テクノポップ
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この頃は「シンセサイザーを駆使しているがテクノポップとは異なる」音楽、すなわちTM NETWORK[注 4]accessのようなデジタルロック喜多郎姫神のようなニューエイジ音楽などが登場した。

一方、同時期に雑誌『宝島』などのサブカルチャー雑誌に牽引されて勃興したインディーズバンド・ブームの渦中においては、テクノポップ色の強いアーティストが存在感を放っていた。ケラ率いる有頂天らのレコードは宝島社傘下のキャプテンレコードによって全国に紹介され、また有頂天のケラが設立したナゴムレコードに所属する空手バカボン人生などもインディーズチャートを賑わせた。有頂天の「べにくじら」や、ケラが後に結成したユニット「ロングバケーション」の「シェリーにくちづけ」テクノポップカバーなどはメジャーでリリースされ、一般にも知られている。

また同時期にテレビゲームやコンピュータゲームもブームとなっており、ゲームで演奏されるゲームミュージック、すなわちシンセサイザー音色を活かしたインストゥルメンタル音楽に傾倒していく人々も多く現れるようになった。YMOのファースト・アルバムで「インベーダーゲーム」が収録されていたように、ゲームミュージックシーンの草創期から、テクノポップシーンの人材が関わってゆくことになる。1985年には\ENレーベルを擁するアルファレコードにおいて、初のゲームミュージック専門のレーベルとしてG.M.O.レコードも設立された。
1990年代

テクノポップに変わり電子音楽の主流となったジャンルの1つはテクノである。1988年以降に世界的に流行し、日本ではケン・イシイや石野卓球が有名となった[13]人生改め電気グルーヴは、初期はハウスラップなどに傾倒していたが、石野がアシッドムーヴメントに触れた1990年代以降はテクノ色を鮮明にしてゆき、1997年に『Shangri-La』をヒットさせた。イギリスの808ステイトジ・オーブオービタルといったテクノアーティストがテクノ・ポップの楽曲をリミックスする企画アルバムもリリースされた。

楽器メーカーが数々のシンセサイザーを発売し低廉化・大衆化する動き[注 5]があったものの、1990年代末期までの間はテクノポップのリバイバル化に直接影響することは無かった。

しかし、1990年代前半に流行し、21世紀のテクノポップやフューチャーポップに影響を与えた渋谷系の中で細々とテクノポップに類する音楽は制作されており、特に佐藤清喜と清水雄史からなるnice musicは「キラキラ」して「ピコピコ」しているためフューチャーポップの先駆けと言われる事もある。しかしこうしたテクノポップは小室ファミリーのようなカッコ良さを求める時代のトレンドから乖離していたため注目されず、後の音楽シーンに多大な影響を与えたとは言い難かった。従って、渋谷系のテクノポップはオーパーツ・ミュージック的な扱いに留まっている[14]
2000年代以降1990年代から2000年代以降に一般的となったDAWの例。パソコンソフトウェアシンセサイザーを活用し、過去の名機の音色も再現可能。2000年代に再結成したYMO (2008年)

テクノポップが再度注目されるようになったのは主にインディーズ音楽シーンで、1998年にリリースされた『東京NEW WAVE OF NEW WAVE '98』というコンピレーション・アルバムで東京の一部で流行していたネオ・ニューウェイヴが総括されて以降、参加していたMOTOCOMPOを筆頭とした様々なミュージシャンらにより21世紀型のテクノポップやフューチャーポップが形作られていった[15]。さらにテクノ音楽シーンではKAGAMIがシンセサイザーやボコーダーを駆使したテクノポップ寄りのダンス・ミュージックをリリースし人気を集めた。

CAPSULEで活動していた中田ヤスタカがプロデュースするユニット、Perfumeが東京のインディーズレーベルでシングルを発売、この中にジューシィ・フルーツのヒット曲「ジェニーはご機嫌ななめ」をカバー収録。テクノポップの再アピールが目立ち始める。Perfume2007年に『ポリリズム』のCM起用で一般的知名度を獲得し、2008年にアルバム『GAME』が、「テクノポップ・ユニット」と称されるユニットとしては、YMO以来4半世紀ぶりにオリコン週間チャート1位を記録した。この当時、一般人にとってこうした現代的なテクノポップはPerfumeの作品が唯一と言っても過言ではなく、非常に強烈な印象を残し、また一発屋になることなく国民的なユニットに成長して行った。この時代に始まる第二次テクノポップブームは中田ヤスタカに負うところが大きく、「テクノポップ第二世代」を掲げるAira MitsukiSweet Vacationなどを初めとする数々のフォロワーも現れた。また、「キラキラ系」「ピコピコ系」など様々な分類がなされた。何れもネオ渋谷系を起源とするおしゃれで都会的な感覚を引き継いでいた。テクノポップは同時期に普及したDTMと親和性が高く、VOCALOIDの登場でボーカルも合成できるようになったことから、最小構成ではラップトップ1台のみで制作が完結できるようになったこともあって以後の日本のDTM界隈では似たような音楽が大量に制作されるようになった。こうした音楽は、2010年代にネット音楽シーンから登場してくるミュージシャンにも多大な影響を与えた。

インディーズ音楽シーンにおいてもシンセサイザーやPCのさらなる普及により、アーバンギャルドFLOPPYなどのテクノポップアーティスト、T4P recordsやウサギチャンレコーズなどの専門レーベルが活躍している。2000年代に始まったテクノ・ポップの復活は、2010年代に入るとJ-Popの一ジャンルと見る傾向も出てきた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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