テレビ朝日
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4月10日 - この日行われた皇太子(明仁上皇)正田美智子の成婚パレードの模様をラジオ東京テレビ(KRT、現:TBSテレビ)との共同制作により、両局で生中継[注釈 9]


1960年

1月17日:出力を映像50kW、音声12.5kWに増力。

12月10日:社名呼称を「NETテレビ」に統一。


1961年4月3日:午前6時30分より早朝放送開始。

1963年11月23日:NHKと共同で、リレー衛星による日米間初のテレビ中継に成功。ケネディ大統領暗殺事件を伝える内容であり、当時の準キー局・毎日放送 (MBS) アメリカ支局のアナウンサーが「残念なお知らせがあります」と伝えた。

1964年

4月1日:日本初のワイドショー番組『木島則夫モーニングショー』スタート。

10月1日:福岡地区の九州朝日放送(KBC)が、フジテレビとの複合ネットから、単独ネット化に踏み切る。


1965年4月5日:『アフタヌーンショー』スタート。

1967年

3月27日:カラー放送がスタート(東京地区では4番目)。第1号はアニメ魔法使いサリー』次回予告。

6月10日:NETテレビを幹事局とし、民間放送34社で構成する民間放送教育協会(民教協)発足。


1970年1月1日:ニュース番組のタイトルを『ANNニュース』に変更。

1971年11月20日:報道を朝日テレビニュース(後のテレビ朝日映像)に委託(1978年11月に終了)。

1973年

4月1日:名古屋地域における名古屋テレビ放送(NBN、当時は名古屋放送)と中京テレビ放送(CTV、開局当初は中京UHFテレビ放送)の2局による、日本テレビとの変則複合ネットが解消され、名古屋テレビがNETテレビの単独ネット化に踏み切る(→ネットチェンジの項参照)。

10月1日:報道スタジオ完成。スポットニュースを除き、全てのニュースがアナウンサー顔出しとなる。

11月1日:総合放送局に移行。同日総合放送局に移行した東京12チャンネルとともに「教育番組を20パーセント以上、教養番組を30パーセント以上」の確保が条件とされた。2社とも1982年の再免許の際に「教育10%以上、教養20%以上」に緩和されるまで続いた。


1974年

1月7日:石油危機により深夜放送自粛(10月に全面解除)。

3月23日:創立以来続いてきた学校放送が『みんなの東京』(小学校4年生社会科)以外終了(民教協企画の『親の目・子の目』は継続。2004年3月で終了し、『いきいき!夢キラリ』『発見!人間力』『学びEye!』『日本!食紀行』を経て、現在は『日本のチカラ』が放送されている)。

4月1日:各地のネットワーク局とニュース協定を締結し、ANN(オールニッポン・ニュースネットワーク)が正式に組織される。

11月19日:近畿地方の準キー局が、これまでの毎日放送(MBS)から朝日放送(ABC)にネットチェンジすることで基本合意。毎日放送は、これまで朝日放送がネットを組んでいた東京放送(TBS)およびJNNとネットを組むことが決定された。


1975年

3月31日:NETテレビ-朝日放送(ABC)の新ネットワークがスタート。テレビネットワークのいわゆる“腸捻転”状態が解消され、TBS系列で放送されていた『新婚さんいらっしゃい!』や『シャボン玉プレゼント』、「必殺シリーズ[注釈 10]」などの朝日放送制作番組が、NETテレビのネットワーク(ANN)に引き継がれた。

4月5日:スーパー戦隊シリーズの第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』スタート。


1976年2月2日:黒柳徹子の司会によるトーク番組『徹子の部屋』スタート。

1977年

2月7日:マスター更新(NEC製)。同時に東京タワー送信所が無人化[24]

3月9日:1980年モスクワオリンピックの独占放映権を取得。民放一局によるオリンピックの独占放映権取得は日本初[25]

4月1日:全国朝日放送株式会社(ANB)に商号を変更。ただし社名で呼ばれることはほとんどなく、同時に愛称として制定された「テレビ朝日」で親しまれる。


1978年

5月22日:CMバンク導入[24]

9月22日:音声多重放送実用化試験局予備免許交付[26]

12月17日:音声多重放送を開始(音声多重放送実用化試験局)。第1号は20:54の『ANNニュース』。ステレオ第1号は12月24日の『題名のない音楽会』。


1979年4月2日:テレビアニメ『ドラえもん』放送開始。

1980年7月 - 8月:モスクワオリンピックを独占放送。五輪の独占放映権獲得は民放初となったが、日本のボイコット決定により深夜での録画放送に縮小された。

1982年10月9日:毎度おなじみ流浪の番組『タモリ倶楽部』放送開始。

1985年

9月28日:アークヒルズにアーク放送センターが完成。報道機能などを移転。

10月7日:久米宏をメインキャスターに起用した夜の大型ニュース番組『ニュースステーション』がスタート。

10月8日:『アフタヌーンショー』において、1985年8月20日放送の企画でディレクターが暴走族リンチをさせ、中学生らに怪我を負わせていたことが発覚した。ディレクターは暴行教唆容疑で逮捕され、同番組も10月18日に打ち切り終了した。その後、その件について郵政省から厳重注意を受けた(やらせリンチ事件)。


1986年

5月26日:アークヒルズに本社を移転。旧本社社屋は「六本木センター」の名称となり、制作部門が残り、登記上本店も六本具センターと同一の住所で不変だった。これ以降、2000年の六本木センター解体まで報道と情報系生番組はアークヒルズにて、バラエティ、ドラマ、音楽番組などは六本木センターで制作[27]

10月24日:音楽番組『ミュージックステーション』スタート。


1993年

4月1日:山形テレビ(YTS、山形県)がこの日から、これまでのフジテレビ系列からテレビ朝日系列にネットチェンジ。

7月:選挙報道において報道局長による中立違反疑惑が発生(椿事件)。


1996年

6月20日:ルパート・マードック率いるニューズ・コープ孫正義率いるソフトバンクの合弁で設立した新会社が旺文社が保有していたテレビ朝日の全株式を買い取り、保有率21.4パーセントの筆頭株主になることが発表される[28]。日本の放送局にとって初めての外資とベンチャー企業によるM&Aであり、敵対的買収であったが、1997年3月、当時第3位の株主の朝日新聞社が新会社保有の株式をすべて買い取ることで合意し、朝日新聞社がテレビ朝日の筆頭株主になる。

10月1日:岩手朝日テレビ(IAT、盛岡市)が開局し、ANN(フルネット24局)が完成。


1997年3月31日:『スーパーJチャンネル』放送開始。

1998年4月1日:本来であれば琉球朝日放送(QAB)の放送対象区域である沖縄県の大東諸島(北大東島南大東島)にテレビ難視聴対策の一環としてテレビ朝日の中継局が設置される[注釈 11]

2000年

1月30日:『仮面ライダークウガ』放送開始。

8月1日:現社屋着工[29]

10月3日:東京証券取引所市場第1部に株式を上場。

12月1日:午前11時、系列のBSデジタル放送BS朝日』(デジタルBS5ch。本社・渋谷区神宮前)が開局。


2002年6月:「全社変革推進運動」を開始(2007年まで実施)。

2003年

3月31日:現社屋竣工[29]

7月1日:登記上の本店を六本木センターから六本木ヒルズ内の新社屋に変更[30]
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