非キリスト教宗教の信者はテキサス州の都心部に多い。イスラム教徒は約40万人がいる[47]。ユダヤ教徒は約128,000人である[48]。ヒンドゥー教やシーク教などの信者は146,000人である[49]。 5歳以上の全人口の66.35%が英語を、29.09%がスペイン語を話す[50]。英語はテキサス独特の訛りが強い南部アメリカ英語である。スペイン語話者数はカリフォルニア州に次ぐ。 アコキサ族
言語
インディアン部族テキサスはもともとコマンチ族と同盟部族の領土だった(赤い枠線内)。彼らは19世紀に残らずオクラホマ州へ強制移住させられた(1858年の地図)ティグア族インディアン保留地は赤い部分(エルパソ郡)の一画にあるアラバマ・コウシャッタ族インディアン保留地は赤い部分(ポーク郡)の東端にあるテキサス・アラバマ・コウシャッタ族の保留地看板テキサス・キカプー族インディアン保留地は赤い部分(マーベリック郡)の西端のメキシコ国境にある
カイオワ族やコマンチ族は18世紀にメキシコ経由で馬を手に入れ、一大騎馬狩猟民となった。遠征隊を組んで、遠く中南米まで足を延ばした記録も残っている。1847年の「和平会談」で、コマンチ族が3000ドル相当の「贈り物」と引き換えに彼らの領土内での白人の通行を認めた。こうして入植白人の幌馬車隊は、この「テキサス道」と呼ばれる入植経路を使ってインディアンの土地に一気に押し寄せた。命の糧のバッファローを虐殺し、勝手に農地を拓く白人の狼藉に怒った略奪狩猟民のカイオワ族やコマンチ族は同盟を組んで、これら入植白人に対して全面的に戦いを挑んだ(「テキサスのインディアン戦争」)。
「開拓者を襲う恐ろしいインディアン」は、20世紀になって西部劇映画の題材として繰り返し描かれた。コマンチ族やカイオワ族、アパッチ族は「悪いインディアン」としてこういった西部劇映画に、デタラメな姿で登場する常連悪役部族となった。
彼らの他に、カランカワ族やトンカワ族、アタカパン族など、多様な部族集団が先住したが、「テキサス・インディアン戦争」の末に、すべて19世紀にオクラホマ州へ強制移住させられた。
全域にかつて先住した一大部族集団コアユルテカン族(英語版)」は、19世紀中に白人牧場主による「インディアン狩り」によってほぼ絶滅させられた。インディアンを追い払った後の広大な土地は、「一番遠くまで馬で駆けた者が、そこまでの土地を貰う」というような「賭けごと」によって、日本の市町村級の規模面積で白人個人入植者に分配された。
現在、アメリカ連邦政府から公式認定され、「保留地(Reservation)」を領有する部族はキカプー族、ティグア族、アラバマ・コウシャッタ族の3つ。キカプー族は、19世紀に5大湖地方から白人の侵入を嫌って南下、この地までやってきた。
ティグア族(イスレタ・プエブロ族)は、一部がニューメキシコ州からの「飛び地」のような場所に存在し、テキサスに「ティグア保留地」を領有している。アラバマ族とコウシャッタ族は長らく絶滅部族の扱いだったが、近縁の両部族は提携結集し、1987年にアメリカ連邦政府からインディアン部族として公式認定され、「復活」した。
他のインディアンたちは、部族単位では認定されていない。「チェロキー族」や「セミノール族」、「クリーク族」は19世紀に東部から大陸を横断して強制移住させられた末裔だが、現在公式認定を抹消され、部族として存在しないことになっている。
2009年、テキサス州議会は、「リパン・アパッチ族」を部族認定した。以後、連邦認定と併せて、州議会に部族認定を要求する部族が増えている。
≪アメリカ連邦政府が公式認定している部族≫
「キカプー族・テキサスバンド」
「アラバマ・コウシャッタ族」
「ティグア族(テキサス・イスレタ・プエブロ族)」
≪アメリカ連邦政府に公式認定を要求中の部族・団体≫
「クリーク族・レッド・オーク・バンド」
「アリスタ・インディアン村」
「アタカパ・イシャク族」
「チェロキー族」
「チカマウガ・チェロキー族・ブラッシークリーク・バンド」
「チカマウガ・チェロキー族・バッファローバイユー・バンド」
「チカマウガ連合」
「オウカー・チェロキー族」
「自主独立チェロキー族」
「自由チェロキー族・ハチドリの氏族」
「南東チェロキー連合・鷹の氏族」
「南東チェロキー連合・セコイヤ族」
「南東チェロキー族・部族と協会のバンド」
「テキサス湾岸チェロキー族・部族と協会のバンド」
「リオグランデ・バンド」
「タボー山バンド」
「ペナテカ・コマンチ族」
「ジュマノ族(英語版)」
「コアユルテカン族(英語版)」
「パマクエ・バンド」
「タップ・ピラム・コアユルテカン族」
「カリゾ・コメクルド族」
「マスコゴ・セミノール族」
「ミッション・インディアン・ヤナグアナ・バンド」
≪アメリカ連邦政府は公認していないが、テキサス州議会が公認している部族≫ 合衆国でのインディアンの宗教は、1881年にすべて非合法化された。以後、儀式の話をしただけで、彼らは白人に逮捕される状況となった。1940年代になり、フランクリン・ルーズベルト大統領が一部合法化したものの、自傷行為を伴う苦行などは、「レッド・パワー運動」が高まった1970年代までなお禁止弾圧され続けた。 19世紀末に同州で発祥したネイティブ・アメリカン・チャーチが行う「ペヨーテの儀式」は、フェネチルアミン系の幻覚剤であるメスカリンを成分として含むペヨーテを摂取して治癒を行う宗教であるが、このペヨーテは、アメリカ国内では同州にしか自生しない。このため、現在ではペヨーテの採集のために全米からインディアンが集まることとなっている。ペヨーテの採集は、現在インディアンにのみ合法とされる行為である。 1884年からインディアンの同化政策として始まった「インディアン寄宿学校」は、インディアン児童を同化政策の目的をもって、彼らの言語・宗教・習慣を根こそぎ奪い、キリスト教化させた私立の「教育」機関である。本来インディアンにとって髪の毛は神聖なものであり、これを切るのは家族が亡くなったときだけであるが、インディアン寄宿学校はこれを無視して入学時に強制的に彼らの髪を切らせた。インディアン児童が一般公立学校に通学させられるようになったのは20世紀後半からであるが、ここでもなお彼らの宗教習慣は、白人のキリスト教規範に従わせるものだった。保留地を領有する部族は「部族学校」を開設してこれに対抗しているが、領土を持たない「非公認部族」の児童は、現在も白人の学校への通学を余儀なくされている。 1978年、「アメリカ・インディアンの宗教の自由法(AIRFA 同州フォート・ベント郡ニードヴィルの幼稚園に通うリパン・アパッチ族インディアンの少年アドリエル・アロチャ(Adriel Arocha)は、インディアンの宗教習慣に従って、長い髪を伸ばしている。 2008年夏、「ニードヴィルISD
「チカマウガ・チェロキー族・ブラッシークリーク・バンド」
「リパン・アパッチ族(平原アパッチ族)」
インディアンの宗教の自由とテキサス州
アドリエル・アロチャ対ニードヴィル法廷戦
以後、このインディアン児童の処遇を巡ったテキサス州での係争は、「アドリエル・アロチャ対ニードヴィル法廷戦(A.A. v. Needville Case)」と名付けられ、全米が注目する裁判となった。