ハンナ・アーレントはカール・ヤスパース宛書簡で、アドルノの弁明について「言いようもなくみっともない」「真に破廉恥な点は、純ユダヤ人のなかでは半ユダヤ人の彼が、あのときの一歩(ナチスの機関誌に批評を掲載したこと)を友人たちにまったく知らせずに踏み出したこと」と批判した[16]。アーレントがアドルノに対して嫌悪感を持った理由としては、アドルノがナチスに迫害されたヴァルター・ベンヤミンを生存中に支援しなかったことや、アーレントから見るとアドルノはユダヤ人と左翼知識人に対する背信者であったことなどが挙げられている[17]。ヤスパースもアーレント宛書簡で「なんたるぺてん。彼を読んだかぎりでは―才知に富み、計り知れぬほど多くを知り、あらゆる角度からすべてを吟味しつつ、叡智の最高の高みから書いているような著作にすら―なに一つ信用するに足るものはない」とアドルノを酷評している[18]。
アドルノのナチス機関誌加担問題は1985年にアーレントとヤスパースの往復書簡[19]が公刊されてから1990年代に再び持ち出されるようになった[20]。エスペン・ハンマーによれば、アドルノのナチス機関誌加担問題はハイデッガーのナチス加担問題に比すべき問題であるが、アドルノが戦後ナチスとナチスに加担した知識人について批判してきただけに、その知的誠実さを疑問視させるものであり、反調停的な倫理やラディカルな知的自律性といった戦後のアドルノの主張のすべてを疑問視することになると論じている[21]。 日本では紹介当初から広く読まれており、翻訳も多い。
日本語訳された著作
単著
『プリズム――文化批判と社会』(法政大学出版局、1970年/改題『プリズメン』筑摩書房[ちくま学芸文庫]、1996年)
『ゾチオロギカ――社会学の弁証法』(イザラ書房、1970年)
『音楽社会学序説』(音楽之友社、1970年/平凡社[平凡社ライブラリー]、1999年)
『不協和音――管理社会における音楽』(音楽之友社、1971年/平凡社[平凡社ライブラリー]、1998年)
『批判的モデル集(1・2)』(法政大学出版局、1971年)
『ヴァルター・ベンヤミン』(河出書房新社、1972年)
『キルケゴール――美的なものの構成』(イザラ書房、1974年/みすず書房、1998年)
『文学ノート』(イザラ書房、1978年)
『楽興の時』(白水社、1979年)
『ミニマ・モラリア――傷ついた生活裡の省察』(法政大学出版局、1979年)
『権威主義的パーソナリティ』(青木書店、1980年)
『アルバン・ベルク――極微なる移行の巨匠』(法政大学出版局、1983年)
『美の理論』(河出書房新社、1985年-1988年)
『三つのヘーゲル研究』(河出書房新社、1986年/筑摩書房[ちくま学芸文庫]、2006年)
『美の理論・補遺』(河出書房新社、1988年)
『本来性という隠語――ドイツ的なイデオロギーについて』(未來社、1992年)
『認識論のメタクリティーク――フッサールと現象学的アンチノミーにかんする諸研究』(法政大学出版局、1995年)
『否定弁証法』(作品社、1996年)
『ベートーヴェン――音楽の哲学』(作品社、1997年)
『マーラー――音楽観相学』(法政大学出版局、1999年、新装版2014年)
『アドルノ音楽・メディア論集』(平凡社、2002年)
『フッサール現象学における物的ノエマ的なものの超越』(こぶし書房、2006年)