テレビ大阪[1]
英名Television Osaka, Inc.[1]
放送対象地域大阪府
ニュース系列TXNネットワーク
番組供給系列TXNネットワーク
略称TVO
愛称テレビ大阪
呼出符号JOBH-DTV
呼出名称TVO
おおさか
デジタルテレビジョン
開局日1982年3月1日
本社〒540-8519[1]
大阪府大阪市中央区
大手前1丁目1番7号
日経大阪大手前別館内[1][2]
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度41分26.2秒 東経135度31分15.6秒 / 北緯34.690611度 東経135.521000度 / 34.690611; 135.521000座標: 北緯34度41分26.2秒 東経135度31分15.6秒 / 北緯34.690611度 東経135.521000度 / 34.690611; 135.521000
演奏所本社と同じ
リモコンキーID7[1]
デジタル親局大阪 18ch
アナログ親局大阪 19ch
ガイドチャンネル19ch
主なデジタル中継局
太子河南 21ch
枚方 27ch
池田 28ch
主なアナログ中継局
枚方 21ch
太子河南 27ch
池田 47ch
箕面・柏原・岬深日 62ch
ほか
公式サイトhttps://www.tv-osaka.co.jp/
テンプレートを表示
テレビ大阪株式会社(テレビおおさか、英: Television Osaka, Inc. 略称 : TVO)は、大阪府を放送対象地域とし、テレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者。
コールサインはJOBH-DTV(大阪 18ch)、リモコンキーIDはTXNのキー局・テレビ東京と同じ「7」。
概要略称ロゴ
1982年に開局した関西地方で最も新しい民放テレビ局で、TXN(テレビ東京系列)に属している。都市型ネットワークという性質上TXNでは基幹局や準キー局といった区別をしていないため正確には「系列局」でしかないが、在阪テレビ局という性質上「準キー局」とされることも珍しくない[4]。一方で他の在阪テレビ局と異なり、放送エリアは近畿広域圏(関西2府4県)ではなく、大阪府のみを対象にしている府域放送である。
現在のイメージキャラクターは、大阪名物のたこやきをモチーフとした「たこるくん」(本名・なにわ流たこる)。また相棒に、タコの「タコベエ」がいる。
TXNでは唯一、自社製作番組で文字多重放送を行う場合に句点を使用していない[注釈 1]。
また、在阪民放テレビ局では唯一、製作クレジットに正式社名[注釈 2]を使用する。
事業所
出典[1]
本社 - 大阪市中央区大手前1丁目1-7 日経大阪大手前別館内
東京支社 - 東京都中央区築地1丁目13-14 NBF東銀座スクエア6階
名古屋支社 - 名古屋市中区栄4丁目16-33 日本経済新聞名古屋支社ビル4階
九州支社 - 福岡市博多区博多駅東2丁目16-1 日本経済新聞西部支社5階
在阪民放テレビ局で唯一同局が、福岡市に九州支社を設置している。在阪民放テレビ局でほとんどの支社・支局が東京・名古屋以外は、同局が唯一東京・名古屋以外において福岡市に支社・支局を設置している。
開局の経緯とネットワーク関係「サンテレビジョン#テレビ東京との関係」、「京都放送#テレビ東京との関係」、および「TXNネットワーク#5府県進出計画」も参照
1966年から1967年にかけ、日本経済新聞社は大阪地区での新たな放送局の開局を目指して免許取得運動を起こしたが、実現には至らなかった。
当時、日経は日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日)に出資しており、また1969年11月には財界からの要請で東京12チャンネル(現在のテレビ東京)の経営を引き受けた。両局は毎日放送(MBS。法人としては現:MBSメディアホールディングス)とネットワークを組んでいたため[注釈 3]、日経にとってはわざわざ新局を開局させる必要性は薄れていた。
しかしながら、1974年3月には日経とNET、翌1975年3月31日には東京12チャンネルとMBSの各ネットワーク関係が解消されると、事情は一変。再建を目指す東京12チャンネルと日経の思惑が一致したことで、再度大阪財界を巻き込んで免許獲得運動に乗り出した。また、MBSはネットワーク解消後も東京12チャンネル・テレビ東京の経営参加は継続しており、このためMBSは関西地区のTX系列局開局に向けて日経と東京12チャンネルに多大な支援を行った。
ただ、大阪府の周辺府県には既に府県域の独立局[注釈 4]が開局しており、それらからの反発を受けたものの[注釈 5]、紆余曲折の末に府域テレビ局ということで開局の目処が立ち、日本経済新聞大阪本社の隣りで1982年3月1日に念願のテレビ東京系列のフルネット局・第1号として開局にこぎつけた。