テレビドラマ
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医療(メディカル)「医療ドラマ」も参照

医療現場で病院の関係者、患者やその家族などの人間模様を描くテレビドラマ[3]

たどりつけばアラスカ』(1990 - 1995)

ER緊急救命室』(1994 - 2009)


シカゴ・ホープ』(1994 - 2010)

Dr.HOUSE』(2004 - 2012)

日本

日本は1週間を通してテレビドラマが放映される。プライムタイムに放送されるものは視聴率が高く、予算も高額で、他の時間帯に比べ質も高い。人気が高い俳優タレントも多く出演して流行やファッションなど多方面に影響する。中心はかつてトレンディドラマと呼ばれた流れを引く現代劇の恋愛ものが多い。小説を原作とした作品も数多いが、1990年代後半以降は漫画原作の作品の比率も増えつつある。

TBS系列日曜劇場や、フジテレビ系列月9ドラマテレビ朝日系列木曜ドラマ[4]などのいわゆる「看板枠」は、特に高視聴率作品が多い。午前に放映されるテレビドラマの中では、NHK総合テレビ連続テレビ小説(朝ドラ)は人気があり、ヒロインを演じた俳優が新人の場合、出演を期に民放各局でプライムタイムのドラマ等に出演が増えて「若手の登竜門」などと言われ方をすることがある。

子供番組としての30分程度のドラマ(児童向けドラマ)も、1980年代までは比較的多く製作されていた。現在では、Eテレ(NHK教育テレビ)において、道徳教育ドラマを就学年齢の児童生徒向けの学校放送として放送している。またテレビ朝日では、日曜朝9時から10時までの1時間枠を「スーパーヒーロータイム」(特撮枠)と称し、「仮面ライダーシリーズ」と「スーパー戦隊シリーズ」をそれぞれ30分ずつ放送している。

古くから続いているテレビドラマでは、NHK総合テレビの大河ドラマがある。歴史ドラマを恒常的に毎週放映するのはNHKだけである。民放にも1970年代までは連続歴史ドラマが見られたが、現在は正月特番などの単発作品程度に限られている。架空キャラクター(もしくは水戸黄門、大岡越前などの実在人物の一部設定だけを借用したフィクション)による連続時代劇も民放ではかつてほど製作されることがなく、しばしば存亡の危機が取りざたされる。

1980年代までは当初1クールまたは2クールの制作予定を組み、人気が出ると延長されて最終的に2、3年間続く作品が多く見られたが、1990年代以降は出演俳優のスケジュール確保[注 1]や視聴率低迷による途中打ち切りのリスク回避の観点から、人気が出ても当初の放送予定を変えずに(変更は最終回の放送時間拡大程度)いったん終了させて、概ね3か月から1年間のインターバルを経てから次のシリーズが製作されているものが大半を占めている[5]。各クールの切り替わりの1、2週間は改編期ということで特別番組が放送されることが多くなっており、1クールの作品でも全13話で構成を組むのではなく、数週分減らして全9話から全11話という作品が多い。また、視聴率不振による途中打ち切りの不面目を避けるため、放映回数を発表せずにスタートする例も多い。

大きな人気や高い評価を受けた作品の場合、新たに劇場公開用の映画作品として製作されることがある。テレビ放送初期は『三匹の侍』、『若者たち』のようなテレビ局のディレクターが映画版でも監督を務めるなど、一部スタッフの関わりを除けばテレビ局が関与しないことがほとんどであったが(テレビドラマ作品を「原作」として扱った)、1969年に映画『御用金』でフジテレビがテレビ局として初めて映画製作を手がけたことを皮切りに、テレビ局は映画事業に本格的に進出。現在ではテレビ局が主体となってテレビドラマ作品(特に連続ドラマ)の世界観を継承した新たなエピソードを、映画作品として製作するケースが多くみられる。その一方で近年では、テレビドラマ作品そのものが、再編集を経るか、またはそのままの形で劇場公開されるケースもある(単発ドラマにみられる)。

