テレビ東京
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過去の「テレビ東京」のロゴマークは1981年10月1日(「TV TOKYO」の英語ロゴマークは1985年4月1日[50])から1998年9月30日まで使用しており、1985年のCI制定では開局20周年から30周年となる次の10年(1994年)に向け燃える局の姿勢を表すバーミリオンレッドを和文ロゴとVの大半を除くTV TOKYOの部分、限りなく広がる大空とたくましい未来志向の局の姿勢を表すスカイブルーをVの大半の三角とチャンネル番号の12にあしらったものとした[50]

1998年10月1日以降の「TV TOKYO」のロゴマークはTVのVとTOKYOのYのリングでメディアと社会のインタラクティブの重要性を模り、信頼性の高い情報とユニークな番組で未来を想像し、ジャーナリズムの在り方を提案する企業姿勢を表しており[130]、又、「テレビ東京」のロゴマークも普通の書体に変更されている。

2023年11月13日にロゴを「TV TOKYO」から「テレ東」に変更。新しいブランドマークは「テレ東」と英語表記の「TV TOKYO」を並列に置き、既存の青と赤の色を引き継ぐ。青色はテレ東ブルーと呼ばれ、「視聴者、パートナーに信頼される存在となるという想い」を込める。また、ロゴには「7」が含まれ、これを赤色であるテレ東レッドで表現。こちらは「心を温かく、時に熱く、一人ひとりに深く届けていくという想い」が込められており、この「7」はその形から「テレ東アロー(矢)」ともいわれる[61][注釈 48]
製作著作クレジット

1993年10月1日 - 開局30周年を機に「○チュッ! テレビ東京」に変更。「テレビ東京」の局ロゴの左側にキスマークを模し、その赤い丸(○)の下側に当時のキャッチフレーズ・「チュッ!(黒文字)」の文字が入ったクレジットされる。1998年3月31日まで使用された。

1998年10月1日 - 開局35周年を機にロゴマークを「TV TOKYO」に一新。

2003年9月29日 - 開局40周年を機に「TV TOKYO」の右側に「40th Anniversary」のロゴに変更。2005年4月2日まで使用された。

2008年7月1日 - 開局45周年を機に「TV TOKYO 7ch デジタル」/「TV TOKYO 7ch digital」/「TV TOKYO 7チャンパンダ」に変更。「TV TOKYO」の局ロゴの右側に赤と青の2色カラーの円内に白抜きの「7ch」の文字が入っており、その円の下側に青文字の「デジタル」または「digital」の文字が入ったクレジットされる。その後、『
JAPAN COUNTDOWN』(テレビ大阪に制作局が変更される2011年9月末まで)、『開運!なんでも鑑定団』など一部の番組ではこれよりも後年まで旧製作著作クレジット(TV TOKYO)のままであった。また、テレビ東京グループと同日から同じTXN系列のテレビ大阪が製作著作クレジットにリモコンキーID「7」を入れている。番組冒頭およびCM明けにおいて、「TV TOKYO 7ch digital」と画面上に表示されるようになった(主に夜間の主要番組)。

2013年9月30日 - 開局50周年を機に「TV TOKYO ナナナ」に変更。一部の番組は「TV TOKYO ナナナ 50th」が使用された。ウォーターマークも「TV TOKYO 50th」のロゴを導入。

2018年10月1日 - 開局55周年を機に「TV TOKYO ナナナ 55th」に変更。2020年4月11日まで使用された。

2023年11月13日 - 開局60周年を機に前述の新ロゴを使用した「テレ東 60th ナナナ」に変更。

イメージキャラクター

過去はデジタルテレビ放送開始記念して、7ch デジタル7チャンネルのピラメキパンダが使われていた。

現在は開局50周年記念を機に制定されたナナナが使われている。

2023年3月、BSテレ東に新キャラクター「びーえするるる」が登場した[131]
歴代社長・代表者
科学教育局

年月東京12チャンネル
プロダクション 社長日本科学技術振興財団出来事
テレビ事業本部長会長
1960年04月※設立前※不在
倉田主税日本科学技術振興財団 設立
1963年06月倉田主税テレビ事業本部 設立
1964年03月津野田知重
1965年06月藤本輝夫
1966年12月上村健太郎植村甲午郎第1次再建計画 一般番組の増強を決定
1967年01月村木武夫
1968年05月長谷慎一第2次再建計画 制作部門の分社を決定
1968年07月上村健太郎東京12チャンネルプロダクション 設立
1969年11月河口静雄河口静雄日本経済新聞社 経営参加
1973年04月佐藤良邦佐藤良邦日本経済新聞社の前常務が社長に就任

