テレビ映画
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

これらに合わせて戦前に製作された子ども向けのB級映画を再編成した番組[12]も作られた。

そして、1948年にアメリカの連邦最高裁判所の判決で、ハリウッド映画メジャースタジオ独占禁止法に触れて、制作と興行が切り離されて、それまであったB級映画の製作が出来なくなった頃から、当時のB級専門の製作会社[13]がどっとテレビ映画の製作に乗り出してきた。これらのテレビ映画が西部劇・コメディ・ホームドラマ・私立探偵・刑事物などのジャンルの作品を製作して放送されていった。大半が30分番組の連続物[14]で1時間番組は無く、他に90分番組が作られたが、これは連続物でなく毎回違う内容の単発もの[15]を製作していた[16]

やがて1950年代半ばになると大手映画会社もテレビ映画に進出してきた。ここから1960年代半ばまでが、アメリカのテレビ映画の黄金時代と言われる時代である。ワーナー、20世紀FOX、コロンビア(製作は当時子会社のスクリーン ジェムズ)、MGMなどが加わった。これには当時劇場用映画が大作主義をとって、1本の超大作に製作費を注ぎ、製作本数の激減という状況になって余剰の人員をテレビへ投入せざるを得ない内情もあった。しかし、この頃からテレビ映画で育った監督や俳優がその後60年代に入ってから映画の世界で大活躍して有名監督や大スターになっていった。

そして30分番組がやがて60分番組に拡大して、番組も内容が求められるようになった時に、1961年5月に当時ケネディ政権発足と同時に連邦通信委員会委員長に就任したニュートン・ミノーが「アメリカのテレビは一望の荒野である」と発言して当時の3大ネットワークがテレビ映画番組の再検討を迫られる事態となった[17]。その影響で西部劇が下火となり、医者・弁護士物・戦争アクション・宇宙ファンタジーなどのジャンルの番組を並べたが次第に人気を落としていった。

ここで一つの問題が起こった。1960年代に入って、高いコストを避けるためヨーロッパなどで製作することが多くなり、ハリウッドの俳優の出演機会が減っていったとともに、テレビ映画が1本の作品で毎週撮影し続けるため、同じレギュラー陣の顔ぶれでストーリーを書き続けていて、マンネリ化と企画難、出演する俳優が限定され、そして製作費の高騰に悩まされていった。これに対する打開策として、テレビ局と映画会社が共同で製作費を出して単発のテレビ映画[18]を2時間番組の中で放映して、毎週違った作品を作り、放送後このフィルムを映画会社が権利を持って国内の二番館への劇場公開して、そして海外への輸出(輸出先での劇場公開が前提)する新しいシステムを作った。これがテレビジョン・ムービー(TVムービー)またはテレフィーチャーと呼ばれ、1964年に第1作としてドン・シーゲル監督の「殺人者たち」が製作された[19]。このTVムービーは1970年代に入ると多数製作されて、スティーヴン・スピルバーグ監督の本格的な商業デビュー作となる「激突![20]もテレビ映画として制作された。

毎週同じ顔ぶれの内容で放映されるTVシリーズと、そして毎週でなく一定の期間で放映されるものをTVミニシリーズとして放送されるようになった[21]。やがて一気に放映するスタイルとして1977年秋に天才と呼ばれた編成マンのフレッド・シルバーマンが「ルーツ」を毎日60分ごとに1週間通して放映するケースを編みだした[22]。こうしてTVシリーズ、TVミニシリーズ、TVムービーの形態として、現在もテレビ映画が制作され続けている。
配信サービスのオリジナル映画

2010年代以降、Netflixが大量の"オリジナル映画"を配信している。複数エピソードに渡る作品は「TV番組・ドラマ」とされ、1エピソードからなる作品は「映画」とされている。これらの作品はほとんど劇場公開されていないため、映画とはいえ自宅での視聴が主となる。その後、映画配給会社の系列企業でもある同業のDisney+Paramount+も追随してオリジナル映画を公開し、配信と並行して劇場公開するケースも増えており、テレビ映画と劇場版映画の境界はあいまいになりつつある。
テレビと映画の関係

テレビを取り巻く環境はテレビ映画がお茶の間に入った頃に比べて全く変化した。

テレビが開局された当時は映画館の入りが悪くなるとして、テレビを脅威として見る向きと、テレビを何とか有効に使えないかと模索する向きと、映画がテレビを取り込んでしまうことに警戒する向きがあった。この逆に映画を警戒する考え方は行政の側にあって、前述の独占禁止法で製作と興行部門を切り離すことで映画会社の勢いを削ごうとした政府の意図があったのでテレビに対しても映画会社の影響を排除しょうとした。そのために映画とテレビは対立する時期があったが、やがて有効な使い方として模索するところから、映画界にとってはテレビは自らの映像ソフトの重要な供給先であることに注目した。それはテレビが開始されてすぐに戦前からのB級西部劇のスターであったウイリアム・ボイドがその作品「キャシディ」シリーズを自ら権利を買い取り、戦後にそれらの作品をテレビに供給してシリーズで放送して成功したこともあった。その後はB級映画を作り直したり子ども向けの番組であったりしたが、やがて大人向けの作品を大手映画会社が製作するようになってから、今度はテレビでヒットした作品を再編集して劇場用映画にし直すことも行い[23]、やがてTVムービーで映画会社はテレビという媒体を使って複合メディアに同時に対処する新しいビジネス戦術を磨いていった[24]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:51 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef