テゼ共同体
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^ a b BBC - Religions - Christianity: Taize
^ テゼ共同体は男子の修道会である。テゼ村ではシスターもよく見かけるが、テゼ共同体のシスターではなく、ベルギーの聖アンデレ修道会、ポーランドの聖ウルスラ会、聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ修道会など、カトリックの伝統的な修道会に属している。これらのシスターはテゼで女性の受け入れおよびミニストリーならびに救護および音楽指導などで中心的な役割を担っている。1960年代からテゼで奉仕している聖アンデレ修道会は、聖イグナチオ・デ・ロヨラの霊性を中心とした伝統的なカトリックの修道会であり、シスターはテゼ村ではなく隣村のアムニーに住んでいる。
^ イアン・ブラッドリー『ヨーロッパ聖地巡礼:その歴史と代表的な13の巡礼地』(第18章 テゼ)、中畑佐知子・中森拓訳、創元社、2012年、ISBN 978-4-422-14382-8
^ a b 「テゼ - 歌によるいのり」(1996年)。
^ テゼ共同体(公式サイト)- ⇒"JOHN PAUL II: One passes through Taize as one passes close to a spring of water"
^ 『テゼの源泉 - これより大きな愛はない』(ブラザー・ロジェ)p156(1986年のテゼ訪問の際に語られた言葉)
^ 『ヨーロッパの心』(犬養道子)
^ テゼ共同体(公式サイト)- ⇒「テゼについて:交わりのたとえ」
^ テゼ共同体(公式サイト)- ⇒「略歴」
^ ブラザー・ロジェがテゼ村に移り住んだのは1940年。1949年4月の復活祭にブラザー・ロジェをはじめとする7名が修道士としての終生請願を立て、修道共同体となった。
^ 関西学院大学の森川名誉教授(2009年)によれば、テゼ共同体はポール・ロワイヤル修道院が一つのモデルとなっているという。
^ 須賀敦子(1979)
^ 森川甫「我が師、我が友、ブレーズ・パスカル―宗教多元化時代におけるアポロジー構築を目指して―」『関西学院大学社会学部紀要』(89)、2001年3月、pp. 11-22 ⇒[PDF]
^ 女性の訪問者を迎えるために、カトリックの伝統的な修道会である聖アンデレ女子修道会およびポーランドのウルスラ会のシスターたちが隣村のアムニーに移り住み、青年の受け入れなどを手伝っている。
^ テゼ共同体(公式サイト)- ⇒「キリスト者が和解し合うことへの招き」 (2008年「コチャバンバからの手紙」からの抜粋)
^ カトリック教会では、教皇ヨハネ23世がテゼに注目し、ブラザー・ロジェを第2バチカン公会議のオブザーバーとして招いた。教皇ヨハネ・パウロ2世は、1986年にテゼを訪問している。とりわけマザー・テレサとの親交は深く、ブラザー・ロジェとマザー・テレサは、1976年に和解を求める共同声明を出した。マザー・テレサは、数回テゼを訪問しており、またブラザー・ロジェとともに3冊の本を著した。
^ プロテスタントでは、歴代のカンタベリー大主教(聖公会)やスウェーデンのルーテル教会主教団がテゼを訪れている。また、1982年にプロテスタント諸教会は、洗礼・聖餐・職制(叙階)において一致するための文書をまとめたが、「リマ式文」と呼ばれる礼拝順序の作成を担当したのが、テゼの最初のブラザーであり、神学者のブラザー・マックス・トゥリアンである。
^ 正教会では、コンスタンディヌーポリ(コンスタンティノープル)の総主教アシナゴラス1世は、ブラザー・ロジェと深い親交があり、初めてテゼ共同体に修道士を派遣した。正教会の著名な神学者である、オリヴィエ・クレマンもテゼの友人であり、テゼに関する本を著した。現在のモスクワ総主教であるキリル1世は、神学生の時から度々テゼを訪問している。なお、ロシアで初めてのテゼの大会が正教会の招待によって、2011年の復活祭にモスクワで開催された。
^ 例えば、厳律シトー会、カルメル修道会などが観想修道会として有名。一方、マザー・テレサの神の愛の宣教者会などは活動修道会にあたる。
^ 打樋啓史 「テゼ共同体と教父たち:Soyons l'ame du monde を基に」、『関西学院大学社会学部紀要』(89)
