テイチクエンタテインメント
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1999年迄にワーナーミュージック・ジャパンポニーキャニオンBMG JAPAN(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)など有力レコード会社が演歌部門を閉鎖し多くの演歌歌手が移籍したこともあり、NHK紅白歌合戦出場の歌手が多数所属している。

歌う俳優である石原裕次郎が歌手デビュー時から終身所属していた。「国民歌手」と呼ばれた三波春夫も、デビュー時から終身所属していた。

落語軍歌カラオケソフト(DVD / LD)を豊富に所有しているほか、2000年代以降は発車メロディや鉄道関連のソフト、沖縄音楽のアーティストも売り出している。海外レーベルとの結びつきは大きくないが、近年では映画『20世紀少年』のテーマソングを歌うT.REXなどの洋楽アーティストも扱っている。

なお、東京に同名の帝国蓄音器商会(ヒコーキレコード)というレコード会社があったが、1925年(大正14年)に他社と合併して合同蓄音器となっており、奈良の帝国蓄音機とは無関係である。
沿革
黎明期

1931年(昭和6年)2月、吉川島次と南口重太郎が合資会社帝国蓄音器商会を設立。本社・工場を奈良県奈良市に、事務所・録音スタジオを兵庫県川辺郡川西町(現在の川西市)花屋敷においた。1934年に帝国蓄音器株式会社に改組[6]。当時、吉川は奈良県生駒郡郡山町(現在の大和郡山市)で農業を営みながら蚊帳などの問屋をしており、副業として蓄音器(ハードウェア)の販売を始めた。

1953年(昭和28年)4月に帝国蓄音器株式会社はテイチク株式会社に商号変更した。
松下電器産業傘下時代

1961年(昭和36年)9月に松下電器産業(以下松下電器、現:パナソニックホールディングス)と提携する。1990年代前半ヒット曲に恵まれず赤字決算が続くようになり、1996年に当時の親会社である松下電器ビデオ事業部長を務めた三浦一光が社長に就任。1997年より松下流の構造改革に打ち出し、ファンハウスに移籍していたBEGINを復帰させる。天童よしみ珍島物語」と川中美幸二輪草」がミリオンセラーを記録、1998年にJ-POP系のgo-toレーベルを立ち上げる一方、アニメ部門・さだまさし在籍のワンダーエンターテイメント[注釈 1]・プレス工場・レコーディングスタジオの清算による160人の希望退職など大規模なリストラを実施した。
日本ビクター傘下時代

1999年5月には松下電器の意向でビクターエンタテインメント役員の飯田久彦が歌手経験者初となる社長に就任。1999年10月に松下電器が保有する当社全株式をビクターエンタテインメントに譲渡し、松下グループのコンテンツ事業は当時、松下電器の子会社であった日本ビクター(現:JVCケンウッド)傘下に集約させた。その際、「テイチク」から「テイチクエンタテインメント」へ社名変更し、後にJ-POP再編で新レーベルのインペリアルレコードを発足する。同時期に大泉逸郎の「」がミリオンセラーを達成したことで2000年に業績が回復した。

2008年(平成20年)に親会社が日本ビクター(JVCケンウッド・ホールディングス、当時)に異動した。

2010年(平成22年)4月16日 一部報道で「ソフトバンクが5月を目処にJVCケンウッドの子会社である当社とビクターエンタテインメントを過半数の株式を取得し子会社化、年内に残りの株式も取得し完全子会社化することで大筋合意した[7]」と報じられたが、両社共にニュースリリースで否定した[8][9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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