テレビコマーシャル
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視聴に際して視聴者料金を支払う必要があるケーブル放送や、衛星放送スカパー!WOWOWなど)の一部では、契約料収入で費用をまかなうため、テレビCMを放映しない場合もある[注釈 3]
日本におけるCMの放送方法

CMは、いくつかを連続させた「CM枠」単位で放送される。

通常、タイムCMは、番組の放送枠内において、番組本編を中断して放送することが慣例となっている。これは番組を放送するための必要経費をスポンサーを通じて回収するという商業取引上の目的があるためである。

CMを挟まずに番組本編が放送されることは、とりわけ地上波の民間放送では極めてまれで、番組の制作経緯によってスポンサーの理解が得られた場合(下記#CMが放送されなかった番組参照)や、重大な災害などが発生して長時間の報道特別番組が組まれた場合(下記#CMが放送されなかった日参照)などに限られる[注釈 4]

日本民間放送連盟(民放連)では、放送基準148条において、週ごとの総放送時間中におけるテレビCMの放送量の基準を、比率にして「18%以内」に設定している[4]。この総量規制は「限度」として1975年10月1日の改正によって設けられた[12]が、2016年の放送基準改正で「限度」の表現は「標準」に改められている[13]

テレビCMにおいて、ニュース速報などの字幕スーパーや、放送局名を示すウォーターマーク[注釈 5]をCM中に表示することは基本的にない。ただし、朝の時間帯や00分のカウキャッチャーCMにおいて、時刻表示のスーパーが表示される場合がある。

テレビ放送において、災害時の関連情報(台風・土砂災害・地震など)に用いられるL字型画面や常時表示のスーパーを表示している時は、CM中は挿入を一旦停止する。ただし、警報レベルの災害情報のうち、
「緊急地震速報が出された場合」

「東海大地震の警戒宣言が発表された場合」

「おおむね震度5弱以上の地震が起きた場合」

「地震に伴う津波警報、大津波警報が発表された場合」

「その他、緊急を要する場合」

に該当する場合はCM中でもその情報を入れることがある。この運用態勢はあくまで各放送局の基準にのっとったものであり、地域や各放送局によって運用に差がある。
日本におけるCMの販売単位

CM1本あたりの放送時間の変遷について述べる。日本で民間放送が開始された当初は生コマーシャルが主流であり、その特性上記録が残っていないものの、すべて1から2分の長尺であったと考えられている[14]。後述の黎明期の録音・録画CMは60ないし30秒で制作されており、やがてこの60秒枠・30秒枠(ラジオでは20秒枠も)がスポットCMの販売単位として定着する。

30秒が基本であった販売単位がはじめて15秒に切り詰められたのは1961年秋[15]であった。さらに翌年の1962年、テレビにおいて、無音のテロップカード1枚送出に限られていた5秒CMで、音声・動画を伴わせることが認められ、限られた時間の中で突飛なキーワードを発するなどの、これまでになかった型のCMが次々制作され、流行語の源泉となった(後述)。

しかし過激化が進んで視聴者が離れることで広告効果が薄れ、制作側の消耗も激しく、「低俗化」との批判も受け、1965年10月にTBSテレビがAタイム(19時から21時)での5秒枠の販売を停止した[15]のをきっかけに、5秒CMの制作数は急激に減少した。このような経緯を経て、15秒枠が日本のCM時間のスタンダードとなり[15]、長尺として30秒・60秒が用いられるにいたった。

民放連では、放送基準151条においてテレビのスポットCMの標準時間目安を5秒・10秒・15秒・20秒・30秒・60秒と定めている[4]。ラジオのCMについては、民放連放送基準は標準時間の申し合わせ項目を設けていないが、5秒・20秒・40秒・60秒のいずれかであることがほとんどで、そのうち20秒[16]のものが非常に多い。

テレビCMの場合、スポットCMでは15秒単位、タイムCMでは30秒単位での販売となっている(例外もある)。通常、ネットワークセールスのテレビ番組内において、タイムCMのみ、スポットCMのみをそれぞれ流すように枠を分けるようにしているが、TBS製作の一部全国ネットバラエティ番組のように、CM枠の前半にタイムCM、後半にスポットCMを配置している例もある。

60秒で製作したCMは、全国ネット番組のタイムCMでよくみられる。1970年代までは関西ローカルCMのパルナス製菓など、60秒のスポットCMも存在した。

1960年代前半に多数制作された5秒CMは、それ以降も地方局で細々と見られていたが、2011年以降からやはり地方局で本数が増えるようになり、スポットCMにおける15秒単位での契約枠で3本に分散させて放送している。百貨店ショッピングセンタースーパーマーケットなどの大型量販店(デパートメントストア)における割引セールやポイントアップキャンペーンの広告活動が殆どである。5秒CMの方が製作費を削減できることから、それらの一環で中小店舗を中心とした一般企業のCMもそれなりにある。これら全てが製作地域のローカルCMとして製作されており、5秒CMが民放3局以下の地域などを中心に禁止されている事への配慮により、全国放送の5秒CMは存在していない。
日本におけるスポンサーの傾向

テレビCMは、市場シェアの大きな全国規模の大手消費者向け製造業食品医薬品自動車化粧品家電製品時計衣料品など)、大手小売業(大手スーパーマーケット、大型家電量販店チェーンなど)の物が多い。ローカル局は、より地元の企業のコマーシャルも流れる。ラジオCMは、テレビの業種に加え、より狭い地域に展開する小売店、食品メーカー、大学など、知名度の低い企業の物もある。

