1968年に12人目の従業員としてインテルに入社した。1969年にスタンレー・メイザーともにIntel 4004のアーキテクチャのアイデアと命令セットの策定をしているときに、様々なカスタム設計の回路ではなく「汎用プロセッサ」を使用するというアイデアを思いついたとされている。これにより、1970年代初頭のマイクロプロセッサの誕生へとつながった[6]。シリコンゲート設計手法の開発と実際のチップ設計は、1970年から1971年にかけてプロジェクトを指揮した[7]フェデリコ・ファジンが担当した[8][9][10]。1980年、彼は、同社で最高の技術的地位であるインテル・フェローの第1号となり、1983年に退社するまでその地位に留まった。
1983年にインテルを退社してアタリに移籍し[4]、1995年3月まで在籍した[11]。
1996年、セガ・オブ・アメリカのセールス・マーケティング担当ヴァイスプレジデントに就任した[11]。
受賞歴
1954年 - ウェスティングハウス・サイエンス・タレント・サーチのファイナリスト[12]
1979年 - スチュアート・バレンタイン・メダル
1980年 - クレド・ブルネッティ賞
典拠管理データベース: 学術データベース
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