テキサス州
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東から西に移動すると、海岸の湿地と松林に始まり、うねりのあるプレーリと岩の多い丘が続き、最後は砂漠とビッグベンドの山脈になる。

シックス・フラッグス・オーバー・テキサス」という言葉は、テキサスを支配したことのある6つの国を表している。テキサスの地域を最初に領有権主張したヨーロッパの国はスペインだった。フランスが短期間の植民地を保持した。続いてメキシコが領有したが、1835年に独立してテキサス共和国となった。1845年にアメリカ合衆国28番目の州として併合され、それが理由でメキシコとの関係が悪化し1846年に米墨戦争を引き起こす一連の出来事となった。奴隷州だったテキサス州は1861年初期にアメリカ合衆国からの脱退を宣言し、南北戦争の間はアメリカ連合国(南軍)に加盟していた。戦後は合衆国に復帰したものの、長い経済不況の期間を過ごした。

南北戦争後のテキサス州を繁栄させた産業はの牧畜だった。牧畜業の長い歴史があるためにテキサスは、カウボーイのイメージと結び付けられることが多い。1900年代初期に油田が発見されて州の経済が成長し、経済構造が変わった。20世紀半ばには大学に大きな投資をしたこともあり、多くのハイテク企業を含む多様な経済に発展した。今日、フォーチュン500に入る企業の数では50以上で全米のどの州よりも多い[7][8]。各産業は成長を続けており、農業石油化学エネルギーコンピュータ電子工学宇宙工学およびバイオテクノロジーの分野で先頭を走っている。所得税や法人税がかからないといった税制優遇や賃金・土地の安さといったビジネス環境の良さから[9]トヨタ自動車北米本社[10]テスラオラクルヒューレット・パッカード・エンタープライズ(HPE)など[11]、西部のカリフォルニア州などからテキサス州に移転する企業がさらに他の企業の移転を呼び込んでいる[12]。2002年以来輸出高でも国内をリードしており、州総生産(Gross state product)はカリフォルニア州に次いで国内第2位である。一人当たり総生産は国内第23位となっており、国内平均より低い。テキサス州はもともとカウボーイなどのイメージ通り共和党が強い保守的な州(赤い州)であったが、リベラル色の強いカリフォルニア州(青い州)などから多く人の移住したことから、スイング・ステート(激戦州)に移行しつつある[13]
歴史詳細は「テキサス州の歴史」を参照「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」、「メキシコ独立革命」、および「テキサス革命」も参照テキサス共和国の領土アラモ伝道所

先コロンブス期のこの地にはインディアンの諸部族が居住していたが、1492年にアメリカ大陸クリストファー・コロンブスによって「発見」されると、テキサスもヨーロッパ人によって征服された。

16世紀以来、スペイン帝国ヌエバ・エスパーニャ副王領(「新しいスペイン」)に属し、1821年メキシコがスペインから独立すると、メキシコ領コアウイラ・イ・テハス州の一部となった[14][15]。メキシコ政府はこの地方の開発を進めるため、アメリカ合衆国人移民を認め[16]、アメリカ合衆国人人口が増加したテハス各地でのアメリカ合衆国人入植者たちの発展が進むにつれてアメリカ合衆国人入植者とメキシコ政府との摩擦が起り、その為1830年にメキシコ政府はアメリカ合衆国人入植者がアメリカからテキサスへ来るのを禁止した[17]

奴隷制を認めないなどの、メキシコの政策に不満を感じたアメリカ合衆国人入植者たちはテキサス革命を決心し、1835年にメキシコからの分離を目指して反乱を起こし[18]1836年テキサス共和国として一方的に独立を宣言した。同年メキシコ軍の進軍によりアメリカ合衆国人入植者がたてこもっていたサンアントニオアラモ伝道所の砦が陥落し、守備隊は全滅した(アラモの戦い)。


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