またかつてはテレビ映画とテレビドラマとは別とする考え方があった。テレビが誕生してからしばらくの間は、スタジオでテレビカメラ[5]で撮影してそのまま生中継で放送するか、VTR(主に2インチVTRを使用)やキネコでの収録により後日に番組として放送されるドラマはテレビドラマと呼ばれ、テレビで放送されることを前提にフィルムカメラで撮影されたドラマをテレビ映画と呼ばれた。
もっとも、1960年代末までは、スタジオドラマではあるが、屋外及び野外でのシーンをフィルム撮影してそのまま放送するケースも少なくはなく[6]、同じドラマでスタジオカメラで撮った映像とフィルムで撮った映像とが混在することは日本では決して珍しくはなかった[7]。その後、1970年代後半に入って、ビデオ撮影のハンディカメラが広く運用されて屋外ロケーションもテレビカメラでの放送が可能となったことから、日本ではスタジオカメラとビデオカメラで全て撮影したドラマが増えて、フィルムでの撮影は激減した。現在ではテレビ映画の製作がほぼ無い状態で、テレビドラマの概念にテレビ映画が含まれている。しかしアメリカではまだテレビ映画は製作されている。ただし「外国製テレビ映画」は現在「海外ドラマ」と呼ばれている。
ここでは、ドラマとして製作されたテレビ映画(今でいうTVシリーズ、TVミニシリーズ)について述べる。またテレビ映画はアメリカからを中心に、その他のイギリスなどの国の作品[8]も初期から入っているが、圧倒的にアメリカからの作品が多いので、ここではアメリカのテレビ事情のみ説明する。 1941年にNBCが初の商業放送を開始して以降、まだビデオテープレコーダ(VTR)の無い時代[9]で全てが生放送の時代がしばらく続くが、戦後世相が落ち着いてきた1940年代の終わり頃から、バラエティ番組や音楽番組以外にテレビ映画の製作が本格化した。しかし当時の大手映画会社のテレビに対する評価は低く、所属する俳優をテレビに使うことはなかった。テレビの前で1時間も1時間半もじっと小さいブラウン管[10]を見つめ続けることは無いと考えていたからである。したがって初期のテレビ映画の主演スターは劇場用映画で使われることは無く、また知名度のある俳優がテレビに出てくることは落ち目になったからと揶揄される時期があった。 最初は15分番組での帯番組として、やがて30分番組枠で毎週同じ時間帯・同じチャンネル(same time、same channel)で翌週も続けていく形態[11]が普通となった。これはアメリカでは時差があるためにフィルム撮影した映画なら同じ日に同じ時刻に同じ内容で放送できたからであった。
アメリカでのテレビ映画
そして、1948年にアメリカの連邦最高裁判所の判決で、ハリウッド映画のメジャースタジオが独占禁止法に触れて、制作と興行が切り離されて、それまであったB級映画の製作が出来なくなった頃から、当時のB級専門の製作会社[13]がどっとテレビ映画の製作に乗り出してきた。これらのテレビ映画が西部劇・コメディ・ホームドラマ・私立探偵・刑事物などのジャンルの作品を製作して放送されていった。大半が30分番組の連続物[14]で1時間番組は無く、他に90分番組が作られたが、これは連続物でなく毎回違う内容の単発もの[15]を製作していた[16]。
やがて1950年代半ばになると大手映画会社もテレビ映画に進出してきた。ここから1960年代半ばまでが、アメリカのテレビ映画の黄金時代と言われる時代である。ワーナー、20世紀FOX、コロンビア(製作は当時子会社のスクリーン ジェムズ)、MGMなどが加わった。これには当時劇場用映画が大作主義をとって、1本の超大作に製作費を注ぎ、製作本数の激減という状況になって余剰の人員をテレビへ投入せざるを得ない内情もあった。しかし、この頃からテレビ映画で育った監督や俳優がその後60年代に入ってから映画の世界で大活躍して有名監督や大スターになっていった。
そして30分番組がやがて60分番組に拡大して、番組も内容が求められるようになった時に、1961年5月に当時ケネディ政権発足と同時に連邦通信委員会委員長に就任したニュートン・ミノーが「アメリカのテレビは一望の荒野である」と発言して当時の3大ネットワークがテレビ映画番組の再検討を迫られる事態となった[17]。