:00放送終了)
当時のタイムテーブル(例:日曜日)
(16:55まで放送休止=テストパターン画像を放送)

16:55 - 17:00 テストパターン(の画像と音楽)

17:00 - 18:30 工業高校講座(当該週生放送分の再々放送)

電子工学(3年)

電気機器(同上)

発送配電・または電気理論III(いづれも同上・月2回)

原動機III・または工業計画(いづれも同上・月2回)


18:30 - 18:56 チェコの漫画・プラハの夢

18:56 - 19:00 朝日新聞ニュース

19:00 - 19:30 視聴者参加型番組アイデア買います!ただいま特許出願中

19:30 - 20:30 同・異議あり!

20:30 - 21:00 朝日新聞今日のニュース
(21:00放送終了)

1967年(昭和42年)

4月10日 - 営業活動の再開。放送時間を8時間10分に再拡大[32]

マンガのくに』『月曜お笑いチャンネル』開始[35]


11月14日 - 郵政省、従来認めなかった娯楽番組を20%認可する[36]


1968年(昭和43年)

3月28日 - カラー放送を開始(東京地区では5番目)[37][38]。テレビで放送される初のカラー番組は、『第40回選抜高等学校野球大会 開会式』(MBSテレビからの同時ネット放送)。


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