テキサス州
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これは国内の50州では5番目に高い数字となっている[40][注 1]

テキサス州の人口密度は1平方kmあたり34.8人であり、全国平均の31人より幾らか高くなっている。テキサス州とフランスは国土の大きさが接近しているが、フランスの人口密度は1平方kmあたり110人とかなり高くなっている。

テキサス州民のうち3分の2はヒューストンのような主要都市圏に住んでいる。テキサス州ではダラス・フォートワース都市圏が最大である。ヒューストンがテキサス州最大、かつアメリカ合衆国で第4位であるが、ダラス・フォートワース都市圏はヒューストン都市圏よりかなり大きくなっている。
人種構成

テキサス州の人口動勢2004年2003年2002年2001年2000年
総計22,490,022人22,103,374人21,723,220人21,334,855人20,851,790人
白人 (ヒスパニック以外)10,986,937人11,049,172人11,094,951人11,138,076人11,190,222人
49.8%50.4%51.1%51.8%52.7%
ヒスパニック (民族問わず)7,781,211人7,519,603人7,258,302人6,993,458人6,669,666人
34.6%34.0%33.4%32.8%32.0%
黒人 (ヒスパニック以外)2,535,285人2,500,125人2,463,047人2,426,088人2,378,444人
11.3%11.3%11.3%11.4%11.4%
アジア系 (ヒスパニック以外)695,293人666,261人636,223人604,846人567,526人
3.1%3.0%2.9%2.8%2.7%
インディアン77,662人76,071人74,538人72,762人70,405人
0.3%0.3%0.3%0.3%0.3%
混血/他210,349人203,238人196,159人188,529人178,812人
0.9%0.9%0.9%0.9%0.9%

すべてのデータはアメリカ合衆国統計局 州人口見込みからの情報である[41]

テキサス州内で祖先グループと報告された最大の民族は:メキシコ人 (24.3%)、アフリカ系アメリカ人 (11.5%)、ドイツ系アメリカ人 (9.9%)、アメリカ白人 (7.2%)、及びアイルランド系アメリカ人 (7.2%)。

国勢調査データはテキサス州の人口の7.8%が5歳以下、28.2%が18歳以下および9.9%が65歳以上と報告している。女性はおおよそ人口の50.4%である。

ドイツ人の子孫は州中部と南東部に多い。テキサス州民の3分の1以上がヒスパニック系であり[42]、最近入ってきた者が多いが、テハーノの中には18世紀のテキサスから数世代を経る者もいる。アフリカ系アメリカ人の場合、元奴隷の子孫に加えて最近の新大移動によって州内に仕事を求めてきた学卒者も多い[43]。最近は特にヒューストンとダラスでアジア系アメリカ人の人口が増加している。その他の都市ではオースティン、コーパスクリスティおよびマッカレンに近いシャリーランドでアジア系アメリカ人の人口がかなり増加している。
宗教

テキサス州の住人の信仰する宗教および宗派は:

キリスト教 ? 87%

プロテスタント ? 57%

バプテスト ? 22%

メソジスト ? 8%

ルーテル教会 ? 3%

ペンテコステ運動 ? 3%

長老派教会 ? 2%

キリスト連合教会 ? 2%

他のプロテスタントまたは一般的プロテスタント ? 17%


ローマ・カトリック ? 29%

他のキリスト教 ? 1%


他の宗教 ? 1%

無宗教 ? 12%
レイクウッド教会内部

2000年時点で最大の宗教会派はローマ・カトリック教会で4,368,969人、次に南部バプテスト協議会3,519,459人、合同メソジスト教会1,022,342人となっている[44]

テキサス州東部はバイブル・ベルトの「バックル」部と呼ばれ、社会的に保守的である[45]。ダラス・フォートワース都市圏には3つの福音主義者神学校と1つの男子修道院があり、カトリック系神学校であり歴史的建造物のダラス大学もある。ヒューストンのレイクウッド教会は毎週43,000以上の信徒が礼拝することでは国内最大である[46]。地元の伝承ではラボックの一人当たりの教会の数では国内最大と言われる[45]

