1995年に『ノーバディ・エルス』をリリースし、このアルバムからのシングル「シュア」はUKチャート1位をマークすると、次のシングル「バック・フォー・グッド」はアメリカで最高7位[1]を記録した。日本ではフジテレビの深夜に放送されていた音楽番組『BEAT UK』でも発表するシングルのほとんどが初登場No.1を獲得していた。この間も日本にプロモーションやライブで何度も来日している。 1995年7月にロビー・ウィリアムズがマネージャー、メンバーとの意見の食い違いからテイク・ザットを脱退する。テイク・ザットはそれでもアルバム、『ノーバディ・エルス』のプロモーション活動を続けた。特に人気のあった「ネヴァー・フォーゲット」をパフォーマンスし続け、日本にも4人で4度目の来日を果たし、国立代々木競技場にて2日連続のライブを行なった。しかし、これが解散前の最後のテイクザットとしての来日公演となってしまった。 ロビー・ウイリアムスなきテイクザットの行く末は、マネージャーのナイジェル・マーティン・スミスが初めから目論んでいた、ゲイリー・バーロウの単独ソロでの成功という方向性だった。1996年2月13日、テイク・ザットは解散を発表する。このニュースは世界中のファンの心に衝撃を与え、電話相談サービスが設けられたほどである。ファンの悲嘆は予想以上で、メンバーのハワード・ドナルドも自殺未遂をするほどの状況であった。 解散前最後のアルバムとして、1996年にベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』をリリース。またこのアルバムに新曲「愛はきらめきの中に」が加えられ、最後のナンバー1シングルとなった。同曲はビー・ジーズの大ヒット曲でもある。 テイク・ザットはまだ終わっていない…新しいアルバムの製作にとりかかるよう、“合法的”に契約を結ぶ。 2005年11月16日、ITVに出演。解散時どのような気持ちであったか、また解散してから今までの10年間それぞれが何をしていたかなどをテーマにしたドキュメンタリー番組『Take That: For the Record』を放送(脱退したロビー・ウィリアムズも別撮りで出演)。この番組ではテイク・ザットの本音、関係者の暴露、共に共演したアーティストの暴露などが放送された。テイク・ザットはデビュー当時からマネージャーの「お酒、タバコはだめ、ガールフレンドは絶対につくらない」という方針に縛られていた。そんな中でロビーがドラッグとアルコール中毒になったのは有名な話であった(関係者によると一番酷いときで1時間に2回コカインを使っていたという)。またハワードが「マネージャーは知らなかったけど、実際は何人もの女性と寝た」と暴露。当時共演していたある女性アーティストが「それは私。ロビーとも寝たわ」とコメントした。 11月26日には2006年からロビーを除く4人で再結成ツアー『ライヴ・イン・マンチェスター テイク・ザットの再結成、そして成功は他のアーティストに多大な影響を与えた。ブリット・アウォードでは受賞の際、ナレーションで「解散してから再結成してここまで成功するアーティストはいままでにはなく、これからもないだろう」と言われた。また5ive、ボーイゾーンの再結成に影響を与えた(5iveは契約できるレコード会社がなく再び解散)。長期にわたって再結成が噂されていたスパイス・ガールズも2007年6月28日に正式に再結成を発表し、「テイク・ザットに影響されている」と語った。 2006年5月9日にテイク・ザットは約10年ぶりにレコーディング活動を再開する。マークは「これまでにない最高のアルバムをつくる」とコメント。またハワードがロビーに再結成とレコーディング活動再開のことを伝えたと公にすると、ロビーが戻ってくるのではないかという噂が流れ始めた。 9月10日にはシングル「ペイシェンス」が再結成後初のシングルになると発表。
ロビー・ウィリアムズの脱退と解散
再結成