商品や企業の宣伝広告ではなく、開催予定のイベントの実施あるいは中止などの情報を伝えるCMもある。

災害に際し、民間事業者が商品でなく、被災者に役立つ情報を緊急に流す例が見られる。東日本大震災に際し、電機メーカー各社が電力不足を受けて節電方法を紹介する内容の、トヨタ自動車など自動車メーカー各社が災害発生時の安全運転や省燃費のための運転方法を紹介する内容の、移動通信各社が災害伝言ダイヤルの利用法を伝える内容の、社告形式のCMをそれぞれ放映した。住宅メーカー各社や、生命保険損害保険各社は、被災者へのお見舞いと顧客対応窓口のフリーダイヤルを案内するCMを放映した。

企業CMのほか、政府・官庁による政府広報地方自治体のPR、ACジャパンなどの公共広告団体によるキャンペーンCMもある。

衆議院参議院の選挙開催期間中に政党政治団体のCMがスポットで頻繁に放送されるが、比例代表選出選挙の政見放送はNHKでしか行われないことが多い(地域によっては30分程度放送される民放テレビ局もある)ため、事実上その代わりとして行われていると見なせる。

CM枠において、放送局自身による番組プログラムのPR(番組宣伝。「番宣」と略)がある。広義的にはコマーシャルの一種だが、商取引が発生していないため、実態としてはフィラーである。
日本のCMの歴史
戦前

日本は、ラジオ放送の開始に際し、逓信省の省議決定「放送用私設無線電話ニ関スル議案」によって、あらかじめ広告放送を禁止された[17]ほか、1920年代の黎明期から1951年まで、民間企業でなく、公共事業体であるNHKによる運営のみ認可され、そのNHKが聴取料収入によって運営されていた事情もあり、ラジオCMが試みられたことはなかった。

このため、広告放送は本土以外で試みられた。第二次世界大戦終結まで日本の統治下にあり、別組織の台湾放送協会がラジオ放送を独占していた台湾では、1932年6月14日または15日[18]から数か月間、演芸番組の制作費を調達するため、試験的に「間接広告放送」を実施したことがある[19]。これは放送本編と別にCMを製作せず、番組冒頭および終了時にスポンサー名をアナウンスするという形であったと考えられている[18]。スポンサー第一号は丸美屋食料品研究所または味の素本舗だったとされている[18]。実施後まもなく、広告メディアとしての競合を危惧した日本新聞協会[20]が6月27日に広告放送反対を決議[18]した上で、当時の拓務大臣を通じて広告放送の中止を台湾総督府へ訴えた[19]ことで、台湾放送協会では7月19日[18]に新規広告契約の停止と年内での広告放送中止が決定されて、「間接広告放送」の放送は12月2日[18]が最後となった。

また、日本の政財界の影響下にあった満州国満洲電信電話でも、1936年11月1日から約3年半にわたって、日本語および満語での広告放送が実施された[18]。このときは台湾で実施された「間接広告」に加え、「直接広告」と呼ばれる、アナウンサーが広告コピーを読み上げる生コマーシャルの形式でも行われた[18]。この「直接広告」は、番組本編を中断する形でなく、広告をまとめて放送するための専用の番組枠を設けての実施だった[18]1940年4月、日中戦争の激化にともなう経済統制のため、広告で扱う品目が大幅に制限され、やがて放送の自粛にいたった[18]。この満洲電信電話で放送広告にたずさわった人材の多くが戦後の引き揚げ後、新興の民間放送局や広告代理店に移り、CMの契約および制作に関するノウハウを伝えたと考えられている[18]
戦後昭和

戦後、民間放送が解禁された。民間放送の開始日、1951年9月1日には、スポンサー・広告に関わるさまざまな日本(本土)初が続いた。上記にかんがみ、広告主の名称を読み上げるアナウンスを広義のCMに含んだ場合、最初にアナウンスされたスポンサーは中部日本放送が開局アナウンス25分後の6時55分から放送した「服飾講座」における、毛織物店「五金洋品」[21]である。音声記録は残っていない(CBCは、五金洋品は「提供のみで、コマーシャルは流さなかった」としている[22])が、当然、提供スポンサーを示すアナウンスを行ったはずであり、民間放送における公表スポンサー第一号ではある。CBCラジオは、同日の朝7時には精工舎によるスポンサー付き時報の第一号放送も行っている。時計のリズミカルな音による予報音に続き通知音とともに「精工舎の時計が、ただ今、7時をお知らせしました」と報ずるものである[23](CBCでは、この時報を「コマーシャル第1号[22]」としている)。同日正午には、開局アナウンスを行ったばかりの新日本放送でも精工舎の時報が放送された[23]

最初に放送されたスポットCMは、同日の12時15分過ぎに新日本放送(CBC同様、開局日である)で60秒間放送された「スモカ歯磨」のラジオCMとされる[21]。このCMは、ほかのCMが単なる広告コピーの読み上げであったのに比べ、ドラマ仕立ての演出がされていて耳を引いたとされ[24]、まとまった作品としてのCMと認められることから第一号とみなされている。

日本最初の(放送における)コマーシャルソングは、同年9月7日にCBCラジオで初放送された小西六のCMにおける『ボクはアマチュア・カメラマン』である[24](異説もある。コマーシャルソング#歴史を参照)。窓文字による「CMの日」=8月28日の宣伝(電通本社ビル、2005年)

日本最初のテレビCMは日本テレビの開局日・1953年8月28日正午直前に放映された、精工舎の時報CMである[25][26][27]。これはあらかじめフィルムに録画したアニメーションと実写の組み合わせによるCMであったが、スタッフが放送機材の操作に慣れていなかったため、フィルムを裏返しにした状態で放送してしまった。


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