非キリスト教宗教の信者はテキサス州の都心部に多い。イスラム教徒は約40万人がいる[47]ユダヤ教徒は約128,000人である[48]ヒンドゥー教シーク教などの信者は146,000人である[49]
言語

5歳以上の全人口の66.35%が英語を、29.09%がスペイン語を話す[50]。英語はテキサス独特の訛りが強い南部アメリカ英語である。スペイン語話者数はカリフォルニア州に次ぐ。
インディアン部族テキサスはもともとコマンチ族と同盟部族の領土だった(赤い枠線内)。彼らは19世紀に残らずオクラホマ州へ強制移住させられた(1858年の地図)ティグア族インディアン保留地は赤い部分(エルパソ郡)の一画にあるアラバマ・コウシャッタ族インディアン保留地は赤い部分(ポーク郡)の東端にあるテキサス・アラバマ・コウシャッタ族の保留地看板テキサス・キカプー族インディアン保留地は赤い部分(マーベリック郡)の西端のメキシコ国境にある

アコキサ族(英語版)、アラバマ族、アナダルコ族、アパッチ族、アラナマ族、アタカパン族、ビダイ族(英語版)、ビロキシー族(英語版)、カドー族チェロキー族チョクトー族、コアユルテカン族(英語版)、コマンチ族クリーク族、デアドーズ族(英語版)、アイッシュ族(英語版)、グアスコ族、ハイナイ族(英語版)、ハシナイ連邦、ナベダチェ族(英語版)、ナソニ族(英語版)、イスレタ族、ヒカリア・アパッチ族、カドハダチョ連邦(英語版)、カランカワ族、キチャイ族(英語版)、カイオワ族コウシャッタリパン・アパッチ族ムスコギー連合、パカナ族、パスカゴーラ族、プエブロ族、パチリ族、クアポー族、ショーニー族、シュマン族、ソアカチノ族、タワコニ族(英語版)、トンカワ族(英語版)、ワコ族(英語版)、ウィチタ族といったインディアン部族が、広大な同州の沿岸部から大平原部まで、狩猟民、農耕民取り混ぜて先住していた。

カイオワ族やコマンチ族は18世紀にメキシコ経由で馬を手に入れ、一大騎馬狩猟民となった。遠征隊を組んで、遠く中南米まで足を延ばした記録も残っている。1847年の「和平会談」で、コマンチ族が3000ドル相当の「贈り物」と引き換えに彼らの領土内での白人の通行を認めた。こうして入植白人の幌馬車隊は、この「テキサス道」と呼ばれる入植経路を使ってインディアンの土地に一気に押し寄せた。命の糧のバッファローを虐殺し、勝手に農地を拓く白人の狼藉に怒った略奪狩猟民のカイオワ族やコマンチ族は同盟を組んで、これら入植白人に対して全面的に戦いを挑んだ(「テキサスのインディアン戦争」)。

「開拓者を襲う恐ろしいインディアン」は、20世紀になって西部劇映画の題材として繰り返し描かれた。コマンチ族カイオワ族アパッチ族は「悪いインディアン」としてこういった西部劇映画に、デタラメな姿で登場する常連悪役部族となった。

彼らの他に、カランカワ族やトンカワ族、アタカパン族など、多様な部族集団が先住したが、「テキサス・インディアン戦争」の末に、すべて19世紀にオクラホマ州へ強制移住させられた。

全域にかつて先住した一大部族集団コアユルテカン族(英語版)」は、19世紀中に白人牧場主による「インディアン狩り」によってほぼ絶滅させられた。インディアンを追い払った後の広大な土地は、「一番遠くまで馬で駆けた者が、そこまでの土地を貰う」というような「賭けごと」によって、日本の市町村級の規模面積で白人個人入植者に分配された。

現在、アメリカ連邦政府から公式認定され、「保留地(Reservation)」を領有する部族はキカプー族、ティグア族、アラバマ・コウシャッタ族の3つ。キカプー族は、19世紀に5大湖地方から白人の侵入を嫌って南下、この地までやってきた。

ティグア族(イスレタ・プエブロ族)は、一部がニューメキシコ州からの「飛び地」のような場所に存在し、テキサスに「ティグア保留地」を領有している。


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