一般総合局

一般総合局移行後は、全員が筆頭株主である日本経済新聞社の専務取締役クラスの人物である。

その為、在京キー局で唯一プロパー社員が社長に就任したことがない。

年月社長会長
1973年11月佐藤良邦※不在
1975年10月中川順
1989年06月杉野直道中川順
1993年06月※不在
1996年06月一木豊杉野直道
2001年06月菅谷定彦一木豊
2007年06月島田昌幸菅谷定彦
2011年06月※不在
2013年06月橋雄一島田昌幸
2015年06月※不在
2017年06月小孫茂橋雄一
2020年06月石川一郎小孫茂

個人別詳細

氏名出身企業・団体東京12チャンネル 関連役職
倉田主税日立製作所 社長→会長1960.04.19 - 1966.12.18:財団 会長
1963.06.22 - 1964.03.09:財団 テレビ事業本部長
植村甲午郎経済団体連合会 副会長→会長
日本航空 会長
ニッポン放送 会長
フジテレビジョン 相談役1961.10.26 - 1966.12.18:科学テレビ協力会[132] 会長
1966.12.19 - 1973.10.31:財団 会長
津野田知重1964.03.10 - 1965.06.19:財団 テレビ事業本部長
藤本輝夫日産生命保険 社長1965.06.20 - 1966.12.18:財団 副会長
1965.06.20 - 1966.12.18:財団 テレビ事業本部長
上村健太郎日本道路公団 総裁1966.12.19 - 1973.03.31:財団 副会長
1966.12.19 - 1967.01.10:財団 テレビ事業本部長
1968.07.01 - 1969.10.31:プロダクション 社長
村木武夫住友石炭鉱業 副社長1967.01.11 - 1968.05.21:財団 テレビ事業本部長
長谷慎一1968.05.22 - 1969.10.31:財団 テレビ事業本部長
河口静雄三共 副社長
全日本広告連盟 理事長
日経広告研究所 理事長1969.11.01 - 1973.03.31:財団 テレビ事業本部長
1969.11.01 - 1973.04.08:プロダクション 社長
佃正弘日本経済新聞社 常務1969.11.01 - 1971.02.00:財団 テレビ事業副本部長
1969.11.01 - 1971.02.00:プロダクション 専務
佐藤良邦日本経済新聞社 常務1973.04.01 - 1973.10.31:財団 テレビ事業本部長
1973.04.09 - 1973.10.31:プロダクション 社長
1973.11.01 - 1975.09.30:東京12チャンネル 社長
中川順日本経済新聞社 常務1971.02.00 - 1973.10.31:財団 テレビ事業副本部長
1971.02.00 - 1973.10.31:プロダクション 専務
1973.11.01 - 1975.09.30:東京12チャンネル 専務
1975.10.01 - 1981.09.30:東京12チャンネル 社長
1981.10.01 - 1989.06.29:テレビ東京 社長
1989.06.30 - 1993.06.27:テレビ東京 会長

主要役員・社員

Category:テレビ東京の人物も参照。
過去


田中良 - 広告担当。退社後は杉並区議会議員(1期)、東京都議会議員(5期)、杉並区長(3期)を歴任した。

田原総一朗 - ディレクタードキュメンタリー映画監督。退社後はジャーナリストとして活動。

中川俊直 - 政治部記者。元自民党衆議院議員(2期)。

ばばこういち - 退社後はジャーナリストとして活動。

佐久間宣行 - 退社後はフリーのプロデューサー、タレントとして活動。現在も一部番組を手掛ける。

アナウンサー「テレビ東京のアナウンサー一覧」を参照
グループ会社

認定放送持株会社の株式会社テレビ東京ホールディングスと事業子会社が3社、関係会社が15社ある(2019年3月31日現在)[4]
認定放送持株会社

株式会社
テレビ東京ホールディングス

事業子会社

株式会社テレビ東京(TV TOKYO、テレビ東京、テレ東、旧:東京12チャンネルテレビ、東京12チャンネル)

株式会社BSテレビ東京(BSテレビ東京、 BSテレ東、旧:BSジャパン)

株式会社
テレビ東京コミュニケーションズ(東京証券取引所マザーズ上場)(映像コンテンツの配信・提供)

