テクノポップ
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楽器メーカーが数々のシンセサイザーを発売し低廉化・大衆化する動き[注 5]があったものの、1990年代末期までの間はテクノポップのリバイバル化に直接影響することは無かった。

しかし、1990年代前半に流行し、21世紀のテクノポップやフューチャーポップに影響を与えた渋谷系の中で細々とテクノポップに類する音楽は制作されており、特に佐藤清喜と清水雄史からなるnice musicは「キラキラ」して「ピコピコ」しているためフューチャーポップの先駆けと言われる事もある。しかしこうしたテクノポップは小室ファミリーのようなカッコ良さを求める時代のトレンドから乖離していたため注目されず、後の音楽シーンに多大な影響を与えたとは言い難かった。従って、渋谷系のテクノポップはオーパーツ・ミュージック的な扱いに留まっている[14]
2000年代以降1990年代から2000年代以降に一般的となったDAWの例。パソコンソフトウェアシンセサイザーを活用し、過去の名機の音色も再現可能。2000年代に再結成したYMO (2008年)

テクノポップが再度注目されるようになったのは主にインディーズ音楽シーンで、1998年にリリースされた『東京NEW WAVE OF NEW WAVE '98』というコンピレーション・アルバムで東京の一部で流行していたネオ・ニューウェイヴが総括されて以降、参加していたMOTOCOMPOを筆頭とした様々なミュージシャンらにより21世紀型のテクノポップやフューチャーポップが形作られていった[15]。さらにテクノ音楽シーンではKAGAMIがシンセサイザーやボコーダーを駆使したテクノポップ寄りのダンス・ミュージックをリリースし人気を集めた。

CAPSULEで活動していた中田ヤスタカがプロデュースするユニット、Perfumeが東京のインディーズレーベルでシングルを発売、この中にジューシィ・フルーツのヒット曲「ジェニーはご機嫌ななめ」をカバー収録。テクノポップの再アピールが目立ち始める。Perfume2007年に『ポリリズム』のCM起用で一般的知名度を獲得し、2008年にアルバム『GAME』が、「テクノポップ・ユニット」と称されるユニットとしては、YMO以来4半世紀ぶりにオリコン週間チャート1位を記録した。この当時、一般人にとってこうした現代的なテクノポップはPerfumeの作品が唯一と言っても過言ではなく、非常に強烈な印象を残し、また一発屋になることなく国民的なユニットに成長して行った。この時代に始まる第二次テクノポップブームは中田ヤスタカに負うところが大きく、「テクノポップ第二世代」を掲げるAira MitsukiSweet Vacationなどを初めとする数々のフォロワーも現れた。また、「キラキラ系」「ピコピコ系」など様々な分類がなされた。何れもネオ渋谷系を起源とするおしゃれで都会的な感覚を引き継いでいた。テクノポップは同時期に普及したDTMと親和性が高く、VOCALOIDの登場でボーカルも合成できるようになったことから、最小構成ではラップトップ1台のみで制作が完結できるようになったこともあって以後の日本のDTM界隈では似たような音楽が大量に制作されるようになった。こうした音楽は、2010年代にネット音楽シーンから登場してくるミュージシャンにも多大な影響を与えた。

インディーズ音楽シーンにおいてもシンセサイザーやPCのさらなる普及により、アーバンギャルドFLOPPYなどのテクノポップアーティスト、T4P recordsやウサギチャンレコーズなどの専門レーベルが活躍している。2000年代に始まったテクノ・ポップの復活は、2010年代に入るとJ-Popの一ジャンルと見る傾向も出てきた。2011年にはきゃりーぱみゅぱみゅの「PONPONPON」が日本でヒットを記録し日本以外の一部の国々で動画サイトを通じ知られるようになった。その後、2010年代を通して世界各国で爆発的な人気を誇った。

2010年代に入るとダブステップなどの「バキバキ系」が注目を集め、日本でもテクノポップだけでなくEDMが注目されるようになった、しかし、日本のPerfumeなどの海外のEDM流行と一線を画した、表拍(ダウンビート )なテクノポップ的楽曲は、海外でのコンサートに呼ばれる際には「日本代表」的な扱いを受け歓迎された[16]
YMOとテクノ御三家

1979年のYMOブームによりP-MODELヒカシュープラスチックスの「テクノ御三家」が出て来たわけではなく、それぞれ源流も全く異なっている。P-MODELは平沢進が高校時代(1973年)から結成していたプログレッシブ・ロックバンドのマンドレイクが、電子音とバンドサウンドを同期させたスタイルに転じたものであったが、年代事にメンバーが変わり、ダークテクノ、ニューウェーブ、アジアンテクノと2000年に活動停止までテクノミュージックの追及を行った[注 6]演劇畑出身の巻上公一[注 7]を中心とし、劇団から転じて1978年に命名されたのがヒカシューであり、後に巻上公一とヒカシューはテクノ・ポップの枠にとどまらず、前衛音楽や前衛ロック、フリージャズの分野へと、大きく羽ばたいていった。プラスチックスは1976年に立花ハジメを中心としたファッションデザイナーらによって結成されたバンドで、のちのバブル期の日本を先取りしたような軽さをうち出し、米国にてツアーも行った[注 8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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