^ ブラザーたちの労働については、『スピリチュアリティ』(一麦出版社)の連載「テゼから歩く - 巡礼者の覚え書き」の「第21回 ブラザーたちの労働」(2009年11月15日発行)に詳しい。
^ テゼ共同体(公式サイト)- ⇒"Exhibition of recent creations of frere Daniel"
^ Brother Roger, "Dynamics of Provisional"(1981) p.40
^ テゼ共同体(公式サイト)- ⇒「祈りと歌」
^ 打樋(2001)によれば、テゼの祈りは、一種のレクティオ・ディヴィナ(聖なる読書)である。
^ 東方教会の「イエスの御名の祈り」や西方教会では「ロザリオの祈り」などにも見られる。
^ 「テゼ - 歌による祈り」(サンパウロ)
^ ジョゼフ・ジェリノー神父によれば、精巧な時間配分によって構成される西洋音楽の影響を受けて、今日では典礼の時間配分を誰もが把握することができるようになった。一方で、祈りの大切な要素が失われてしまった面があるという。同氏は、テゼの祈りを通して、その失われた祈りの要素が回復されると分析している。「テゼ - 歌による祈り」(サンパウロ)
^ テゼ共同体(公式サイト)- ⇒"Icons in worship"
^ テゼ共同体(公式サイト)- ⇒All Saints Day: "I call you friends"
^ ルーヴル美術館 - ⇒「キリストとメナス」
^ テゼ共同体(公式サイト)- http://www.taize.fr/en_article12402.html
^ 「超教派キリスト教団体テゼ共同体のジュネーブ大会が開幕」(AFPBB News、2008年01月01日)[1]
^ ヨーロッパ大会中、教皇ベネディクト16世の招待により、サン・ピエトロ広場で祈りが行われ、4万5千人が参加した。「「世界の光になろう」教皇、テゼ共同体の若者に励まし」(バチカン放送局、2012年12月31日) ⇒[2]
^ Kathryn Spink (2005), "A Universal Heart: The Life and Vision of Brother Roger of Taize", SPCK Publishing, ISBN 978-0-2810-5799-3
^ 「スピリチュアリティー」(第40回)。
^ 「テゼでの生活」(2011年)
^ ポール・リクール(2000年)
^ テゼ共同体の日本担当のブラザーは、「テゼには特に何があるわけではない、あるとすれば『自分自身でいられる空間』ではないか」と述べている(2011年11月20日講話)。
^ 教会は、カトリックのオータン教区に属していた。当時ブラザー・ロジェは「プロテスタントの修道者」として認識されていたため、オータン教区は使用許可の判断を上層部に委ねることとした。最終的に教会の使用許可を与えたのは、当時のフランスのローマ教皇大使であり、後に教皇となるジュゼッペ・ロンカリ(ヨハネ23世)であった。(「スピリチュアリティー」第14回)
^ Spink (2005)
^ 黙想と祈りの集い - ⇒はじめに?「テゼ共同体」と「黙想と祈りの集い」
^ テゼ共同体によって、テゼの歌を用いた祈りについて、一定の手引きは用意されているが、必ずこう用いなければならないというものではない。「黙想的なものを大切にする」という方向性はあるが、それ以外はその時の状況や用いる人々にゆだねられている。
^ 黙想と祈りの集い公式ブログ - ⇒[3]
^ 「テゼと連帯した「黙想との祈りの集い」エキュメニカル功労賞受賞」クリスチャントゥデイ、2012年05月07日 - ⇒[4]
^ 塩田泉(カトリック司祭)作詞・作曲。『日本聖公会聖歌集』562番および『こどもさんびか・改訂版』34番。
^ 塩田泉(カトリック司祭)作詞・作曲。『讃美歌21』162番。
^ 市原信太郎(日本聖公会司祭)作詞・作曲。『日本聖公会聖歌集』563番。
^ 市原信太郎(日本聖公会司祭)作詞・作曲。『日本聖公会聖歌集』441番。
^ 黙想と祈りの集い - ⇒「バングラデシュのテゼ」
^ ブラザーたちは、知的ハンデを持つ孤児たちを迎え入れ、ジャン・バニエの提唱するラルシュ共同体に倣って3つのグループホームを開始。
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