カッサンドロスの死後、テッサロニカは最初は息子たちへの影響力を保っていたとされる。息子の一人ピリッポス4世が父の後を継いで王になると、彼女は次期に王位を継ぐはずだったアンティパトロス2世に対し、アレクサンドロス5世と王位を分けるよう要求した。アンティパトロス2世は母が弟に深い愛情を注いでいることを妬むようになり、紀元前295年、ピリッポス4世の死後に王位を独占せんと母を処刑した[3][13]。 彼女の死後、アンティパトロス2世とアレクサンドロス5世が争い、これに介入したディアドコイの一人たるデメトリオスは両者をまとめて滅ぼし、王位を奪った。 ギリシアでは有名な伝説として[14] [15]エーゲ海に大昔から住んでいるという人魚の話があり、それはテッサロニカであると考えられている。伝説によると、アレクサンドロスは不死の泉を求めて旅立ち、困難の末に手に入れ、瓶一杯の不死の水で彼の妹の髪を洗った。アレクサンドロスが死んだ時、哀しみに打ちひしがれた彼女は海に飛び込んで命を絶とうとした。しかし、彼女は死ぬことができず、人魚となって七つの海を通る海の男たちに質問を投げかけ続けるようになった。彼女とであった男たちに投げかけられる質問は決まっており「アレクサンドロス王は生きていますか?」(ギリシャ語で「Ζει ο βασιλι?? Αλ?ξανδρο?」)というもので、正しい答えは「彼はまだ生きて国を治めています」(ギリシャ語で「Ζει και βασιλε?ει, και τον κ?σμο κυριε?ει!」)である。こう答えると彼女は船を安全に通すため海を穏やかにしてくれる。しかし、いかなる別の答えを言っても、彼女は怒り狂ったゴーゴンに姿を変え、船を曲げて船員ごと海にひっくり返してしまうという。
死後
テッサロニカの伝説
脚注^ パウサニアス, 『ギリシア案内記』, ⇒viii 7.7
^ アテナイオス, 『食卓の賢人たち』 , xiii
^ a b パウサニアス, 『ギリシア案内記』, ⇒ix. 7.3
^ Polygamy, Prostitutes and Death: The Hellenistic Dynasties - Page 36by Daniel Ogden ISBN 0715629301
^ Women and monarchy in Macedonia - Page 155by Elizabeth Donnelly Carney ISBN 0806132124
^ The pocket guide to Saint Paul By Peter E. Lewis, Ron Bolden - Page 118 ISBN 1862545626
^ シケリアのディオドロス, Bibliotheca, xix. 35
^ ユニアヌス・ユスティヌス, Epitome of Pompeius Trogus, xiv. 6
^ シケリアのディオドロス, xix. 52
^ パウサニアス, ibid.
^ ストラボン, 『地理誌』, vii
^ ビザンティウムのステファヌス
^ シケリアのディオドロス, xxi
^ Mermaids and Ikons: A Greek Summer (1978) page 73 by Gwendolyn MacEwen ISBN 9780887840623
^ Folktales from Greece Page 96 ISBN 1563089084