関係会社

株式会社
テレビ東京ミュージック(音楽著作権の管理、イベント、音楽番組の制作など)

株式会社テレビ東京メディアネット(番組販売)

株式会社テレビ東京コマーシャル(CM放送の準備)

株式会社テレビ東京アート(美術装置・番組用照明の企画制作)

株式会社テレビ東京システム(システム開発)

株式会社テレビ東京制作(PROTX)(番組の企画・制作)

株式会社テレビ東京ダイレクト(旧:株式会社プロント)(通信販売・広告販売)

株式会社テレビ東京ヒューマン(放送準備)

株式会社テクノマックス(技術制作)

株式会社テレビ東京ビジネスサービス(施設管理など)

株式会社エー・ティー・エックス(アニメシアターX)(アニメ番組提供)

TV TOKYO AMERICA,INC.(米国報道)

株式会社日経映像(番組制作)

株式会社インタラクティーヴィ(CS委託放送)

株式会社日経CNBC

株式会社プレミアム・プラットフォーム・ジャパン(Paravi

株式会社TVer

関連放送事業者

InterFM897 - 2009年2月?2012年6月の間、子会社であった。なお、現在も本社をテレビ東京天王洲スタジオに構える。

日経ラジオ社 - 同じ日経グループだが繋がりは薄い。

びわ湖放送 - 40,000株を保有する第5位株主。

系列放送局「TXNネットワーク#加盟局」を参照
関連企業

日本経済新聞社

FC東京
テレ東が株式を保有する[133]のみならず、2003年8月5日の対レアル・マドリード戦(生中継)を[134]、2008年7月31日の対クラブオリンピア戦(録画)中継する[135]など関係が深い。
不祥事・事件・トラブル

1970年10月から1971年4月にかけて
永井豪の同名作品を原作としたドラマ『ハレンチ学園』を放送。当時としては過激な表現があったため社会問題となり、半年で終了した[136]

1975年から放送された『独占!男の時間』に出演していた笑福亭鶴瓶がリハーサルで披露したギャグを担当のプロデューサーに傲慢な態度で批判されたこと[137][138]に怒り、腹いせに本番でカメラの前で股間を露出。カメラに股間を押し付けた末に、スタジオから強制的に退場させられた[139]。また、鶴瓶は司会者だった山城新伍の計らいで出演した[140]1977年3月26日放送の最終回においても、番組打ち切り[注釈 49]に納得がいかない山城に促される形で、テレビカメラの前で肛門を見せてスタジオから逃走[141][139]。その勢いで、敷地内にあった池[注釈 50]に飛び込むと、当時の社長である中川順が大切に育てていた錦鯉を踏み殺した。この件で鶴瓶は2003年の系列局・テレビ大阪制作であった『きらきらアフロ』のテレビ東京第1スタジオ(当時)での収録[142]までテレ東から出入り禁止[143]となった。

1997年2月15日、『ザ・道場破り!』の企画としてのトルコでのオイルレスリングの試合の前座を務める江頭2:50が興奮のあまり、身に付けていたふんどしを脱ぎ捨て性器を露出した全裸の状態で自身の持ち芸を披露した。会場は騒然となり試合は中止となる。トルコでは宗教の関係で人前で全裸になることは禁じられているため、江頭は現地警察に逮捕された。この映像が同月19日には米国の通信社により世界に配信されたことで当時の社長が謝罪する事態となった[144]

1997年にテレビアニメ『ポケットモンスター』の放送中、視聴者が突然倒れ病院に運ばれるといった事件が発生した(いわゆる「ポリゴンショック」)。本放送の終了後、放送を見ていた一部の視聴者が体調不良を訴え、病院に救急搬送された。病院に搬送された患者の多くは児童であった。自治省(現:総務省消防庁の調べでは30都道府県の中の651人が病院に搬送され、そのうち、130人以上が入院したとされている[145]。原因とされているのは、パカパカを始めとするストロボやフラッシュなどの激しい点滅が多用されたシーンを断続的に視聴したことにより引き起こされた光過敏性発作である。一つのテレビ番組を見ていたことで700人近くが病院に搬送されたのは、世界のテレビ史上初の出来事であったとされ[146]、「最も多くの視聴者に発作を起こさせたテレビ番組(Most Photosensitive Epileptic Seizures Caused by a Television Show)」として、ギネス世界記録に認定[147]された。


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