テネシー州は、州境で8つの州(西にアーカンソー州とミズーリ州、北にケンタッキー州とバージニア州、東にノースカロライナ州、南にジョージア州、アラバマ州、ミシシッピ州)と接している[4]。米国の中でこのような州はミズーリ州とテネシー州だけで、州東部にはアパラチア山脈がある。西側州境はミシシッピ川である[4]。
州都、および州の最大都市はナッシュビルである(2020年現在[5])。他の主要都市にメンフィス、ノックスビル、チャタヌーガなどがある。
家庭で話される言語(テネシー州) 2010[6]
英語 93.78%
スペイン語 3.66%
人種構成(テネシー州) 2010
白人 75.6%
黒人 16.7%
ヒスパニック 4.6%
アジア系 1.4%
インディアン 0.3%
混血 1.7%
州名の由来モンロー郡のタナシ遺跡近くにある記念碑
テネシーとなった名前の変化形が最初に記録されたのは、1567年、スペインの探検家フアン・パルドがその探検隊員と共に、サウスカロライナから内陸に移動中に、「タナスキ」("Tanasqui")と呼ばれるインディアンの集落を通過したときだった。18世紀初期、イギリス人交易業者が現在のモンロー郡で「タナシ」("Tanasi"あるいは"Tanase")というチェロキー族の町に出くわした。この町は同名の川[注 2] 沿いにあり、1725年には既に地図に掲載された。フアン・パルドが遭遇した町と同じかどうかは不明であるが、最近の研究では、パルドの「タナスキ」はピジョン川とフレンチブロード川合流点、現在のニューポート市近くにあったとされている[7]。
テネシーという言葉の意味と語源は不明である。ユチ語の初期形態をチェロキー語で修正したとする説がある。意味としては「集会の場所」、「曲がりくねった川」、「大きな屈曲部の川」など諸説ある[8][9]。人類学者のジェームズ・ムーニーに拠れば、「解析不可能」であり、その意味は失われたとなっている[10]。
現在の綴りTennesseeの始まりは、サウスカロライナ植民地総督ジェイムズ・グレンに帰されている。1750年代には公式書簡でこの綴りを使っていた。1765年に出版されたヘンリー・ティンバーレイクの『チェロキーの国の概要』で使われて一般化された。1788年、ノースカロライナ州は現在のテネシー州中部では3番目の郡としてテネシー郡を創設した。このテネシー郡は現在のモンゴメリー郡とロバートソン郡の前身である。1796年に南西部領土から新州を組織化するために憲法制定会議が招集されたとき、州名としてTennesseeを採用した。 テネシー州は「志願兵の州 Volunteer State」というニックネームがある。これは米英戦争のとき、特に1815年のニューオーリンズの戦いで、テネシー州の志願兵が傑出した働きをしたことから名付けられた[11]。
ニックネーム