テレビ朝日
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AABは、1992年に開局した秋田朝日放送(Akita Asahi Broadcasting CO., LTD. )の英字略称として使われている。
ネットワーク

ANN(All-nippon News Network)というニュース系列キー局であり、地方局各社とネットワークを結んでいる。また、系列局がない地方の報道取材は各主要系列局が分担しており、テレビ朝日は山梨県富山県鳥取県島根県東部・隠岐を担当している。富山県は北陸朝日放送と共同。甲府富山鳥取(1989年新設)・米子松江(2005年新設)に支局がある。なお、米子支局は鳥取県、島根県東部・隠岐の統括支局に位置づけられており、米子支局から分離独立した鳥取・松江の2支局は米子支局の傘下の支局として扱われている。また、島根県西部は広島ホームテレビ徳島県高知県[注釈 2]朝日放送テレビが、佐賀県九州朝日放送がそれぞれ取材エリアとして担当しており、福井県宮崎県クロスネット局と合わせて全国をカバーしている[注釈 3]ANNのリモコンキーID地図
略歴

※詳細な社歴は「#沿革」を参照

1957年、テレビ業界への進出をうかがっていた東映、テレビ兼営をねらった日本短波放送(のちの日経ラジオ社)およびその親会社である日本経済新聞社、そして旺文社など出版業界・教育関係者の三者が中心となり、また別に申請していた日活新東宝といった大手映画会社も合流し[4]、教育番組専門局として株式会社日本教育テレビを設立。免許交付の条件は教育番組を50パーセント以上、教養番組を30パーセント以上放送するというものであり、営利を目的とした教育専門局は世界でも珍しかった。

しかし、この試みは教育番組のセールスや番組販売が伸び悩んだことで業績がふるわず、事実上失敗に終わった。その後は例えばアニメーションを「子供情操教育のため」、外国映画海外ドラマを「外国文化の紹介」、時代劇を「歴史教育」の名目で「教育番組」や「教養番組」に指定して郵政省に届け出をし、対外呼称も「日本教育テレビ」から「NETテレビ」に変更(1960年12月)して事実上の総合放送局化を図った。また、1964年に他局に先駆けて開始された日本初のワイドショーモーニングショー』も「教養番組」の総放送時間を増やすために開発されたものである。

1973年11月に、同じ教育専門局だった東京12チャンネル(のちのテレビ東京)の深刻な経営不振などを理由に、NETテレビにも総合局免許が交付され、名実ともに「総合局NET」として再出発することとなった。


開局前に、東映は朝日新聞社と合弁で朝日テレビニュース社を設立して、NETテレビは開局以来同社が制作したニュースだけを放送していた。しかし1966年に東映の持株の半分を朝日新聞社が譲受して以降、資本面や経営面でも朝日新聞社との結びつきが強化され、事実上朝日新聞社の傘下に入った。

そのこともあり、開局当初から東映グループが制作するテレビ番組は、NETテレビが独占的に扱っていたが朝日新聞社の傘下に入って以降は東映グループが民放他局の製作番組にも積極的に関わるようになっている。


1967年6月10日、学校放送を母体とするネットワークである民間放送教育協会(現在は公益財団法人に移行)を文化放送とともに結成。NETの学校放送をネットする放送局が加盟局となって結成されたため、ANNとは加盟局が大幅に異なる。

1977年4月1日、全国朝日放送株式会社に社名変更して略称を「テレビ朝日」とする。

これは、上述の総合局免許の交付によって「教育」の名を含む社名は実態にそぐわないという理由から行われたものであり、社名は1976年12月2日の取締役会で内定したもの。当時の専務は朝日新聞の取材に対し「候補としては新日本放送[注釈 4]、全日本放送などの案もあったが、似たような名の局があって紛らわしい。結局、朝日新聞とも関係が深いことから、歴史もあり、知名度の高い朝日の名を利用させていただくことにした。全国としたのは大阪九州の朝日放送へも番組を流しているキー局のイメージに合わせたもの」と内定理由を説明している[5]

