近年のテネシー州には北部州、カリフォルニア州およびフロリダ州からの移住者が多く入ってきている。これには生活費が安いことや、医療および自動車産業が活況を呈していることが寄与している。ナッシュビル都市圏にはこれらの要素があることで、国内でも成長速度の高い地域である。
テネシー州の人口の6.6%は5歳以下、24.6%が18歳以下と報告され、12.4%が65歳以上である。女性は人口のおおよそ51.3%である。 2000年に州内で申告された祖先による構成比は以下の通りだった[32]。 自身をアメリカ人と申告する者の多くはイングランド系やスコットランド・アイルランド系である。推計で21ないし24%はイングランド人を祖先としている[33][34]。1980年国勢調査では、1,435,147がイギリス系あるいは大半がイギリス系と申告しており、当時の人口(3,221,354人)の45%に相当していた[35]。 2010年の国勢調査によると、この州の人種的な構成は次の通りだった[36]。 アフリカ系アメリカ人はかつてこの州の人口の28%を占めたこともあったが、現在の全人口比は16%台である。この州のアフリカ系人口はテネシー州西部及びナッシュビル市内に主に集中している。 2011年時点で、1歳未満の人口の36.3%は少数民族である[37]。 テネシー州の住民の会派別信仰の状況は次の通りだった[38]。
人種及び祖先
17.3% アメリカ人
16.4% アフリカ系
9.3% アイルランド系
9.1% イギリス系
8.3%ドイツ系 (8.3%)。
77.6% 白人(非ヒスパニック白人は75.6%)
16.7% 黒人
0.3% インディアン
1.4% アジア系
0.1% 太平洋諸島系
1.7% 混血
4.6% ヒスパニック
宗教
キリスト教 –82%
プロテスタント –64%
バプテスト –39%
メソジスト –10%
Church of Christ
長老派教会 –3%
他のプロテスタント/一般的なプロテスタント –6%
ローマ・カトリック –6%
他のキリスト教 –12%
イスラム教;1%[39]
他の宗教 –2%
無宗教 –9%
インディアン部族1835年、テネシー州のチェロキー族連合はインディアン準州(現:オクラホマ州)へ強制移住させられたフランクリン州
最大勢力のチェロキー族はテネシー州で4つの地域に渡り、100を超える集落・村を持った。ことに州南部のチャタヌーガは、「チカマウガ地域」と呼ばれ、「ランニングウォーター」、「ニッカジャック」、「ロングアイランド」、「ルックアウトマウンテン」、「クロウタウン」が「インディアン五大集落」として知られた。
白人入植者に対するインディアン部族の連合蜂起であるチカマウガ戦争(1776?1794年)は同州にも及び、多くのインディアン部族が虐殺された。この戦いの中、1785年には、州東部が完全に白人に制圧され、一帯はベンジャミン・フランクリンにちなんだ「フランクリン州」とされた。
さらに19世紀にはこれらのインディアン部族はすべて他州へ強制移住させられた。残った部族も20世紀には「絶滅部族」としてアメリカ連邦政府から公式認定を取り消されて保留地(Reservation)を没収され、部族単位では存在しないことになっている。
テネシー州法廷は、1983年から2000年までと2003年以降にかけ、州インディアン管理委員会内にアメリカ連邦政府の部族認定に沿ったインディアン部族の認定基準を設け、これに基づく部族認定の許可権を与えた。現在まで、この手続きを使ったインディアン部族でテネシー州が認めたものは一つもない。1978年に一部族のグループだけが州知事宣言によって認定されたが、1991年12月5日、州司法長官はこれを無効と宣言した。インディアンが「インディアン部族である」としてアメリカ連邦政府・州政府から公式認定を受けるためには、連邦内務省や州議会に対して、大量の血統証明書類の提出が必要であり、申請活動が数10年に及ぶことは珍しいことではない。2004年以降も、6つのインディアン部族・団体が、連邦・州議会に対し、部族としての州認定要求を続けている。
アメリカ連邦政府に公式認定を要求中の部族・団体
「チェロキー族(アニ・ユン・ウェヤ)」
「エトワー・チェロキー族」
「テネシー・チェロキー族」
「アッパー・カンバーランド・チェロキー族」
「オーバーヒル・チェロキー族」
「南東チェロキー連合・シュガークリーク・バンド」
「南東チェロキー連合・赤い粘土のバンド」
「東チェロキー族」
「東チェロキー族・オーバーヒル・バンド」
「東チェロキー族・テネシー」
「西チェロキー族・テネシー」
「チカマウガ・チェロキー族」
「チカマウガ・チェロキー・エルク谷バンド」