テキサス州
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16世紀以来、スペイン帝国ヌエバ・エスパーニャ副王領(「新しいスペイン」)に属し、1821年メキシコがスペインから独立すると、メキシコ領コアウイラ・イ・テハス州の一部となった[14][15]。メキシコ政府はこの地方の開発を進めるため、アメリカ合衆国人移民を認め[16]、アメリカ合衆国人人口が増加したテハス各地でのアメリカ合衆国人入植者たちの発展が進むにつれてアメリカ合衆国人入植者とメキシコ政府との摩擦が起り、その為1830年にメキシコ政府はアメリカ合衆国人入植者がアメリカからテキサスへ来るのを禁止した[17]

奴隷制を認めないなどの、メキシコの政策に不満を感じたアメリカ合衆国人入植者たちはテキサス革命を決心し、1835年にメキシコからの分離を目指して反乱を起こし[18]1836年テキサス共和国として一方的に独立を宣言した。同年メキシコ軍の進軍によりアメリカ合衆国人入植者がたてこもっていたサンアントニオアラモ伝道所の砦が陥落し、守備隊は全滅した(アラモの戦い)。テキサス独立軍は「アラモを忘れるな」("Remember the Alamo")を合言葉に、メキシコ軍と対峙、メキシコのカウディーリョ アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ将軍率いるメキシコ軍をサンジャシントの戦いで撃破した[19]。司令官のサンタ・アナが捕らえられ、テキサス共和国の成立を認めるベラスコ条約(英語版)に署名した。

テキサスの独立後、アングロ・サクソンが主導権を握ったテキサス共和国ではメキシコ政府が廃止した黒人奴隷制が復活した。

1845年にテキサスはアメリカ合衆国の28番目の州として併合された[20]ため、翌1846年テキサスを併合されたメキシコがアメリカに宣戦し米墨戦争が起こった。米墨戦争はアメリカ合衆国優位に進み、1848年アメリカ合衆国はメキシコを破った。この戦争によってメキシコは領土の半分を失い、アメリカ合衆国は現カリフォルニア州アリゾナ州などの現南西部をメキシコから得た。

1861年南北戦争ではアメリカ連合国に属し[2][21]、戦後1870年に合衆国への復帰が認められた。
地理グアダルーペ山脈詳細は「テキサス州の地理(英語版)」を参照

テキサス州はアメリカ合衆国の南中部に位置している。州境の三方が川で規定されている。西部でニューメキシコ州、北部はレッド川を挟んでオクラホマ州に、及び東部はサビン川(英語版)を挟んでルイジアナ州、およびアーカンソー州に接している。南西部においてはリオ・グランデ川を国境として、メキシコチワワコアウイラヌエボレオン、及びタマウリパスの各州と接している。パンハンドル(州北部をなす長方形の)地域とオクラホマ州との東部州境は西経100度線、北部州境は北緯36度30分線、ニューメキシコ州との西部州境は西経103度線となっている。エルパソ市は州の西端にあり、北緯32度線とリオ・グランデ川に接している[22]。テキサス州の南東部においてはメキシコ湾が展開し、バイユーの流れる湿地が多い。最高地点は、州西部のグアダルーペ山脈国立公園内にある標高2,667mのグアダルーペ峰。北西部にはラノ・エスタカドと呼ばれる平原が広がる。サンタ・エレナ・キャニオンを貫くリオ・グランデ、ビッグ・ベンド国立公園。キャニオンの左側はメキシコ、右側は米国

国立公園、州立公園、その他の保護区には、以下のようなものがある。西部の他州に比べ、公有地の面積比率が低い。

ビッグ・ベンド国立公園

グアダルーペ山脈国立公園

アラモ伝道所アメリカ国定歴史建造物

パロ・アルト戦場国立史跡

テキサス州の面積は696,241 km2で、アラスカ州に次いで全米第2位の広さがある。これは日本の面積の約2倍である。テキサス州を独立国と仮定すると、チリザンビアに続いて40番目に大きな国となる。テキサス・ヒル・カントリー

テキサス州はケッペンの気候区分では10の地域、土壌区では14の地域、また生態地域では11の地域に区分されるほど、土壌、地勢、地質および植物相や動物相における違いで地域を分類するのが大変なところである[23]。一つの区分法として南東部から西に向って、メキシコ湾海岸平原、内陸低地、グレートプレーンズおよび盆地と山脈地帯に分類する方法がある。メキシコ湾海岸平原は州南東部でメキシコ湾を包み込むようにしている。この地域の植生は密な松林である。内陸低地はなだらかにうねる丘の森林地帯であり、大きな松硬材林の一部である。州中央部のグレートプレーンズはパンハンドル地域やリャノ・エスタカードからオースティンに近いテキサス・ヒル・カントリーに跨っている。この地域はプレーリー(丈の高い草原)やステップ(丈の低い草原)が大半を占めている。テキサス州最西部すなわち「トランス・ペコス」(ペコス川より向こうの地域)は盆地と山脈地帯である。この地域は最も変化が激しく、サンド・ヒルズ(砂丘)、ストックトン高原、砂漠の渓谷、樹木のある山岳斜面および砂漠の草地がある。

テキサス州には名前の付いた水流だけで3,700、主要河川は15ある[24][25]。最大の川はリオ・グランデ川である。その他の主要河川としては、ペコス川ブラゾス川、コロラド川およびオクラホマ州との州境になっているレッド川がある。テキサス州には大きな天然湖が無いので、100以上の人口湖を造成してきた[26]

テキサス州のその大きさと特徴ある歴史のためにアメリカ合衆国のどの地域に属するかは議論のあるところである。文献によってアメリカ合衆国南部あるいは南西部のどちらかあるいは双方に入ると考えられることが多い。州内の幅広い地形、経済および文化の多様性のために州全体を一つの地域に含めることは危険である。州の東部、中央部および北部は南西部よりも南部との結び付きが強く、一方最西部や南部はアメリカ合衆国南部よりも南西部との類似性が強い。
地質詳細は「テキサス州の地質(英語版)」を参照リャノ・エスタカードの立体地図

テキサス州はグレートプレーンズの最南端にあり、その南は褶曲したメキシコ・東シエラマドレ山脈で終わる。大陸地殻が安定した中原生代クラトン(剛塊)を形成し、幅広い大陸縁辺と遷移地殻へ変化し、メキシコ湾近くに達する。テキサス州最古の岩石は中原生代の約16億年前のものとされている。これら先カンブリア時代火成岩変成岩が州内の大半に横たわっており、リャノ隆起、ヴァンホーンおよびエルパソに近いフランクリン山脈の3か所で露出している。堆積岩がこれら古期岩石の大半を覆う。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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