その後、全社員に「略称」「シンボルマーク」「キャッチフレーズ」を募り[2]、翌1977年1月14日の臨時株主総会をもって正式決定した。略称案は「全国朝日」「オールアサヒ」など「朝日」を含む案が九割で、その中から親しみやすく会社の略称をよく示しているものとして「テレビ朝日」が選ばれた[3]


1989年、鳥取・米子の2支局(取材拠点)を有限会社エーサットサンインとして分社化。

1996年10月1日、岩手朝日テレビの開局をもってANN全国ネットワークの完成を宣言。同時に系列のシンボルマークを制定した[6]

2002年、前年の世界水泳選手権福岡大会での取り組みをきっかけに、体質改善を目的として「全社変革推進運動」を開始し、2007年まで続けられた。この間に大幅な社内改革が行われ、結果として後述するような視聴率の向上につながった。

2003年の六本木ヒルズ新社屋移転を「第3の開局」と位置付け[7]、社名を株式会社テレビ朝日に変更、企業ロゴも欧文主体のものに改めた。同時に、地域子会社の有限会社エーサットサンインを吸収し支局運営を直営へ戻す。

2005年、年間視聴率ならびに年度視聴率でプライムタイムの視聴率が開局以来初の2位となった。これまでは「万年4位」と呼ばれるほど長期にわたって視聴率が低迷していた。ただし全日視聴率では、NETテレビ時代の1969年から1971年まで、NHKに次ぎ在京局2位(在京民放首位)になったことがある。

2007年11月1日、会社創立50周年を迎える。2009年2月1日の開局50周年を挟んで、2009年3月31日までを「開局50周年記念期間」と位置付け、様々な記念番組の放送、及び企画・イベントを行なった。

2012年、4月の月間視聴率(2日 - 29日)ならびに四半期視聴率(4月第1週 - 6月第4週)で全日・ゴールデンタイム・プライムタイム・プライム2の時間帯すべてで首位となり、開局以来初の「四冠王」を獲得した[8][9]

2012年度上半期の平均視聴率がプライム・プライム2で首位を獲得。全日・ゴールデンは2位となったがプライム・プライム2・ゴールデンでは開局以来初、全日では41年ぶりの記録となった[10][11]

2012年の年間視聴率(2012年1月2日 - 12月30日)においてプライムタイムで開局以来初の首位を獲得、ゴールデンタイムでも開局以来初の2位となり、全日では41年ぶり4回目の2位を獲得した[12][13]

準キー局朝日放送(現:朝日放送テレビ)は2012年(ビデオリサーチ調べ、関西地区)の年間視聴率で、全日帯(6時 - 24時)、ゴールデン帯(19時 - 22時)、プライム帯(19時 - 23時)で1位になった。3冠獲得は1982年以来30年ぶり。同社によると、朝や夜のローカル番組やゴールデン帯の全国ネット番組が好調なためだという。

2012年の年度視聴率(2012年4月2日 - 2013年3月31日)において、ゴールデンタイムで開局以来初の首位を獲得。プライムタイムでも年間に続き首位を獲得し、初の視聴率2冠を達成した。全日は日本テレビ(7.9パーセント)に0.1ポイント差で2位につけた。また2012年度下期(2012年10月1日 - 2013年3月31日)では全日も首位となり、テレビ朝日が独自に設定しているプライム2(午後11時 - 午前1時)を合わせ4冠を達成している[14]

上記の視聴率首位獲得やかつて「民放の雄」だったTBSの長期低迷も相まって、テレビ朝日も単体売上高では開局以来初めてTBSを抜き民放キー局3位に浮上した[15]

2018年7月17日、麻雀プロリーグ「Mリーグ」に参加表明。「EX風林火山」をスポンサードする[16]

ロゴ

2003年秋の六本木ヒルズへの移転時から使われているテレビ朝日の現在のロゴは、イギリスのデザイナー集団「TOMATO」とテレビ朝日の社内デザイナーの制作による。


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