テリー伊藤
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大学卒業後は寿司屋アパレルメーカーアルバイトを経て、1973年にIVSテレビ制作に入社。2年後に放送が開始された『びっくり日本新記録』にADとして参加し、テレビマンとしてのキャリアを開始させた[5]。その後、「シマウマは素肌も白黒か?」や「たこ八郎東大生の血液を輸血してIQ上昇実験」などを手掛けた[5]

1985年に独立しロコモーションを設立。IVSにも籍を残し、自身も手がけていたIVS制作番組の『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『ねるとん紅鯨団』のゼネラルディレクター・総合演出を引き続き行った。ロコモーションとしては電通吉本興業と共に立ち上げた『浅草橋ヤング洋品店』がテレビ東京としては好調な番組となった。

1993年北朝鮮を訪問した際の体験談などを綴った『お笑い北朝鮮』を出版した[6]


小泉純一郎郵政民営化の際には、新聞広告に竹中平蔵とともに登場し[7]、民営化賛成の旗振り役を務めた[8]

2007年頃、「キャラクタービジネスで "10億円稼ぐ"」ことを目標にプロジェクトを立ち上げ、「ナニティー」というキャラクターを誕生させる。また、その模様を2年半に亘り追ったドキュメンタリー映画10億円稼ぐ』では自ら監督を務めた。
大学院修士課程へ

2017年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程に入学、ラジオ通信販売における消費者心理学について研究した。2023年3月、同大学院を修了[9]修士(政策・メディア)
人物

実家は祖父の代から玉子焼き店『丸武』を営んでおり、長兄・光男が店を継いでいる。テリーがレギュラー出演しているTBSサンデージャポン』などの番組にこの長兄が「アニー伊藤」の通称でしばしばテレビ出演し、彼を困惑させている。2010年には、「つきじ丸武 玉子焼スイーツ」をプロデュースした[10]

テリーの本名である伊藤 輝夫(いとう てるお)は、伊東四朗の本名である伊藤 輝男と読みが同じ。

5人兄弟の末っ子。自身の本籍地は父の出身地である千葉県山武郡横芝光町であり、テリー自身も横芝光町に寿陵(生前墓)を購入している[11]。父の武太郎は彼の父(テリーの祖父)が結婚前に交際していた女性との間の子供で、親戚に預けられて育った後、妻との間に子供がいなかった実父に跡取りとして呼び戻され、築地市場の玉子焼き店で修行した。母親のなみ子(旧姓鳥海)は房総半島の先端にある白間津(現在の南房総市内)で海女の家系に生まれたが、実家が台風に遭い船を失って没落したため、奉公に出た。1936年、武太郎は火事の現場で出会ったなみ子に偶然を装って接近し、交際するようになった。武太郎の父から結婚を反対された為、当初は鳥海家に駆け落ちした(後に武太郎の父から結婚の許しを得た)。戦後しばらくは玉子の入手が困難だったことから、武太郎は玉子焼き店を閉め、知人の伝手で練り物工場に勤めていたが、なみ子の説得で店を再開し今に至っている[12]。父母共に20年以上前に他界。亡き母の葬儀は築地本願寺で行い、ずっと一緒にいたいと思って遺骨を食べたことがある[13]

『元気が出るテレビ』や『お笑いウルトラクイズ』などの当時を知るダンカン浅草キッド曰く、短気な性格で仕事や芸に対しては非常に厳しい姿勢で臨んでいたとのこと。高田純次は、よく足を出して部下を叱責することから「ケリー伊藤」、または「跳ぶ伊藤」との異名を持っていると語る(元気が出るテレビDVD特典映像のトークにて)。「元気が出る―」では、企画書が「眼差し10秒で秒殺され、テリーさんの怒りと共に会議室に差し戻される日々であった」[14]

ビートたけしとは友人であり、『ビートたけしのオールナイトニッポン』や『北野ファンクラブ』ではテリー伊藤を名乗る以前からIVSの伊藤と名指しでよくネタにされている(著書『幸か不幸か』『幸せ丸十年』などに収録)。そして、たけしについて、「たけしさんって誰よりも男の哀愁があるんだよねぇ。そこに皆惚れてるんだよねぇ……。でもさぁ。俺だけは、たけしさんの哀愁以外だけを演出したいんだよぉ!」とダンカンと水道橋博士の前で語っている[15]

2008年12月17日、TBS『バラエティーニュース キミハ・ブレイク』の生放送中、赤坂サカス内の特設スケートリンクからの中継終了後に、スケートリンク内で転倒し腰椎の一部を骨折。全治2ヶ月と診断された[16]

レギュラー出演しているラジオ番組『渡邉美樹 5年後の夢を語ろう!』の企画で、ワタミのプロデュースにより2018年11月21日に東京都大田区蒲田梅屋敷駅近くにから揚げ専門の飲食店『から揚げの天才』を開店。[注 1]

橋幸夫の大ファンであり、「橋幸夫の歌声が聴こえてくると楽しくなってくる。(橋の歌は)どれだけ人生を豊にしてくれたか、夢見たか」として橋を「恋の伝道師」と評している[18]。また、橋のデビュー60周年の記念曲「恋せよカトリーヌ」(2020年7月)の作詞・作曲とプロデュースを行い[19]、ミュージックビデオの監督もしている。

2007年からオリコンが実施している「好きなコメンテーター」ランキングにおいて、07年から08年まで1位を獲得し、09年にも2位、10年にも3位にランクインしている[20]

週刊文春』2013年11月7日号で妻とは長らく別居し、20年以上不倫関係にある女性がいると報じられた[21]
ソフト・オン・デマンド

ソフト・オン・デマンドは、元「石油安売り王」と呼ばれた佐藤太治日本ビデオ販売(ビデオ安売王)を運営中に設立(資本比率 佐藤:75%、テリー伊藤:25%)したビデオ制作会社であった[22]、テリー伊藤が企画に加わった「全裸シリーズ」が大ヒットし、年商20億円に達した。しかし、日本ビデオ販売は倒産。佐藤は違法行為で逮捕される。佐藤によれば、逮捕後即、テリー伊藤が動き出す。佐藤が収監中に減資の手法を利用してソフト・オン・デマンドの乗っ取りに着手。専業主婦でしかなかった佐藤夫人に弁護士を利用した上で言葉巧みに取り入り、佐藤の持ち株を安価で買い取るとSODの著作物を一旦別会社であるハムレットビデオに移管し、SODを空箱化すると最終的に株主比率33.3%となった佐藤から、全株を6億2000万円という安価で取得し、乗っ取った後で再度SODに戻す手法で、100%合法的な乗っ取りに成功した。佐藤は、企業乗っ取り自体は否定しないが、「恩人」である佐藤の収監中に何も知らない一主婦を騙すような手法で乗っ取ったことを自身のYouTube動画内で強く批判している[22]
斜視

学生時代の学生運動中の事故が原因である斜視については周囲からそのままでも良い、トレードマークであると励まされていた旨を自著などで明らかにしていたが[23]、『元気が出るテレビ!!』時代にテリーの下で演出を手掛けていた日本テレビの土屋敏男の勧めで斜視の矯正手術を決意し、2007年に土屋の手掛けるインターネットテレビ第2日本テレビとその関連番組である『でじたるのバカ2』でその模様にも密着した[24][25]

2007年5月10日に斜視手術で名医とされる丸尾敏夫による手術を受け、同月13日の『サンデージャポン』から本格的にテレビ復帰。術後の経過は良好で、23日には治った目を公開した[26]
趣味・嗜好


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