1897年、ナッシュビルで開催された博覧会で、テネシー州は州昇格100周年を祝った(ただし実際の100周年は1896年であり1年遅れだった)。現在のナッシュビル市センテニアルパークには実物大のパルテノン神殿が建設された。
20世紀ノリス・ダム建設現場の労働者、TVAはルーズベルト大統領の進めるニューディール政策の一環だった
1920年8月18日、テネシー州は女性に参政権を与えるアメリカ合衆国憲法修正第19条の批准に必要な36番目の州となった。アフリカ系アメリカ人や貧困層の白人に対する選挙権剥奪はいまだ続いていたが、それでもとりあえずは男女は同権になった。
世界恐慌のときに失業者のための仕事を生み出す必要性、田園部を電化する願望、テネシー川が毎年春に洪水を起こしていたのを制御する必要性、さらにテネシー川の輸送容量を改善する必要性など、これら全てが合わさって、1933年にTVA、テネシー川流域開発公社を設立させることになった。その推進力により、テネシー州は急速に国内でも最大の電力供給州となった。
第二次世界大戦中、TVAの豊富な電力を生かしたマンハッタン計画が推進され、東テネシーは兵器に使う核分裂性物質の生産と分離を行う主要地点の1つとなった。その施設と労働者を収容するために計画都市のオークリッジが一から建設された。この場所は現在オークリッジ国立研究所、Y-12国立安全研究所、および東テネシー工業パークとなっている。
貧乏白人の選挙権を制限する影響は認識されていたが、その後の州議会も全州をカバーするまで選挙権剥奪の法の範囲を広げていた。1949年、政治学者のV・O・キー・ジュニアは「人頭税の大きさは、それを払う不便さほどには投票を禁じてこなかった。郡役人は(ノックスビルでやったように)税を払う機会を与えることで有権者を規制し、あるいは支払をできる限り難しくすることで逆のことも図った。そのような税の操作、ひいては投票権の操作が都市における政治ボスと政治マシーンの興隆機会を与えた。都市の政治家は人頭税の領収書を大量に購入し、それを黒人や白人に配って、指示通りに投票させた」と論じた[20]。
1953年、州議会は州憲法を修正し、人頭税を撤廃した。それでも黒人や貧乏白人が有権者登録するために障害となっていたものが多くの分野で存在し、1965年の投票権法など全国的な公民権法が成立して、障害が取り払われた[20]。
1996年には州昇格200周年を祝った。「テネシー200」と題された祝祭が州全体で1年間続いたが、そのオープニングはナッシュビル市キャピトルヒルの麓で新しい州立公園(200周年モール)が開かれたことだった。
1918年に州内で起きた大列車事故は全米の歴史でも最悪とされる列車事故になった[22]。1865年4月、メンフィス市に近いミシシッピ川で起きたSSサルタナの爆発事故は、国内最大級の海洋事故となった[23]。
地理関連項目:テネシー州の郡一覧Map of Tennessee.
テネシー州は8つの他の州と隣接している。テネシー州は、北部でケンタッキー州とバージニア州に、東部でノースカロライナ州に、南部でジョージア州、アラバマ州とミシシッピ州に、西部でアーカンソー州とミズーリ州にそれぞれ接している。この州はテネシー川によって3等分される。州の最高地点はテネシー州の東部、グレート・スモーキー山脈国立公園内の、アパラチア山脈に属するクリングマンズ・ドームの頂上で、海抜2,025 メートル(6,643 フィート)である[24]。クリングマンズ・ドームは東部州境にあり、アパラチアン・トレイルでも最高地点である。テネシー州とノースカロライナ州の州境がその山頂を横切っている。州内最低地点はミシシッピ州との州境になるミシシッピ川であり、メンフィス市の最低地点でもある。標高は59 メートル (195 フィート) である。テネシー州の地理重心はマーフリーズボロにある。
テネシー州は地理的かつ法的に3つの大区分に分けられている。すなわち東テネシー、中部テネシー、西テネシーである。州憲法では5人いるテネシー州最高裁判所判事のうち各大区分の出身者が2人を越えてはならないとしており、特定の委員会や理事会でも同様な規則を宛てている。一般的に、西テネシーと中部テネシーの分離線をテネシー川、中部テネシーと東テネシーの分離線をカンバーランド高原とする。
地形的には6つに区分されている。すなわちブルーリッジ山脈、アパラチア山脈・渓谷地域、カンバーランド高原、ハイランド・リム、ナッシュビル盆地、ガルフ海岸平原である。州内では8,350個の洞穴が登録されており、国内最大となっている。
東テネシー東テネシーの領域図
州東端にあるブルーリッジ地域がノースカロライナ州との境を形成している。この地域はブルーリッジ山脈の高山と岩が多い地形が特徴である。