テューダー朝
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エリザベス1世の死によりヘンリー8世の血筋が絶えたため、ヘンリー7世の血を引くスコットランド王ジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王に迎えられ、イングランドにおけるステュアート朝を開いた。

王家の出自もあって、この時代に国王の臣下として活躍した人物には、フランシス・ドレークウォルター・ローリーなどウェールズ系が多いと言われている。
アイルランド王国詳細は「アイルランド王国」を参照

ヘンリー8世は1541年に、アイルランド議会の決議に基づく形で正式にアイルランド王となり(それまではアイルランド卿 (Lord of Ireland) を称していた)、イングランド・アイルランド両王国は同君連合ということになった。ただしアイルランドを実際に支配する有力諸侯は推戴も戴冠もしなかったので、史実的には詐称であると言える。とはいえアイルランドの歴史では、1541年をもってアイルランド王国の始まりであるとされている(この時代にはまだ実効支配に程遠いものであった)。
ヘンリー・テューダーの王位継承権について

ランカスター家の祖ジョン・オブ・ゴーントは、最初の妻ブランシュ、2番目の妻コンスタンスとの間にヘンリー4世や娘たちをもうけていたが、愛人キャサリン・スウィンフォードとの間にも初代サマセット伯ジョン・ボーフォートら4人の子をもうけた。後にキャサリンとは正式に結婚したが、ヘンリー4世は子孫たちが王位継承を巡って争うことを危惧して、1407年にこの異母弟妹たちに対して「嫡出子であることは認めるが、王位継承権は認めない」とした。従って、ジョン・ボーフォートの子孫は、孫に当たるマーガレット・ボーフォートも含めて王位継承権を持たなかったことになる。マーガレット・ボーフォートの息子であるヘンリー7世も、ランカスター家の血を引くとはいえ本来ならば王位継承権を持たず、簒奪者であるとの見方もある。ただし、ヘンリー7世は正統な王位継承権を持つヨーク家エリザベス・オブ・ヨークと結婚し、以降の王たちはすべてその血筋であるため、以後の王たちの正統性には疑問の余地がない。
歴代国王

ヘンリー7世(在位 1485年 - 1509年)

ヘンリー8世(在位 1509年 - 1547年)

エドワード6世(在位 1547年 - 1553年)

ジェーン・グレイ(在位 1553年)

メアリー1世(在位 1553年 - 1558年)

フィリップ1世(共同王 在位 1554年 - 1558年)


エリザベス1世(在位 1558年 - 1603年)

系図

         エドワード3世 フィリッパ・オブ・エノー                   
  
                                       
                           
ブランシュ・オブ・ランカスター ジョン・オブ・ゴーント キャサリン・スウィンフォード           ライオネル・オブ・アントワープ   エドマンド・オブ・ラングリー    


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