2010年代後半に入ると、動画配信サービスへのコンテンツ供給や海外向けへの番組販売などを背景として、テレビドラマ枠の増加が相次いでおり、ゴールデンタイム・プライムタイム帯(19時台から22時台)におけるドラマ枠新設[注 2]だけに限っても、2015年4月から日本テレビが『日曜ドラマ[6]、2022年4月からNHKが『夜ドラ[7]、同月からフジテレビが『水曜10時枠の連続ドラマ[8]、同年10月からテレビ朝日が『火曜9時枠の連続ドラマ[9]、2023年4月から朝日放送テレビが『日曜10時枠の連続ドラマ[10]、同年10月からフジテレビが『金曜9時枠の連続ドラマ[11]、2024年4月(予定)から日本テレビが『土ドラ9[12]をそれぞれ新設している。また、深夜ドラマ(23時台以降)についても2011年の時点では1週間で2本しか放送されていなかったが、2021年10月の時点では1週間で16本と8倍に増加している[13]。詳細は「深夜ドラマ」を参照
歴史
撮影機材・放送形態

1940年4月、テレビの実験放送で放送された『夕餉前』(脚本:伊馬鵜平)が、日本初のテレビドラマとされている。当時のスタジオは非常に狭く、またアイコノスコープ方式のカメラを使用していたため、俳優は、時に木材や紙などを発火させるほど強い照明に耐えなければならないなど、技術的制約が多い状況だった。同年10月には実験放送第2作『謡と代用品』が放送されたが、太平洋戦争(1941年12月8日勃発)のために11年中断後、1952年に再開。

1953年にテレビの本放送が始まるが、当時は実用的な録画手段がなく、テレビドラマの多くは生放送またはフィルム制作であった。モノクロ時代は消え物(料理)はそれらしく見えればいいということで、すき焼きを食べているシーンなのに食べているのは出汁の味しかしない物だった、本物が出てきたのはカラーになってからだった、と黒柳徹子は語っている[14]

ビデオは、1956年にアメリカ合衆国2インチVTRが開発され、2年後の1958年には、日本に初輸入され、国産のビデオも開発された。同年6月、大阪テレビ放送(OTV、現・ABC)の『ちんどん屋の天使』において、日本で初めてテレビドラマにビデオテープが使用された。そして同年10月、ラジオ東京テレビ(KRT、現・TBS)の『私は貝になりたい』(主演:フランキー堺)では、本格的にビデオ録画が実用化され、技術的な先駈けとなった。また、その年の芸術祭賞を受賞し、それまで「電気紙芝居」と酷評されたテレビドラマが初めて人を感動させたとして、テレビドラマ史上に残る重要作品と位置付けられている。当初はビデオ機材もビデオテープも高価だったが、やがて普及していき、ドラマも生放送から収録する形態へと変わっていった。

1970年代までにビデオテープで収録されたテレビドラマの中には、原盤ビデオテープが別の番組撮影に使われて上書きされたことにより、映像が失われたものも少なくない。また、当初は撮影機材の大きさと、カメラの感度の低さから、照明を煌々と照らしたスタジオ内で演技するより他なく、屋外の情景はスタジオ内でのセットで再現していた。どうしても屋外でのロケが必要な場合は、ビデオでの撮影を諦めて、16mmフィルムで撮影することもあった。そのため本編中にビデオ映像とフィルム映像が混在し画調や画質、場合によっては音質においても不連続が発生することがかつては多く見られた。いわゆるホームドラマはこうした技術的制約の苦肉の産物でもあった。

NHKのドラマはNHKですべて制作していた。NHKのみは自社製作ということもあり、遥かに先行して1960年代からVTR製作に切り替えている(それゆえに初期の作品の保存状況が極めて悪い)。それに対し、民放では1950年代から外部の制作会社が制作したテレビドラマを放送した。それらは当初「テレビ映画」とも称され、劇場映画を作ってきたスタッフが制作にあたり、撮影もフィルムで行われた。大手では1959年に東映が出資したテレビ局NET(現・テレビ朝日)で、さらに1962年には新東宝を前身とする国際放映がTBSで、テレビ映画の制作に進出している。


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